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紙の本
よしなしごと。トム・ウェイツとか聴きながらの。
2004/10/29 01:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『迷走王 ボーダー』という漫画に「捕鯨・発祥の地」という胡散臭い名所が出てきて、その海辺にあるハリボテの鯨のなかに「もうひとつの知られざる三億円事件」の犯人たちが阿漕な大金持ちから失敬した札束を隠して、ほとぼりが冷めるまで十年だか十五年だか待ってから取りに行くというエピソードが描かれている。で、たまたまそれを小耳に挟んだ主人公たち三人(社会のボーダーライン上を生きている男たち=「ボーダー」)がそれを横取りしようとするという展開になるのだけれど、「もうひとつの知られざる三億円事件」の犯人(女一人、男二人)はいわゆる「シネフィル(映画気狂い)」で、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のような空気感をもった作品を『ストレンジャー〜』以前に既に習作として撮っており、もっと本格的な映画を撮ろうとして大金を盗んだという設定になっている。
僕は『ストレンジャー〜』に鯨が出てくるのかどうか知らないのだけれど(たぶん出てこないと踏んでいるのだが)、行定勲監督が撮った映画『きょうのできごと』には柴崎友香さんの原作にはまったく出てこないエピソードとして、どっかの浜辺に鯨が打ち上げられるというお話が挿入されていて、これはもしかして行定さんは『ボーダー』(と『ストレンジャー・ザン・パラダイス』)にささやかなリスペクトを捧げてみたりしたのではないかなと思うと、なんだか嬉しいような気分になって顔がにやけてしまう。
『きょうのできごと』(柴崎友香)には保坂和志さんの保坂さんらしい解説がついていて(「ジャームッシュ以降の作家」というタイトル)、いい意味でとても勉強になる。久しぶりに『書きあぐねている人のための小説入門』を引っ張りだしてきて電車のなかとかで読んでみたら、さらに勉強になる。保坂さんが「風景」を書くことの大切さを強調していることについてあれこれ考えていると、保坂さんは批判的らしい『日本近代文学の起源』(柄谷行人)のことを思い出して、「風景の発見」という章を読み返してみたりすると、さらにあれこれあれこれ考えている。
柴崎さんの小説『きょうのできごと』の肌触りというか空気感は、保坂さんの『プレーンソング』に似ているように思う。はじめて保坂さんの小説を読んだときに、なんだか村上春樹に似てて好きだなぁと感じた人間の言い草なので、あんまり信用はできないけれど、あの頃にくらべて僕は僕なりに成長しているはずなので、それほど大きくは外していないんじゃないかな。
「きょうのできごとのつづきのできごと」(柴崎さんが行定さんの映画撮影を見ながら感じたことを綴ったエッセイふうの文章)のなかに書かれている柴崎さんのふたつの文章が、心に残っている。
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どうにもまた本とは関係ないことを書いてしまったけれど、とにかく僕は『きょうのできごと』という小説がとても好きで、その「好き」はこういうことを書くことを、さらりと許してくれるような空気感にあるんじゃないかな、と思う。
あと、映画『きょうのできごと』のなかで「かわちくん」と「ちよ」が喧嘩しながら歩くシーン(酔っ払いのおっさんがかわちくんにチョッカイを出すとこ)、「あ、これ、あそこやんか」(いま、ここから歩いて一分)という驚くべき発見があったりして、なんだか似たようなシーンを自分も過去に演じたことがあったなぁ(僕は昔ちょっとかわちくん風なところがあった)と回想モードに入ったり……そういう、ある意味よけいなものが、ちっとも邪魔にならない。行定さんの映画も柴崎さんの小説も、そういう「すきま」がすごく気持いい。
紙の本
明日も、昨日も、きょうのできごと?
2004/04/06 21:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画『きょうのできごとーa day on the planet』(行定勲監督)を本書より先に観ました。概ね、映画も原作も良いというのはあまりないが、両方とも悔いのない時間を過ごさせてもらった。関西弁のやりとりが、ライブ感覚のあるビビットなもので、初手から映像空間に取り込まれ、激情とはほど遠いものであるが、気持ちの良い感情に揺さぶられた。くすくす笑いの映画鑑賞でした。館内全体から共通のさざ波が伝わって、みんなで一緒にこの空間を共有しているんだなぁと、嬉しくなりました。
《光で、目が覚めた。》
本書はこのフレーズで始まるが、映像も又、光で始まる。一章の「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」は光の動きに敏感な作者の目線(けいと)から、二章の真紀の視線、中沢、かわち、正道、作者の目線が動いていく。その目が捉える光景に関西弁のやりとりが、ユーモラスに共振していく。
京都の木造の小さな二階屋に引っ越しした正道(京都の大学院に進学したのです)を祝うために仲間たちが集る。映画を撮りたい正道と恋人の真紀、同級生のけいと、大学の友人西山と坂本、恋人ちよとのデートを切り上げてかけつけてきた後輩のかわちが、それぞれの想いを秘めて酔っぱらう。
本書は2000年に単行本として出版され、映画化される運びとなり、その映画のロケ探訪をも含んだ最終章として、「きょうのできごとのつづきのできごと」がオマケ掲載される。この章の構成はアルバムに擬して「A面・けいとと真紀のできごと」、「B面・映画の撮影現場を見に行った小説家のできごと」と粋な工夫を凝らしている。そう言えば、本全体が音楽アルバムに似ていなくもない。言葉が音に近く、動いている。だから、原作と映画とが、共犯者のように噛み合ったいるのだろう。音楽は矢井田瞳が担当して、彼女自身も、これ又、オマケ映像で歌っているのだが、この本で柴崎友香は、言葉の豊穣さで、もっともっと、深く歌っているんだと「映画の記憶」を倍加した歓びで反芻しながら、本書を読み終えました。
保坂和志は解説で、この若い作家に素敵な言葉を贈っている。
《柴崎友香は、あの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジム・ジャームッシュがもたらしたショックを正しく、真っ正面から受け止めた小説家だと思う。(中略)/彼は現在を生きる私たちが、未来に希望を持っていないことを『ストレンジャー〜』によって、はっきりと見せてしまった。未来に希望がないとしたら、「あるのは絶望だけだ」というのは、『ストレンジャー〜』以前の考え方で、私たちは未来に対して希望も持っていないけれど絶望も感じていない。(中略)未来には希望も絶望もないけれど、今はある。見たり聞いたり感じたりすることが、今このときに現に起こっているんだから、フィクションだけでなく、生きることそのものも、過去にも横にも想像力を広げていくことができるのではないか。もしそれが未来に向かったとしても、過去やいま横にある事と等価なものとしての未来だろう。》
《ジャームッシュ以降の可能性は、確実に、柴崎友香に受け継がれている。》
最大限のエールである。彼女の視線の運動が織りなす空間から、作品独自の“何か”が語り始め、それが本当の意味での面白さになる。小説も映画もテレビドラマでも、ただ筋を語ればいいというものではない。「機敏な動き」なのだ。
映画も本書も、そのようにして、ぼくはその中に巻き込まれ、場面という乗り物に同乗して様々な風景、光景を見、感じ、光と影が点滅するムーブメントに、身体が反応したのであろう。メッセージとかテーマーにシンクロしたのでなく、作者の視線にシンクロしたというわけです。
【葉っぱがアフォード・阿呆ダンス】
紙の本
読んでいくうちに小説の世界にどっぷりと嵌まってしまった
2018/05/14 21:51
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初はなんてことない小説だと思った。だが、読んでいくうちに小説の世界にどっぷりと嵌まってしまった。くせになる小説家である。そんなにたいした出来事が起こるわけでもないのに夢中で読んでしまった。不思議な小説家でもある。