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戦後家族とは何か?今私たちがイメージする「家族」は近代以降のもので…(以下略)。
あれだ、歴史を振り返るときは、現代の感覚を捨てろって話。
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家族社会学の入門書!
戦前〜現在までの「家族」が
丁寧に解説されている。
M字型曲線とかナツカシス
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やさしい文体で社会の、家族の、男の、女の内臓をえぐり出す「やさしいグロテスク家族社会学」。現代日本において、これ以上相応しい家族社会学の教科書が他にあるだろうか。否、これは人生の教科書かもしれない。想像以上のスペクタクルを与えてくれる本書は、「目の前にあるすべてを疑うこと」という社会科学・人文科学・自然科学全体に通ずる前提を改めて再確認させてくれる。一体いつから私たちはすべてを疑わなくなったのだろう。「当たり前」という言葉は思考の敗北を表しているのではないか。受け入れることは時には必要だが、目の前で起こっていることに関して諦めて受け入れること、強いられて受け入れること、周囲に合わせて受け入れること、それ以外の選択肢がなく受け入れるということは、闘わずして敗北することと同等である。私たちは疑い、思考し、闘争し、生み出さなくてはならない。いや、生み出さなくてもよい。人間は、世界にある諸問題を解決するだけの何かを生み出すには、まだまだ勉強が必要な非高等生物なのだから。しかし、最も基本的な「疑うこと」を私たちは諦めてはならない。それを諦めるということは、人間を放棄する事ではないのか。これは落合ではなく私の極論に過ぎないが、今ある世界を疑わずして人間は成長もしなければ現実を維持することも出来ないと思うのだが。
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論壇の先頭を斬って走る学者たちは、脚光を浴び、同業者たちから羨望の眼差しを受けるが、一方では激しく嫉まれ根拠なく誹謗中傷されることも日常茶飯事である。家族社会学の先陣に立つ落合恵美子もその一人だ。私は本書以前の落合の著書を読んだことがないため、恥ずかしながら彼女の理論変遷や主張を知らない。しかし少なくとも本書は、落合に批判的な者もそうでない者も一読して損はないと思う。
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戦後女性の主婦化、人口学的アプローチによる核家族化の真相、ウーマンリブ再考など、落合ならではの視点で今までの「家族社会学」そのものを論破し、再構築しようとしている。「家」の問題や主婦、家父長制、近代家族、ウーマンリブ、育児問題etc. 家族社会学がフィールドとする問題は山ほどあるが、そのどれもが「家族社会学」に蓄積された成果を反映する形で議論されている。しかしながら落合は、「家族社会学」が蓄積してきた成果そのものを議論の対象にしているのだ。
普通の学者ならば、自分の研究分野の枠組みなどという「パンドラの箱」には絶対に手を出さないだろう。パンドラの箱を開けてしまえば最後、学者は「反逆者」のごとく同業者から集中砲火を浴びせられるのがオチだ。こういう現実から、私は素直に落合の勇気に敬意を表したい。「学問をする」ということは、学問の中に留まることではなく、学問そのものを疑うことではないだろうか。
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[ 内容 ]
初版から10年、晩婚化は進み、出生率はさらに低下した。
日本の家族は何が変わり、何が変わらなかったのか。
現在の家族像を捉えるため、長文の序文を書き下ろし、データを全面的に更新した。
山川菊栄婦人問題研究奨励賞受賞。
[ 目次 ]
プロローグ 二〇世紀家族からの出発
1 女は昔から主婦だったか
2 家事と主婦の誕生
3 二人っ子革命
4 核家族化の真相
5 家族の戦後体制
6 ウーマンリブと家族解体
7 ニューファミリーの思秋期
8 親はだめになったか
9 双系化と家のゆくえ
10 個人を単位とする社会へ
エピローグ 二一世紀家族へ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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我々が当たり前だと持っている「家族」の枠組みや「社会」が、人口構成に基づいた1世代(約25年)ほどの期間に起った一時的なものであることを鮮やかに、そしてわかりやすく解き明かしてくれます。我々が「家族」を懐かしいと感じるのは、「三丁目の夕日」でも「サザエさん」でもこの時期(1955-1975)に集中しています。
日本で人口爆発が起ったのは、それまでの多産多死から多産少死に移行したためであり、この移行期は1925年から1950年生まれの、兄弟の多いいわゆる団塊の世代を含む世代にあたります。この世代は、都市化、工業化の社会変化の中で、長男のみが家を継いで「家制度」や「ふるさと」を堅持し、次男以降は都会に出て夫婦二人子供二人の画一的ないわゆる核家族を形成しました。子供が少なくなったのは、それまで生産財(働き手)だった子供が消費財(可愛がるもの)として手間とお金をかけるものになったためであり、同時に母親の誕生でもある、といいます。(昔は乳母や里子も当たり前だった)。非効率的な終身雇用や家事を主体とする専業主婦が誕生するのは、あふれる人口に対する雇用の確保のためとも考えられます。圧倒的な人口多数を占めるサラリーマンとその妻、そして子供二人が標準家族として年金や税金をはじめとする様々な社会制度が整えられました。持ち家比率8割はこの世代で達成されたものです。政治的にも、いわゆる「55年体制」という自民党と社会党による安定した構図が形成されました。この頃の高度経済成長の戦略には、人口爆発した国を養うための必然性と切迫感もあったようです。その危機意識が、社会的な福祉を会社や家族のバッファー(社宅などの福利厚生や育児・介護に関する兄弟の相互扶助)として補っていたものと思われます。
家族の崩壊や「昔は良かった」という話は、ほとんどこの標準家族を基準に語られています。では、その後そこから何が崩壊した(変わった)のでしょうか。まず一番に、しわ寄せがきたのが、専業主婦でした。家事という無給の労働をすることが当然という画一的な家族像に対する疑問から、1970年代からウーマンリブ運動が起りました。そのエネルギーが育児に集中することにより、親子の依存関係が強くなる傾向も生まれ、親離れできない子供や、育児が終わった主婦の思秋期や不倫が話題になったりしました。女性が家庭を出て働き始めたことが家庭崩壊の原因だという議論がありますが、これは全く逆で見当違いであると著者は言います。1980年代からは上述の移行期世代の二人の子供が大人になりはじめ、少子化に伴ってそれまであった兄弟ネットワークがない状況での育児、介護負担が大きな負担となってきました。家庭崩壊や家族ゲームということが叫ばれはじめ、近代家族の型や構造が実体とずれて、崩れ始めるのはこの頃です。地域のネットワークや運動に女性が参加し始めたのはこの頃だと言われています。兄弟のネットワークと地域のネットワークは相補的(どちらかがあれば、どちらかはいらない)だったようです。この世代以降、少子化のために父系の「家」を相続することが困難であることも多く、娘であっても養子を入れて家を継いだり、結婚後も嫁ぎ先の親の面倒のみならず、自分の親の面倒も見ざるを得ない状況も多く出てきました。それまで娘は「嫁いだら二度と自分の家の敷居はまたぐものでない。」と言われていたのが、かける言葉が「どうしても我慢できなければ、いつ戻ってきてもいいんだよ。」へと変わってきました。人口比率の高い上述の移行期世代が高齢になるにつれ、その負担は大きくなり、そのすべてが主婦に依存していたことからこのシステムは崩壊せざるを得ませんでした。介護保険はこの負担を解放し、社会的に面倒をみる国民的合意を得たという点では画期的と言えるかもしれません。いずれにしても、家族の崩壊は、規範が廃れたというよりも、その前提条件となる人口構成の変化によって社会規範によって我慢していたバッファーの限界を超えたと考えるべきでしょう。そしてその我慢が女性に集中していたとみるべきでしょう。
それでは、これからの家族の形はどうなるのか。確実に言えるのは固定的な父系家族は破綻し、柔軟な双系家族にならざるを得ないことです。標準家族にいた親と同居する「田舎の兄さん」と世話をしてくれる「長男の嫁」はもういないのです。夫婦別姓もその流れにあるのかもしれません。介護保険の力を借りた柔軟な近居や二世帯住居が主流になると考えられます。また、標準家族が崩壊している以上、政治の対象が家族単位であったものが個人単位に変化してきます。男性にも家事能力が求められる反面、女性も社会進出が求められ、これまでのような三食昼寝つきの主婦業は成り立たなくなるかもしれません。男性には家族分の給料が支払われなくなるかもしれないのです。個人単位の社会とは、必ずしも文字通りの一人暮らしを意味するものではなく、地縁、血縁のつながりが希薄になる中で、自ら積極的に選び取る選択縁(社会学者の上野千鶴子氏の言うところの)のゆるい関係が主流になるのかもしれません。
著者は、「なぜ女性は主婦にならなければいけないのか」という素朴な疑問を追求していたら。社会学者になっていたそうで、「女性の生き方」と「家族」、そして時代の流れを女性の視点から、あるいは人口学的な観点から客観的にクリアにしてゆく様は感動的ですらありました。