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紙の本
シトー派修道士の墨染めのような禁欲的な美しさ
2004/05/17 23:58
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:べあとりーちぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐藤亜紀氏ほどの実力者を「新人」とカテゴライズするのはどうだろう、と思ったのだが、それでもファンとして嬉しかった「芸術選奨新人賞」受賞作『天使』の続編である。「王国」、「花嫁」、「猟犬」、「雲雀」の4短編から成り、「王国」ではカールとオットーのメニッヒ兄弟が、「花嫁」ではジェルジュの父、グレゴール・エスケルスが主人公として描かれている。周辺の人物を描くことにより、『天使』を通じての主人公、ジェルジュ・エスケルスを浮き彫りにするというオムニバスならではの凝った作りである。
ハプスブルク帝国の崩壊はすでに止め処なく、ヨーゼフ=フェルディナント大公は市井の1個人と成り果てた。しかしそれでもなお、機会あらば自分の政治的生命を引き延ばそうとジェルジュの取り込みを図る大公殿下。その足元でウィーンの掌握を狙い、それ故どうしてもジェルジュとは相容れないディートリヒシュタイン。退位した二重帝国最後の皇帝カール1世は復権を狙ってクーデターを企む。枢密顧問官スタイニッツは病を得、オーストリア諜報組織の事実上の切り盛り役はジェルジュに降りかかる。メニッヒ兄弟がかなり「使える」人材であることが救いではあるが、相変わらず「テーブルの下で足を蹴り合うような」陰湿な小競り合いの連続に、ジェルジュの気苦労を思ってついほろりとしてしまった。
『天使』ではロクでもない父親だという印象の強かった自称男爵グレゴールにも「花嫁」のようなエピソードがあったのかと思うと、それなりに微笑ましいような感慨深いような気持ちが沸く(ロクでもない男なのは変わりないが)。結局のところグレゴールも、佐藤亜紀流の熱い男たちの一人だったのだ。大それた悪事を働くことはできず、自分の欲望に忠実で、照れ屋で純情でどこかしら可愛気が残る男たち。『天使』と「花嫁」でしか彼の人生を垣間見ることはできないが、できればもっと彼の物語も覗いてみたかった。
『バルタザールの遍歴』や『戦争の法』に比べると、『天使』や本書の語り口は極めて抑えた透徹したものになっている。気の滅入るようなリアルさで描き出される「感覚」の描写は時として偏執狂的でもあり、絢爛豪華な「佐藤亜紀節」のファンである筆者としては少々面食らったものだ。あの色彩に満ち溢れた文体を、佐藤氏は捨ててしまったのだろうか、と。
しかし『天使』や本書を繰り返して読むうちに、これもまた紛れもなく「佐藤亜紀の世界」なのだと納得した。オペラのアリアのような華々しさはなくとも、ミサの詠唱のような緊張感に満ちたシンプルな美がここにはある。うっかりすると読者に不親切極まりない、極限までディテールの説明をカットした語り口もその美しさを際立たせるのである。
第一次世界大戦前夜から1930年あたりまでのヨーロッパ地図について詳しく知れば、ジェルジュ2部作の背景にいかに多くのことが設定されているかを知ることもできる。「こんなに調べてあるのだよ」ということを微塵も本文に出さないあたりも憎らしいほど見事な筆力で、恐れ入って平伏するしかない。参りました! というのが実感である。佐藤亜紀ファンなら必読の書と言えよう。
『天使』では絶大なる「感覚」を備えた青二才だったジェルジュも、本書では三十路を越えて右往左往するばかりでもなくなった。ジャブの応酬の末に予定調和な落としどころを探る、という陰険な小競り合いに飽き飽きして、彼はついに自分の人生を取り戻しにかかる。抑圧を振り捨てたジェルジュはいかにも自由で、生き生きとして、色彩を取り戻したようにも見えて嬉しい。
どことなく死の香りをまとって舞い降りた天使は、本書で雲雀となってどこへとも知れず飛び立った。もう戻ることはない。行く手の空に幸いあらんことを。
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