紙の本
何でも食してきた檀一雄氏による豪快な食のエッセイ集です!
2020/11/01 12:21
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『天明』(野間文芸賞)をはじめ、『リツ子・その愛』、『リツ子・その死』、『長恨歌』、『真説石川五右衛門』(直木賞)、『火宅の人』(読売文学賞)などの名作を次々に発表されてきた檀一雄氏の作品です。同書は、およそ咀嚼できるものならば何でも食ってしまうというのが人類の大きな特質ですが、そのなかでも著者はその最たるものと言われるくらい、先入観も偏見も持たず、国内国外を問わず、美味を求めて放浪し、その土地土地に根付く人々の知恵と努力を食してきた方です。現代に生きる私たちの食生活がいかにひ弱でマンネリ化しているかを痛感せずにはおれない、著者による豪毅な食のエッセイ集です。ぜひ、一度、お読みください。
紙の本
簡単に手が入るものがある。一方、今では食べられなくなったものもある。舌なめずりするだけだ。
2004/08/01 14:47
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投稿者:7ひきのこぶた - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は作家として有名だ。作品には『火宅の人』などがある。その『火宅の人』の昨年3月発行の新潮文庫改版の帯に「妻子を放り、愛欲に溺れ、世界を彷徨し、すべてを失った男が独りで作るタンシチューのなんと侘しいことか!」とあった。帯の“アオリ”文句は、すべてを失った無頼派の侘しさを強調しているのだろうが、私はタンシチューが作れるということ自体にびっくりした。もっとも、著者には『檀流クッキング』というのもあるように、文壇でも一、二を争う名料理人だったと聞いたことがあった。
本書は、雑誌『旅』に昭和40年に日本編、47年に世界編が連載され、両方をまとめて48年に日本交通公社から出版されたものである。したがってこの本の情報そのものは、30〜40年以上のものだから、古いに違いない。しかし、食に対する向かい方は、古くはない。むしろ、現在の“似非グルメ”ブームから見ると、原点に立ち返っているようだ。先入観も偏見も持たず自ら咀嚼する—そこにはノーガキなどはない。「俺は美味いと感じる」という意見だけで、誰にも同意は求めない。
第一、著者自身がセミプロ料理人なのだから、どこそこの店のなんの料理といったようなものでは満足しない。その土地の食材を、家庭料理で食べる。ときにはなにやらわからない食材でも拒否しない。そういう意味では“グルメ(美食家)”ではなく、“グルマン(食いしん坊)”なのだろう。
ちなみに、著者の息子の壇太郎氏も料理の著作がある。現在はどれも絶版なのは残念だ。今でも「食」エッセイを著しているのだから、できれば新刊を期待したいところだが、それが無理ならせめて再版はできないのかと願う。
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日本のみならず海外までをも放浪し、その土地その土地の庶民的な "味" を堪能するエッセイですから。
ちょっとした旅行気分ですから。
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借りた所:川崎市図書館
借りた日:2007/08/01-2007/08/16
2007/08/16-2007/09/04
読んだ日:2007/08/01-2007/08/16
2007/08/16-2007/09/04
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壇先生が日本全国、世界中の津々浦々のB級グルメを食べて回る。
でも書かれたのが1970年代、あのバブル前のいい時期である。
この後訪れたバブルによってこの本に書かれていた
ほとんどの「土地のうまいもん」は消滅してしまったように思える。
食べ物の墓標を見ているような気分になったが
地方に行けばまだ食べられるのだろうか。
21世紀を生きる人間にとってはなんだか祈りたくなるような本だ。泣ける。
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Like a rollin' stone!.
檀一雄とは、私にとって小説家ではなく、一つの人生モデルである。
こういうジジイに私はなりたい。
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交通機関が発達して、国の内外に何れも容易にアクセス出来るようになった現在、このエッセイに新鮮味が無くなったように思える。
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文章が良いですねえ。一段落が短くて、クリスピーで、食べ物と土地に対する愛情があふれていて。こういう骨太で乾いたエッセイが僕は大好きです。
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ああ、美味しかった…と言うのも変ですが、土地ごとの美味しい食材や料理、旅とともに食事を楽しむ壇さんの魅力もさることながら、かつての文壇を賑わせていた小説家たちがちょいちょい顔を出すのが面白く。
丸ごとおいしい一冊でした。ご馳走さまでした。
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PIRIPIRIする のPIRIPIRIの部分はポルトガル語の唐辛子という意味なので、そこが語源ではよ筆者は考えていた
生で魚を食べるようになったのは歴史学者のいう近年だとか
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壇一雄氏の「美味放浪記」、1776.5発行です。国内編と海外編に分けて書かれてます。国内編では私の故郷の山陽道について記述がありました。「日本でどこが一番日本的食品に恵まれているかと云えば、これはもう考えるまでもなく瀬戸内地帯である。明石~小豆島~児島~鞆~尾道~呉~広島~岩国、魚介類の宝庫、これほど原料の贅沢な地帯は世界でも珍しいに相違ない。」私は広島県の瀬戸内沿岸での暮らしは18歳までですが、故郷を褒められた気がしてw、嬉しかったです(^-^)日本はどの地域もすべからく食の宝庫ですね(^-^)
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壇氏の国内外の食べ歩き録。しかし、色々なところに行っているなと、行動力、人脈、そして食への探求心には感心させられる。読んでいて、ここ行きたいな、と思わせる良書。
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今から四十年以上前に雑誌連載されたグルメエッセイ。国内編は、旅情を感じさせる記述が少なく、訪れた店の名や各地の産物などの羅列で、古いですので旅の参考になるわけでもなく、ちょっと退屈。海外編は、著者自身の過去の放浪を振り返って書かれているので、少し幅が出ています。
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★3.5。
今まで読んだ食べ物関連のエッセイと違って、庶民なんです、題材が。
当方が生まれたずっと前の話ばかりなんですが、食感というんでしょうか、イメージが付くものが多く。海外モノも然りですが、やはり国内編がとみにそうで。
しかしまぁ、ヒトは今も昔も食なんですなぁ。
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この年代の男性にしては極めて珍しく、食べることへの執着心もさることながら、自らが料理を作ることをこよなく愛した檀一雄が、取材という名目で日本・海外の各地を巡り、現地での飲み食いや、市場に溢れる豊かな食材などを描いた紀行エッセイ集。
出版から数十年が経っているが、日本各地の名産は当然大きく変わるものではなく、その現地が最も美味いとされる魚や肉、野菜、肉などをとにかく食らいつくしていく様は痛快であると同時に、日本の風土の豊饒さを実感できる。にしても、旅先でも自らの料理熱は変わらず、ときには飲食店の軒先を借りて自らが市場で買った魚や肉を煮炊きするなど、料理への熱情にはやはりすさまじいものがある。