投稿元:
レビューを見る
普通の、小説家ではない太宰治さんの文章といった感じがしました。卵と味噌の料理など、青森県民にとっては、「分かる分かる」と思える部分が多いのではないでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
よし、私も、蟹田で蟹を食べて、竜飛岬に行って、この本のとおりに太宰の旅をなぞって、金木の斜陽館にも行っちゃうもんねと、津軽に行くのがささやかな今の夢でありんす。
ラストがすごくいい。ああいう鮮やかな言葉で終わらせるところは、まさに太宰の真骨頂という感じ。
投稿元:
レビューを見る
『津軽』は、もう少し太宰作品を読んでから手をつけるべきだったなって少しだけ後悔。著作を読み尽くすほどの好きな作家になっていたら、もっと楽しく読めたんだろうな。生憎あたしはまだ太宰作品初心者だから(涙)
津軽の歴史についてかかれてあったことはほぼ忘れちゃったけど、でも新鮮でなかなか面白かった。
終わり方が良かったと思う!
投稿元:
レビューを見る
太宰治が故郷について書いたもの。最初はなんだか退屈だったが、次第に作者の内面に迫っていって興味深い。これまでの鬱屈したイメージとは一味違って生身の作者に近づいたような印象。
投稿元:
レビューを見る
津軽の地理と、雪国の気候にめっきり明るくないので、太宰さんの読んでて初めて苦しい!と思った作品。地理と歴史の描写以外は、どれも楽しく嬉しく読めたんだけどなぁ。でもラストがやっぱり太宰だ!という感じで、爽やかで感動したので★5つです。なんだかんだ言いましたが、これよんで津軽に行きたくなった。今でもこの景色は残ってるのかなぁ。
投稿元:
レビューを見る
太宰治が故郷の青森を旅する話。津軽にまつわる歴史や、友人・親戚、そして自分を育ててくれた、たけとの再会など。
今まで、太宰治=暗い・・・というイメージを持っていた。が、この本ではそういった暗さはあまりなく、太宰の生き生きとした感じが伝わってきた。こんな明るい一面もあったのかと、新鮮な驚きを与えてくれた一冊。それにしても、文中に「国防上重要なため、これ以上の記述を控える」っていうのが時代を感じさせる。(2004/2月頃読了)
投稿元:
レビューを見る
2006. 10月頃
つらつらつらつらと独りよがりのお国自慢か。そんなものは本当の太宰狂いか青森県民しか興味はないのだ。しかし最後の最後でまさかまさかの急展開。僕は不覚にもちょっと泣いてしまった。
投稿元:
レビューを見る
太宰作品と青森の津軽地方についてある程度の知識を得てから読むと良いかも。
前半は地理的描写が多く、なかなか頭にイメージが湧かなかった。ページが進むにつれて内面描写へと移行していく。
最後の育ての親に会いに行く場面は胸に来た。
太宰の思考回路は、卑屈で気弱でいやらしく見える。しかし、それは確実に自分をも映す鏡である。
投稿元:
レビューを見る
「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」
斜陽館は 津軽の大地主で太宰治の父、津島源右衛門が建築した入母屋造りの建物で、明治40年6月に落成。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸。
投稿元:
レビューを見る
実はあまり太宰が好きではないのだけれど、これは好きで楽しく読める。ただ時折彼が暗い、どうしようもないものを見つめているところがあって、そこが今はまともに読めない。だましていないわけはない。最初からそのつもりでいるのがはらただしい。
投稿元:
レビューを見る
安心して穏やかな気持ちで読める。
若い頃って、両親とか故郷とか、そういう生まれついてのものを格好悪く思ってしまいがちやね。
終盤、言葉が上手く出てこないほど感動。
・・・にしても「貴公子」だの「羽織」だのにまで注釈をつけたのは誰や!?
そんなんやから注釈だけで40Pも使う羽目になるねん!
読みにくーてしゃーなかったわ!
08.10.14
投稿元:
レビューを見る
津軽を読む際には青森や津軽の地理を頭に入れたほうが良いとよく聞きますが僕はそのあたり頭に入っているのですんなり読むことができました。1読目はただの紀行文かと思ったが、2読するにつれたけとの再会シーンがあっさりと描かれていることに妙に感動というかなんというか、読めば読むほどです。太宰文学の中では一番大衆に支持されやすいと思ふ。津軽人の僕にとってはたまらない一冊。
投稿元:
レビューを見る
生きるために、生活するために筆をとる。
津軽風土記の執筆を依頼されて3週間故郷津軽を旅する。
クライマックスは最後に育ての親、タケに会いに行くところ。
「大人とは、裏切られた青年の姿である」
「一生、だめかも知れない。ひびのはいた茶碗は、どう仕様も無い。
どうしたって、もとのとおりにはならない。
津軽人は特に、心のひびを忘れない種族である。」
「津軽の人よ、顔を挙げて笑えよ。
ルネッサンス直前の鬱勃たる台頭力をこの地に認めると断言してはばからぬ人さえあったではないか。
日本の文華が小さく完成して行きづまっている時、
この津軽地方の大きい未完成が、どれだけ日本の希望になっているか、一夜しずかに考えて、
などというとすぐ、それそれそんなに不自然に肩を張る。
人からおだてられて得た自信なんてなんいもならない。
知らん振りして、信じて、しばらく努力を続けて行こうではないか。」
優しさと繊細さで溢れた太宰を知れる一冊。
これを知って『人間失格』や『斜陽』を読んだらまた違ったかもしれぬ。
更にこの作品の終わり方がたまらない。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。
元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
投稿元:
レビューを見る
ちょいと久し振りに太宰ちゃん読み返した。
あああああ、やはり太宰ちゃん好きだ〜〜〜〜〜!!
文体が何と言ってもかわいいのよね。少女小説の源流はここにあるんじゃね?(テキトーなことをほざく)
なんか太宰って読んだことない人が抱いてそうな、うっすらと人間失格とか、さんざん心中未遂して相手の女殺して最後は結局奥さん残して別の女と心中とか、そう言った断片から構成したイメージとの間に果てしない乖離がある気がする・・・。そんなことないのかな?
それを「道化」と評しているけれども(これの中では「津軽人の性」となってるけど)、人を笑わそうとするユーモア精神ってのを一番に私は太宰に見ている気がする。それはそんなに暗い卑下するようなものというよりも、関西人とかと通ずるとこない?違うのかな〜。
文章とかにしてもめちゃくちゃ読みやすくって、少しでも多くの人に楽しんでもらいたい、という大衆性、サービス精神を感じるではないか。
わざわざそんな「心の病を感じる」とか読み込まなくってもいいんやないかな〜。
そしてこれを読んでるととりあえず津軽旅行したくなる(笑)今でもそういう風景残ってるんだろうか。あ〜、こういう旅行してみたい〜。(いや、知人とかいないので渡り歩くとか出来ないですけどさ)
投稿元:
レビューを見る
明るい太宰。すばらしいです。
底抜けの能天気な明るさじゃなくて、陰はあっても微笑して軽やかにかわしてくような明るさ。終わり方も素敵すぎる。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」
本当、こんなさわやかですばらしい締め方してる本久々に読んだよ。胸がすうっとしてあーがんばりたいなあという気分にさせてくれます。
世間一般には絶望の中の作家というイメージかもしれないけど、この生きようとする太宰こそすばらしいんだって声を大にして訴えたい気分です。