紙の本
人生はゴールインすることではなく、歩いていくことこそが目的
2006/01/05 23:28
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
融(とおる)と貴子が通う高校には毎秋恒例の行事があった。80キロの道を一晩かけて全校生徒が歩き通すのだ。高三の二人にとっては最後の歩行祭で、貴子は融に対してひとつの賭けをすることになる。その賭けとは…。
貴子と融の間に横たわるわだかまりは、そもそも当人たちの想定外のところで生まれたものです。自分たちの力の及ばないその出来事を、二人は長年びくつきながら抱え込んできました。そして二人が少しずつ歩み寄りを見せるのは、夜のピクニックという不思議な「いつもと違う浮かれた世界」である歩行祭の中でのことです。
物語の終盤で、貴子は賭けに勝ちます。焦燥を癒す一瞬が貴子と融には訪れるかに見えます。歩行祭同様、二人の目的もゴールを迎えるようでもあります。しかし実はそれがひとつの終わりや区切りを意味するわけではないことを悟るだけの知を二人は持っています。そのことを示す、この小説の最大の見せ場ともいうべき次の言葉を私はとても美しいと感じました。
「これから先、二人を待ち受ける長い歳月。言葉を交わし、互いの存在を認めてしまった今から、二人の新しい関係を待ち受けている時間。もはや逃げられない。一生、断ち切ることのできない、これからの関係こそが、本当の世界なのだ。
それが決して甘美なものだけではないことを二人は予感していた。」(330頁)
マラソンの二倍近い距離をゴールするという物語を通してこの小説は、人生とはゴールすることが目的ではなく、歩んでいくことが目的だということを静かに語っています。多くを引き受けながら、そして清濁併せ呑みながら歩み続ける。そこに人生の深みが潜んでいるのです。
高校生の二人がそのことに少しずつ気づいていくであろうことを確かに予感させるこの物語を、私はぜひ多くの若者に読んでもらいたいと感じます。
紙の本
自覚してファンタジーに参加する、ということ
2004/09/13 18:34
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:UMI - この投稿者のレビュー一覧を見る
「絵のように美しい景色」も「栗のように美味しいカボチャ」も、いつも下らない例え方だな、と思っていた。どっちも美しいし、どっちも美味しいのに、なぜわざわざ他のものに例えられなければならないのだろう。何かに例えてわかったような気になるのは人の悪い癖だろうと思う。だからこの作品を読んで、『黒と茶の幻想』だな、と思った自分は少し下らない人間のように思えた。
朝の八時から翌朝の朝八時まで歩き続けるという高校行事「夜間歩行祭」が、今回の舞台である。同じクラスになってしまった異母兄弟を軸に、物語は進んでいく。大きな事件が起こるわけではないが、歩くリズムと会話のリズムが心地よく、すいすいと読んでしまう。スパイスとして、ちょっとしたホラーとちょっとしたミステリーが加わっているあたりも恩田陸らしい。
ただ歩くだけの行事なのに、彼らは「修学旅行よりいい」と言う。それは、夜になって隣で歩く親友の顔も見えなくなったときに、普段は言えないことも言えるという魔法がかかるからじゃないかと思う。本当はみんな、本音を語る機会をじっと待っている。今だから言っちゃうけどね、と口を開く機会を狙っている。
大人には高校生活そのものがすでにファンタジーになってしまっているけれども、その中のイベントはさらにファンタジー色を強める。彼らはそれを自覚しながら非日常の世界を自分の足で歩いていく。昼と夜との境を、大人と子供の境目を、危ういバランスで彼らは歩く。
ただ歩くだけの行事で、どうしてここまで高校生の頼りない清々しさを見事に描ききってしまえるのだろう。たった一晩の出来事を描くだけで、読む者の心をこんなにも簡単に過去へ連れ出してくれるというのは、一体どういうことなのだろう。
恩田陸に限っては、例えるものがまるで思い浮かばない。
紙の本
高校生ぐらいのときに読んでおきたかった。
2020/07/04 09:52
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投稿者:makiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校の行事で、えんえん朝から翌朝まで歩き通す間に、異母きょうだいとの感情のもつれをほぐし、友人との友情を再確認するストーリー。まだ精神的に成長しきらない高校時代のいざこざや感情を思い出しました。高校生ぐらいで読んでいたら、また違った感想を抱いただろうと思います。
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☆4つ半がないけど、4つ半で!
恩田陸の中でも、かなり好きな部類に入る。普通の青春小説といってしまえばそれまでだけど、ただ歩くというこの行為がどれだけ思い出に残るか考えると、小説の事ながらいいな〜と思った。ノスタルジー。
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あの一夜に起きた出来事は、紛れもない奇蹟だった、とあたしは思う。
夜を徹して八十キロを歩き通す、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。
三年間わだかまっていた想いを清算すべく、あたしは一つの賭けを胸に秘め、当日を迎えた。去来する思い出、予期せぬ闖入者、積み重なる疲労。
気ばかり焦り、何もできないままゴールは迫る――。ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。
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あの一夜に起きた出来事は、紛れもない奇蹟だった、とあたしは思う。
夜を徹して八十キロを歩き通す、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。
三年間わだかまっていた想いを清算すべく、あたしは一つの賭けを胸に秘め、当日を迎えた。去来する思い出、予期せぬ闖入者、積み重なる疲労。
気ばかり焦り、何もできないままゴールは迫る――。ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。
【感想】http://plaza.rakuten.co.jp/tarotadasuke/diary/200410020000/
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夜を徹して八十キロを歩き通すという行事がある高校。
行事の行われる1日、さまざまな思いを抱える少年少女を描く。
この行事、とても羨ましく感じた。
爽やかな印象が残る話。
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80キロを歩きとおすという「歩行祭」―恒例となった学校行事。クラスメイトの貴子と融のそれぞれの視点から描かれた最後の高校行事。融に対してわだかわりを持ったまま高校生活を終えたくないと、心の中である賭けに出た貴子だが―。
この作品で描かれるのはただひたすら「歩行祭」である。ただひたすら歩き続ける。リアルな疲労と他愛もないクラスメイトとの会話が続く。なのになんでこんなにも面白いんだろう!!
スティーブン・キングの『トム・ゴードンに恋した少女』が頭に浮かぶ。少女がただ森に迷い込んだだけの話だった。登場人物も物語全体の95%で、その少女だけだった。なのにどうしてこんなに面白いの!?下手したらいやみともとれる天才ストーリーテイラーの実力を見せ付けた作品だと思った。事件なんて起こらなくても、いろんな人が関わってこなくても、読者を引き込む作品はつくれるんだよ、と言われてる気がした。
この作品からも同じものを感じてしまったのだ。ストーリーテイラーとしての才能。高校最後の行事に「しょうがねえな」と思いつつやり遂げようとする仲間、それぞれの恋愛事情、貴子と融の微妙な緊張関係、アメリカに移住した友人の影。ただひたすら歩く二人の主人公に絡んでくるこれらの雰囲気に、めちゃくちゃ惹きつけられる。上手いね、この人。他の作品も読まなくちゃ…。
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☆☆☆☆+
恩田陸の中でも、かなり好きな部類に入る。普通の青春小説といってしまえばそれまでだけど、ただ歩くというこの行為がどれだけ思い出に残るか考えると、小説の事ながらいいな〜と思った。ノスタルジー。
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★★★★★ ★5つですー!
うむ。面白い。恩田陸作品いくつか読んだ中でも、「常野物語」と私の中で並ぶぐらい、よいですっ!
なんというか、自分の高校生の頃を思い出して、胸のあたりがむず痒くなるような、「そーそー、こんなこと思ったりしてたー!」と悶えるような、そんなセリフや心理描写。確かに主役クラスは、北村薫の「私と円紫師匠シリーズ」の主人公“私”ような、なんとなくの非現実感があるキャラだけど、脇のキャラ設定が非常に秀逸。あーこんな女いたなー、とか思っちゃうワケですよ、遠い目なんかして。
きっとこの本って現役の高校生が読んでも、面白くないんじゃないかしらん。微妙に今時の高校生像からは離れていると思うし、ある意味小説的なというかフィクションっぽい設定がされているし。高校時代がすっかり思い出になっちゃった年代が一番楽しんでしまえる気がいたします。
この、終わった後が知りたいんだよぉー、続編はないのかよー、と思わせられるのは恩田作品の特徴なのでしょうか。前出の「私」のように、彼らの大学生、社会人と成長していく様を見届けたい気分でいっぱいです。
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甲田貴子と西脇融(とおる)は、異母きょうだい。遠く離れて暮らしていたはずの2人は、同じ高校に入学し、3年で同じクラスになってしまう。
北高では、修学旅行代わりの鍛錬歩行祭が毎年ある。
1200人の全校生徒が、80キロの行程を朝の8時から翌朝の8時まで、夜中に数時間の仮眠をはさんで、一日がかりで歩きとおすというものだ。
前半はクラス毎に、そして後半は自由歩行になっているため、仲の良い者どうしで語らいながら、高校時代の思い出創りに励む。
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これは大好き。お得意の学園モノ。登場人物の設定がまたもや美男・美女揃い。しかも全員すごぶる個性派。微妙な血縁関係をキーに物語は進みます。学校最後のイベントの中で友人や家族の愛情が徐々に明らかにされてゆく暖かな物語。お勧めです。
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夜を徹して80キロを歩き通すという"歩行祭"、とある高校の行事。この日、1つの賭けをした少女がいた。少女は、賭けに勝つか負けるか、その後はどうするか考えながら、歩いていく。 修学旅行の変わりにある歩行祭、どこかでこの設定を読んだ気がする。ちょっと検索をかけてみたら『図書室の海』にこれのプロローグとして「ピクニックの準備」があるとのこと。この作品読んだけどこれじゃない気がする。確かかどうかわからないが山口美由紀の『V-K☆カンパニー』のエピソードにあったような、違う作品だったかな? だけど、誰かの漫画だったような気がする・・・と、そんなことはどうでもよくって、この作品、恩田さんには珍しく怖いことも変なことも起こらず、ただ、青春の真っ只中にいる少年と少女の情景を綴っており、読後に爽やかさをもたらしてくれるいい作品でした(^^) 「ピクニックの準備」も読み直してみよう。
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私の大好きな恩田陸さんの本領発揮!!って感じの作品です。実はまだ最後まで読んでいないんですけれども...誰も死なないミステリーって大好き♪
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『図書室の海』で予告がなされていた「歩行祭」の一夜の物語である。
普段体験することのない肉体の疲労感と精神の高揚感のなか、それぞれが自分なりの決着をつけようと臨んでいるのが まさに高校生 という感じで羨ましくもある。通常ならば見せない顔を見せ、虚飾を取り去ったところに残るものは このあとの人生に於いても大切なものになることだろう。
物語の筋とは直接関係はないが、《 何かをしてあげる プラスのやさしさと、何もしないでいてあげるマイナスのやさしさ 》という言葉が心に残った。
ただ歩き通すだけ というシンプルな行事の持つ意味はとてもとても奥の深いものなのだ。