紙の本
当時の言論を「史料」として活用して結果論的解釈を排除
2010/01/02 13:02
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投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和30年代は、議会政治が軍部によって圧殺され、民主主義が軍国主義に屈服する「暗黒の時代」として叙述されることが多い。しかし著者は、先入観を排し当時の知識人たちの議論を読み込むことで「同時代的認識」に肉薄し、その認識を基に、満州事変から太平洋戦争に至る「戦前昭和」を「テロ」と「戦争」によってのみ説明しようとする「十五年戦争史観」に疑義を呈す。
その要点は2つある。1つは「戦争か平和か」「軍部と協調的か敵対的か」という対立軸だけで政治勢力を色分けしない、という点である。もう1つは「戦争勢力が一方的に平和勢力を圧倒していく」という直線的な理解を否定し、両者の熾烈な鬩ぎ合いと歴史の偶発性を重視する点である。
まず筆者は美濃部礼賛に疑問を投げかける。「天皇機関説」を主張した美濃部達吉は一方で議会に基礎を置く政党内閣制を否定し「円卓巨頭会議」構想を提唱していた。美濃部理論は、軍に対する内閣の権限を強化するものであったが、他方、議会を軽視するものでもあった。
その意味で政友会の「機関説排撃、責任政治の確立」という新方針にも一理はあり、絶対的に美濃部が正しく政友会が間違っていたとばかりは言えない、とする。
美濃部憲法学は、政党や議会の頭越しに社会政策を実行したいと考えていた「新官僚」や陸軍統制派、社会大衆党にとって好都合であり、彼等の攻勢を受けて陸軍皇道派・政友会・平沼系右翼は「機関説排撃」を旗印として提携したのである。しかし岡田内閣・民政党・「重臣」も反政友会に回ったため、皇道派・政友会の劣勢は明白なものとなった。昭和11年2月20日の総選挙で政友会は大敗した。岡田内閣は陸軍内の極右勢力を押さえ込んだという意味では「平和勢力」と言えるが、議会で過半数を占める政友会を無視し抑圧したという点では「憲政の常道」に反する非民主的な政治体制であった。
追い込まれた皇道派将校は2・26事件を起こし、「重臣」の殺害に成功するが、最終的には鎮圧される。一般には以後、軍部の政治への進出が進む、とされているが、筆者は、総選挙での大勝を受けて民政党が軍部批判を強めていったことにも注意を促す。有名な斎藤隆夫の粛軍演説は、実は2・26事件の3ヶ月後に行われたものである。
だが筆者は更に、斎藤隆夫=善、軍部=悪、という従来の単純な見方を糾す。輸出依存の資本家を支持層に持つ民政党は緊縮財政を求め、軍拡に反対したが、それと同時に福祉政策や失業対策にも反対だった。
こうした民政党の態度を攻撃したのが、同じく先の総選挙で躍進した無産政党、社会大衆党であった。社会大衆党書記長の麻生久は、一部特権階級の利益だけを守り、国民大衆に背を向ける「既成政党」を批判し、陸軍と提携して「社会改革」を実現しようとした。
皮肉なことに、「軍縮」を求める平和勢力たる民政党よりも「軍拡」に賛成する戦争勢力たる社大党の方が、「民主的」な政策を唱えるという、「平和」と「改革」のねじれ現象が招来したのである。すなわち、昭和11年の政治的対立軸は「戦争か平和か」という単純なものではなく、「反軍・親資本主義か親軍・反資本主義か」というものだった。戦争と軍ファシズムに反対する「日本版人民戦線」が成立しなかったのは、保守的な政友会・民政党と社会民主主義的な社大党との間に大きな溝があったからに他ならない。
だが、ともあれ政友会・民政党の二大政党は、軍部の台頭に対する危機感から、反ファシズムという共通の目的の下に〈大連立〉することに成功する。「割腹問答」として有名な政友会の浜田国松の陸軍批判は、意図的に寺内寿一陸相を挑発し、広田内閣を総辞職に追い込もうとしたものだと、著者は説く。首尾良く広田内閣を総辞職させた政友会・民政党は陸軍長老で反戦派の宇垣一成を後継首相に擁立しようとするが、石原莞爾ら陸軍中堅層の反対と内大臣湯浅倉平の弱腰によって失敗に終わる。結果的に日本の平和勢力は、戦争勢力をあと一歩のところまで追い込んでおきながら、戦争回避の最大のチャンスを逃すことになった。
二大政党の連立政権=「協力内閣」たる宇垣内閣が流産した後に成立したのは「軍部独裁」政権たる林銑十郎内閣であった。この内閣の下で、重化学工業の振興が決定され、これを契機として、反目し合っていた陸軍と財界が「狭義国防論」を媒介に接近する。これに対し「広義国防論」を提唱し親陸軍の立場を取ってきた社大党は、陸軍の裏切りに憤り、反陸軍に転換して「軍拡よりも国民生活の安定を優先すべき」と説く。
林内閣解散後の昭和12年の総選挙では、社大党は大躍進を遂げた。旧来、同党の躍進は「国家社会主義」=「ファシズム」の勢力増大と解釈されてきたが、筆者はそれを「国民的支持をある程度得るのに成功した勢力」を「すべて戦争協力者として糾弾する」結果論的解釈として斥ける。同時代の少なからぬ言論人は社大党の台頭を、ファシズムでも共産主義でも「古きリベラリズム」でもない社会民主主義が日本に登場したものとして歓迎し、社大党を反戦・反軍の新たな旗手として期待する向きさえあったという。
筆者によれば、戦前日本の民主主義の盛り上がりが最高潮に達してから僅か二ヶ月後に蘆溝橋事件が勃発し、日本は一挙に戦時色を強めていくという。 1930 年代のファシズムの延長線上に日中戦争が勃発したのではなく、偶発的に発生した蘆溝橋事件が日本を民主主義から軍国主義へと転換させたという筆者の結論は、かえって恐ろしい。
筆者の思想はかなりリベラルなものと想像されるが、その研究じたいは、民主主義は戦争を防止すると嘯く戦後民主主義の欺瞞を図らずも暴いており、その学問的誠実さと勇気には頭が下がる。1937年総選挙における日本無産党の大敗を説明する際、2003年総選挙における社会民主党の惨敗に言及して「『反戦平和』だけでは、平成15年にも昭和12年にも、社民政党は選挙に勝てないのである」と揶揄するところなんぞは、実に痛快であり、その現実的な視点に「空想的平和主義者」たちは見習うべきであろう。
ただ政友会も民政党も、その内部は必ずしも一枚岩ではなかった。二・二六事件以降の二大政党が一丸となって反軍的姿勢を取ったわけではなく、党内にはファッショ・親軍路線を目指すグループもいた。たとえば近年、井上敬介氏は、「流産内閣」となってしまう宇垣擁立工作は民政党主流派ではなく反主流派の一部によって推進されたものであり、その目的も「政民連携」ではなく、むしろ政友会・民政党という既存二大政党を「親軍的政党」へと発展的に解消することにあった、と論じている。この井上説が正しいとすると、仮に宇垣内閣が成立していたとしても、戦争回避は困難であったことになろう。
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二・二六事件からはや70年が経過しようとしている。
本書は、1936年の二・二六事件から1937年の盧溝橋事件のはざ間の1年半という時期を検討したものである。この時期は「準戦時体制」とも呼ばれるが、1936年・1937年の二つの総選挙から読み直すと、社会改革を主張し躍進する社会民主主義政党(社会大衆党)が軍拡に肯定的で、現状維持を志向する既成の保守政党(政友会・民政党)が軍拡に歯止めをかけようとしたというパラドックスが浮かび上がる。
分かりやすくするため、現在に置き換えていえば、社民党がイラク派兵を容認して、自民党がそれに歯止めをかけようとしているという構図(もちろん、たとえ話)になる。一昔前の「左翼史観」(というものがあるかどうかよく分からないが)では、既成政党は支配者層(ブルジョア)で好戦的、社会主義は被支配者層(プロレタリア)で反戦という漠然としたイメージがあるようだが、そうでもないみたいということらしい。
いずれにせよ、1931年の満州事変から1945年の敗戦までの時期は、「十五年戦争」とよく表現されるが、必ずしもそれは一直線に突き進んだわけではなかった(かといって「十五年戦争」という言葉を全部否定するつもりはない、念のため)。どんな歴史でもそうだが、ためらいや行き違いが交錯し、思わぬ結果へと転がっていく(歴史のこわさと面白さ!!)。そんなスリリングな示唆を与える、練達の筆者ならではの一冊となっている。この坂野説が実証的に正しいかどうかは、これから検証が進むことだろう。
著者の坂野氏は東京大学名誉教授。日本近代政治史家として、明治から日中戦争にいたる間の「憲政」を考えつづけている。『明治憲法体制の成立』・『大正政変』など著書多数。
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[ 内容 ]
民政党議員だった斎藤隆夫の「粛軍演説」は、軍部批判・戦争批判の演説として有名である。
つまり、輸出依存の資本家を支持層に持つ民政党は、一貫して平和を重視していたが、本来は平和勢力であるべき労働者の社会改良の要求には冷淡だった。
その結果、「戦争か平和か」という争点は「市場原理派か福祉重視か」という対立と交錯しながら、昭和11・12年の分岐点になだれ込んでいく。
従来の通説である「一五年戦争史観」を越えて、「戦前」を新たな視点から見直す。
[ 目次 ]
プロローグ―「昭和」の二つの危機
第1章 反乱は総選挙の直後に起こった(前史としてのエリートの二極分裂 総選挙と二・二六事件)
第2章 陸軍も大きな抵抗にあっていた(特別議会での攻防 「保守党」と「急進党」の「人民戦線」)
第3章 平和重視の内閣は「流産」した(広田弘毅内閣の退陣(昭和一二年一月) 宇垣一成の組閣失敗 ほか)
第4章 対立を深める軍拡と生活改善(「狭義国防論」の登場 「広義国防論」の反撃)
第5章 戦争は民主勢力の躍進の中で起こった(「民主主義」と「戦争」 「戦争」と「民主主義」 ほか)
エピローグ―後世の常識と歴史の真実
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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混沌とした政治と経済の行方を探りたい
POINT
「戦前の日本に国民の言論の自由がなかった」は誤り
民主主義が戦争を望み、戦争が民主主義を抑圧した
過去を正しく認識し、現在の視座に生かす
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自分が持っている戦前政治史の常識が意外なほどに間違っていることに驚きを覚えた。戦前民主主義は北支事変(日中戦争)の勃発ですべてが吹っ飛んだと結論付けながらその理由が説明されていないため著者の考えは次著を待たねばならないが、ヒントは保阪康正「昭和史7つの謎」や半藤利一「昭和史」、「戦争の日本近現代史」と合わせ読めば自ずと見えてくるだろうか、また一方で戦争という熱狂の時代に突入していく人々の心理など同時代性を持ってしても意識できないだろうか。
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選挙結果という名の民意から昭和30年代の政治を読み解こうとしているのが面白い。
社会大衆党の支持が日中戦争の前に厚くなったのは、民主主義への支持というよりも社会主義的な体制への支持や、反既成政党という意思表示だったのだと思う。
そして民意が求める社会主義的な体制は、総力戦体制を求める軍部と極めて親和性が高かったのだろうと思う。そのシンクロ度合いが軍部をして、戦線の開設と拡大を後押ししたのかなという想像ができる。
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史学雑誌の論文を読んでいるようで、新書としては読みづらい。内容的に面白い題材だっただけに、もう少し読みやすく書いていただけたら、もっと楽しめたのに…。残念。
でも、日中戦争突入前には、反ファッショだとか反戦だとかが国会や論壇でまだ自由に話せていたということには驚き。
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著者は歴史家には珍しく?単なる叙述ではなく概念化する事に特徴がある。満州事変→515という戦争→テロの前期の危機と、226→日中戦争というテロ→戦争の後期の危機を比較し、後期に着目し論じている(226はテロではなくクーデターではないか?と思うが)。この辺は井上寿一の「昭和デモクラシー」に通じるものがある。肝は第5章であり、戦争と民主主義を考える上で、社会大衆党の躍進をどう捉えたらよいのか?という点については今後考察を深めていきたいと考えている。
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昭和戦前と言うと軍部の膨張ばかりがイメージとしてあるが、自由主義も社会民主主義も含め様々な勢力が政治の舞台で蠢いていた。広田内閣後の宇垣一成への大命降下、石原莞爾らの工作による組閣流産から趨勢が変わったが、それでも日中戦争前夜まで日本では民主主義がそれなりに機能していた、とのこと。いままでの理解がガラッと変わる分析で新鮮だった。
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昭和11年2月20日第19回総選挙から、昭和12年7月7日盧溝橋事件までの1年5ヶ月に絞って書かれた本。
ポイントは宇垣内閣の失敗にあるとみた。
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昭和11から12年にかけて生じた日本近代史における危機ないし転換点の実態を明らかにしている本です。
昭和11年の二・二六事件以来、軍によるファシズムが支配的となり、民主主義が押しつぶされて日中戦争へ突入していくことになったという見かたがひろく流布していますが、著者はそのような歴史像が誤りであることを論証しようとしています。たとえば、マルクス主義経済学者の大森義太郎による人民戦線論が発表されており、そのなかで彼が選挙を通じて国政を変えていくことをひろく国民に訴えかけていたことからも、言論の自由が完全にうしなわれていたわけではないと著者は主張します。
その一方で、大森の国民戦線論は、まったくべつの理由によって現実性をうしなってしまったことを、著者は示しています。民政党と政友会の二大政党が、それぞれの置かれている状況のなかで憲政のありかたについての主張をおこない、美濃部達吉の天皇機関説も純粋な憲法学的観点からではなく、そうした政治的な状況のもとでそれぞれの態度が決定されていきます。とりわけ著者は、美濃部が議会を軽視した円卓巨頭会議の構想をいだいていたことを指摘し、民主主義の擁護者とみなすことができないと論じています。そのうえで、小泉内閣の政治状況に触れつつ、「改革」と「平和」というディレンマが当時においても存在していたという問題を提起しています。
また盧溝橋事件から十五年戦争へと入り込んでいく展開についても、作家の中野重治や哲学者の戸坂潤、軍事評論家の武藤貞一などが、その後の展開についての見通しを示していたことに触れて、国民にはこのときの危機について知るすべがなかったとはかならずしもいえないことを指摘しています。
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戦前日本に関して一般に抱かれているイメージは、昭和11年の2・26事件により軍ファシズムの時代が到来し、その軍ファシズムの手によって,翌12年7月7日の盧溝橋事件が惹き起こされた、というものである。その大前提となっているのは、まず国内政治においてファシズムが民主主義を押しつぶし、国民は戦争に向かう日本政府の動向について全く情報を与えられず、戦争を予期し反対しようとした人々には、反対行動はもとより言論の自由も全く与えられなかった、という歴史認識である。しかし本書を読むと昭和12年7月の日中戦争直前の日本では、軍ファシズムも自由主義も社会民主主義もすべて数年前と比べようもなく、力を増していると筆者は述べている。つまり政治が活性化していて、民主化の頂点で日中戦争が起こり、その戦争が民主化を圧殺していったという論なのだ。その詳しい真偽は本書を読んでもらうしかないが、従来の通説でない新しい視点だと思った。詳細→
https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou28003.html