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紙の本
波乱万丈の音楽SF。大傑作。
2007/10/29 19:41
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャズ・ナチス第三帝国・SF、という三題話である。私はその仕掛けを知らず、その前に読んだ『モーダルな事象』が圧倒的に面白かったので、そちらからさかのぼる形で手にとった。こちらも『モーダル』に負けず劣らずの痛快作であった。長編ミステリの世界に浸る楽しみを満喫した。
メインとなる舞台は、1944年崩壊間近のナチス第三帝国の首都ベルリン。神霊音楽協会所有の城館で、ナチスドイツ帝国の存亡に関わる秘密の音楽会が催されようとしている。この音楽会にはただならぬ秘密が隠されている。この音楽会に巻き込まれていく、日本人女性ジャズピアニストの主人公の運命は…。
というような物語が、著者独得の寄り道の多い饒舌な文体で物語られていく。開巻、現代のジャズ喫茶(東京都国立市)でのセッションから始まった物語が、ナチス第三帝国へ舞台を移すタイム・トラベルの展開は、SFやミステリをある程度読みなれた者なら大丈夫。しかし、この物語を楽しめるか否かは、読者のSFリテラシーにはない。この小説の関門は、ジャズをある程度聞き込んでいるかどうかにある。プレイヤーの名前や歴史・理論などを聞きかじったことがあるかどうかが大きい。奥泉氏得意のオカルト理論も登場し、ロンギヌスの石だの、オルフェウス音階だのが出てきても、こちらはミステリーを読みなれていれば、小説の彩りとして味わうことができる。しかし、ジャズにまつわる部分は著者の筆がいささか「本気」なので、読者もちょっと心得がある方がよいと感じた。
簡単なチェックテストは、タイトルの鳥類学者である。これを英語に直して、オーニソロジーと読みおろして、「なるほど」とピンとくる人たちに向けてこの小説は書かれている。うかつなことに私自身は、末尾のサービス・トラックの部分まで来て、漸くタイトルに合点がいきました(遅すぎ)。
主人公の女性ジャズ・ピアニストの造詣も秀逸。池永希梨子、おんなバッパー「フォギー」なんて、カッコいいではないですか。本当は話が逆ですが、『バナールな事象』の主人公の一人、ジャズ・ヴォーカリストの北川アキのカメオ出演を楽しむこともできます。
あのジャズ理論講義の金字塔、菊地成孔『東京大学のアルバート・アイラー』(メディア総合研究所)と並べて読むという濃い読書がオススメです。両者をつなぐ鍵人物として、ピアニスト山下洋輔が解説の筆を取っています。
紙の本
魅力的な小説世界に作者自身の書き手としての迷いが微妙に映し出された秀作
2004/08/05 01:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花月 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品について語るとすると、特段、テーマ探しなどをしなくても、ユニークかつ魅力溢れる主人公や登場人物、そして、物語の上で重要な役割を担っている愛らしい猫たちが、第二次大戦末期のドイツという一つの大きな時代の転換点で繰り広げるハラハラドキドキ、抱腹絶倒のドラマを素直に味わえばそれで十分であるとも言える。
しかし、それだけではやはり面白くないので、あえて作品のテーマを考察してみることとする。
主人公と同じような、既に若者ではないが、かといって中年の自覚もない30代半ばという年齢の人間が、少なからず心に抱くであろう疑問。それは、いままでの自分の生きた方への疑問、焦燥感、これからの人生に対する漠然とした不安感などであろう。
そして、そういったものと上手く折り合いをつけ、これからの自分の人生に臨むにあたって自己を肯定的に再確認しようとする一連の通過儀礼を、この作品はコミカルなストーリーの中に織り込ませているとも言えるのではないだろうか。
そのように考えると、主人公フォギーは、その性格や行動パターンから推し量られる通り、この物語の中で、いわばトリックスターとしての役割を与えられていることに気づかされる。
このことから、霧子とフォギーは、設定上、時空を超えて同年代同士で生きる孫と祖母として描かれているが、実際には同一人物の表と裏(光と影)を表しているものと考えられる。霧子という影の人格の求める真理=至高の音楽は、まさに現代のフォギー=キリコが毎日の生活の中で確信が持てなくなった音楽への想いであり、演奏することつまりは生きることの意味である。
トリックスターとしてのフォギーによって、霧子は自分の追い求める音楽=人生の意味を再確認するのであるが、霧子の旅は、自己の救済の旅でもあったようだ。
その旅の終わりに待っていたものは、結局、青い鳥だったのだろうか。
哲学的な真理の追求の中ではなく、他者との関係性の中に存在意義があるというフォギーによって見出された一つの解答は、作者自身の創作スタンスへの迷いとそれに対する一つの答を示しているように思える。
芥川賞受賞作「石の来歴」を始めとしたいわゆる純文学を志向していた作者が、まさに純粋な文学を志向することで作者の内面への探求と哲学の構築という実存主義的な方向から、エンターテインメントという読者との関係性を重視する表現形式に転換する。そうすることで、読者との対話の中に作品の存在価値を求めようとする創作スタンスの根本的な転換の是非を作者自身がこの作品を通して自問し、一つの解答を得たのかも知れない。