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昭和史の決定的瞬間 みんなのレビュー

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みんなのレビュー12件

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評価内訳

12 件中 1 件~ 12 件を表示

紙の本

当時の言論を「史料」として活用して結果論的解釈を排除

2010/01/02 13:02

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る

昭和30年代は、議会政治が軍部によって圧殺され、民主主義が軍国主義に屈服する「暗黒の時代」として叙述されることが多い。しかし著者は、先入観を排し当時の知識人たちの議論を読み込むことで「同時代的認識」に肉薄し、その認識を基に、満州事変から太平洋戦争に至る「戦前昭和」を「テロ」と「戦争」によってのみ説明しようとする「十五年戦争史観」に疑義を呈す。

その要点は2つある。1つは「戦争か平和か」「軍部と協調的か敵対的か」という対立軸だけで政治勢力を色分けしない、という点である。もう1つは「戦争勢力が一方的に平和勢力を圧倒していく」という直線的な理解を否定し、両者の熾烈な鬩ぎ合いと歴史の偶発性を重視する点である。


まず筆者は美濃部礼賛に疑問を投げかける。「天皇機関説」を主張した美濃部達吉は一方で議会に基礎を置く政党内閣制を否定し「円卓巨頭会議」構想を提唱していた。美濃部理論は、軍に対する内閣の権限を強化するものであったが、他方、議会を軽視するものでもあった。
その意味で政友会の「機関説排撃、責任政治の確立」という新方針にも一理はあり、絶対的に美濃部が正しく政友会が間違っていたとばかりは言えない、とする。
美濃部憲法学は、政党や議会の頭越しに社会政策を実行したいと考えていた「新官僚」や陸軍統制派、社会大衆党にとって好都合であり、彼等の攻勢を受けて陸軍皇道派・政友会・平沼系右翼は「機関説排撃」を旗印として提携したのである。しかし岡田内閣・民政党・「重臣」も反政友会に回ったため、皇道派・政友会の劣勢は明白なものとなった。昭和11年2月20日の総選挙で政友会は大敗した。岡田内閣は陸軍内の極右勢力を押さえ込んだという意味では「平和勢力」と言えるが、議会で過半数を占める政友会を無視し抑圧したという点では「憲政の常道」に反する非民主的な政治体制であった。

追い込まれた皇道派将校は2・26事件を起こし、「重臣」の殺害に成功するが、最終的には鎮圧される。一般には以後、軍部の政治への進出が進む、とされているが、筆者は、総選挙での大勝を受けて民政党が軍部批判を強めていったことにも注意を促す。有名な斎藤隆夫の粛軍演説は、実は2・26事件の3ヶ月後に行われたものである。
だが筆者は更に、斎藤隆夫=善、軍部=悪、という従来の単純な見方を糾す。輸出依存の資本家を支持層に持つ民政党は緊縮財政を求め、軍拡に反対したが、それと同時に福祉政策や失業対策にも反対だった。
こうした民政党の態度を攻撃したのが、同じく先の総選挙で躍進した無産政党、社会大衆党であった。社会大衆党書記長の麻生久は、一部特権階級の利益だけを守り、国民大衆に背を向ける「既成政党」を批判し、陸軍と提携して「社会改革」を実現しようとした。

皮肉なことに、「軍縮」を求める平和勢力たる民政党よりも「軍拡」に賛成する戦争勢力たる社大党の方が、「民主的」な政策を唱えるという、「平和」と「改革」のねじれ現象が招来したのである。すなわち、昭和11年の政治的対立軸は「戦争か平和か」という単純なものではなく、「反軍・親資本主義か親軍・反資本主義か」というものだった。戦争と軍ファシズムに反対する「日本版人民戦線」が成立しなかったのは、保守的な政友会・民政党と社会民主主義的な社大党との間に大きな溝があったからに他ならない。


だが、ともあれ政友会・民政党の二大政党は、軍部の台頭に対する危機感から、反ファシズムという共通の目的の下に〈大連立〉することに成功する。「割腹問答」として有名な政友会の浜田国松の陸軍批判は、意図的に寺内寿一陸相を挑発し、広田内閣を総辞職に追い込もうとしたものだと、著者は説く。首尾良く広田内閣を総辞職させた政友会・民政党は陸軍長老で反戦派の宇垣一成を後継首相に擁立しようとするが、石原莞爾ら陸軍中堅層の反対と内大臣湯浅倉平の弱腰によって失敗に終わる。結果的に日本の平和勢力は、戦争勢力をあと一歩のところまで追い込んでおきながら、戦争回避の最大のチャンスを逃すことになった。

二大政党の連立政権=「協力内閣」たる宇垣内閣が流産した後に成立したのは「軍部独裁」政権たる林銑十郎内閣であった。この内閣の下で、重化学工業の振興が決定され、これを契機として、反目し合っていた陸軍と財界が「狭義国防論」を媒介に接近する。これに対し「広義国防論」を提唱し親陸軍の立場を取ってきた社大党は、陸軍の裏切りに憤り、反陸軍に転換して「軍拡よりも国民生活の安定を優先すべき」と説く。

林内閣解散後の昭和12年の総選挙では、社大党は大躍進を遂げた。旧来、同党の躍進は「国家社会主義」=「ファシズム」の勢力増大と解釈されてきたが、筆者はそれを「国民的支持をある程度得るのに成功した勢力」を「すべて戦争協力者として糾弾する」結果論的解釈として斥ける。同時代の少なからぬ言論人は社大党の台頭を、ファシズムでも共産主義でも「古きリベラリズム」でもない社会民主主義が日本に登場したものとして歓迎し、社大党を反戦・反軍の新たな旗手として期待する向きさえあったという。


筆者によれば、戦前日本の民主主義の盛り上がりが最高潮に達してから僅か二ヶ月後に蘆溝橋事件が勃発し、日本は一挙に戦時色を強めていくという。 1930 年代のファシズムの延長線上に日中戦争が勃発したのではなく、偶発的に発生した蘆溝橋事件が日本を民主主義から軍国主義へと転換させたという筆者の結論は、かえって恐ろしい。
筆者の思想はかなりリベラルなものと想像されるが、その研究じたいは、民主主義は戦争を防止すると嘯く戦後民主主義の欺瞞を図らずも暴いており、その学問的誠実さと勇気には頭が下がる。1937年総選挙における日本無産党の大敗を説明する際、2003年総選挙における社会民主党の惨敗に言及して「『反戦平和』だけでは、平成15年にも昭和12年にも、社民政党は選挙に勝てないのである」と揶揄するところなんぞは、実に痛快であり、その現実的な視点に「空想的平和主義者」たちは見習うべきであろう。


ただ政友会も民政党も、その内部は必ずしも一枚岩ではなかった。二・二六事件以降の二大政党が一丸となって反軍的姿勢を取ったわけではなく、党内にはファッショ・親軍路線を目指すグループもいた。たとえば近年、井上敬介氏は、「流産内閣」となってしまう宇垣擁立工作は民政党主流派ではなく反主流派の一部によって推進されたものであり、その目的も「政民連携」ではなく、むしろ政友会・民政党という既存二大政党を「親軍的政党」へと発展的に解消することにあった、と論じている。この井上説が正しいとすると、仮に宇垣内閣が成立していたとしても、戦争回避は困難であったことになろう。

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2006/02/02 00:52

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2010/08/19 21:33

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