投稿元:
レビューを見る
ふつう偉人伝と言えば、○○年にどこそこで誰それのもとに生まれ・・・的なお話から始まるが、この本の冒頭はマーラーとフロイトの出合いである。
ん?と思って奥付をめくると、著者はフロイト学者だった(ちょっと嫌な予感)。
フロイトとの出合いとは、妻アルマの浮気などで神経症に陥っていたマーラーがフロイトと「精神分析的な会話」を行うためだったという。(マーラーは時に錯乱して床に突っ伏して泣いたりしていたらしい・・・その方が地面に近いから、と)
次いで語られるのは、マーラーの出自がボヘミアのユダヤ人であったこと(まだ「本編」は始まらない)。「オーストリア人の中ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、全世界の中ではユダヤ人として」見られ、どこへ行っても一種よそ者のような気分だったようだ。
(ちなみに、このくだりからはユダヤ人がなぜ憎まれ、差別され、ホロコーストにどう繋がって行ったかの一端も読みとれ、興味深い)
こうした重たい逸話から話が始まっているのは、もちろん奇をてらったわけではない。
アイデンティティーの揺らぎやいささか分裂的な性格が、「クラシックの崇高な音楽に軽薄な民俗音楽が突如割り込んで来る」といった書法や、交響曲の枠組みを遙かに超えて人類普遍の芸術に到達したマーラー音楽の本質、ひいては本書のテーマに結びついているということなのだろう。
「主題労作」(面白い言葉だ)=形式論ではなく、フロイトの夢判断の手法(圧縮、置き換え、象徴化・・・)を使った楽曲分析も実際に行われているそうだ。
著者自身、あとがきで子供の頃からマーラーに嵌まったためにドイツ文学を志し、フロイト学者になったと告白しているが、フロイト学者がマーラー伝を書くのは、たまたまではなくむしろ必然だったようである。
後半の楽曲解説は詳細を極めるが、歌曲のほか第2や第8といった曲を(芸術上の重要性で劣ると見なして)敢えて外している。この手の書物としては乱暴だと思うが、「通常の伝記」を逸脱してマーラーの芸術論や歴史的意義を語り尽くすことに主眼を置いたためだろう。
このように、卑近かつ啓蒙的な生涯紹介とは違うし、「フロイト」には軽く拒絶感もあるけれども、かなりコクのある「伝記」であった。