紙の本
自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などのひとたちのこころの世界を知りたいひとに
2008/01/25 16:56
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:緑龍館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、2007年に読んだノン・フィクション本の中ではベストかな。小浜逸郎と佐藤幹夫が呼びかけて開催している「人間学アカデミー」第一期講座のひとつを新書化したものとのこと。これは連続講座で、現在もまだ続いているそうです。この本を読んで私も受けてみたくなりました。
本書の著者は、臨床精神科医。佐藤幹夫との対談本である『「こころ」はどこで壊れるか - 精神医療の虚像と実像』と『「こころ」はだれが壊すのか』の二冊を以前読んだことがありますが、どちらも精神医療の現状や現代社会における子どものこころの病の問題を、現場から考察した本として非常にすぐれていると思います。
「人間学アカデミー」の講座ということもあり、著者の志向する精神医療が、たとえば「人間学的精神病理学」と呼べるようなものであるとするならば、それはどのような考え方、基本的スタンスに立ったものであるのか、ということを、著者の過去の学究時代の追想や精神医学の発達史紹介をまじえて紹介するところから、本書は始まります。精神障害というものを、現在の精神医学の主流では生物学的な障害、脳の中枢神経系の物質過程に起因する目に見える異常な症状として捉えるのに対して、著者は心の病の発現というものを、現代社会における人間の本来の(自然な)あり方のひとつの形態として捉えようとしているようです。これを著者自身の言葉で言うと、
「ここでは精神障害を必ずしも「異常性」としてはとらえません。すなわち精神障害とは、たしかにある特殊性をもったこころのあり方ではあっても、本来あるべきこころのはたらきが壊れて欠損した状態とか、逆に本来ありえない異質なこころのはたらきが出現した状態とは考えないのです。(省略)むしろ、人間のこころのはたらきが本来的にはらんでいるなんらかの要素や側面が強く現われると申しますか、ある鋭い現われ方をするのが「こころ」の病ではないか。」ということになります。
続いて本論では、著者がキャリアの中でぶつかった三つの問題 - 統合失調症、不登校、自閉症(と知的障害)というテーマに沿って、ここでもそれぞれの問題に対しての精神医学界における学説の発展と変遷史の紹介などもまじえながら、人間とはなにか、「こころ」とはなにかに対する著者自身の考察が述べられていきます。その中でも特に、このような障害を持った当事者がこの世界をどうとらえているのか、自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などの当事者の直接的な内的経験のありさまやこころの世界を、具体的に想像・類推させてくれる著者の分析には、目を開かせられる思いがしました。
また、「精神の発達」というものを、「認識」の発達(「まわりの世界をより深くより広く知ってゆくこと」)と「関係」の発達(「まわりの世界とより深くより広くかかわってゆくこと」)というふたつの要素を、x軸とy軸におく成長過程としてとらえ、このふたつが、お互い独立したものではなく、相互に支えあい促しあう構造をもっているため、精神発達は両者のベクトルとなるという観点から、知的障害と自閉症を解釈する考察は、今まで私の中でもやもやとふっ切れず、よく理解できなかったいくつかの事柄に、ある程度明瞭な形・視点を提供してくれたようです。
著者の考察や学説は、よくは分かりませんが、おそらく学会では定説や通説の評価を受けていないものが多いのではないでしょうか。しかし、自閉症や知的障害、統合失調症、躁鬱症などの「こころの病」と呼ばれるものが、脳や身体の生物学的な障害や異常に起因するものというよりは、より根本的には、「個」と「共生」という人間存在自体がもつ両側面からの矛盾・葛藤が現代社会の状況の中で個別に発現したものと見るべきであり、「発達障害」自体、もともとは自然の相対的な個体差に過ぎないものであるにも拘らず、人為的な線引きをしてレッテル貼りをしたものが病名とされているのではないだろうか、という著者の問題提起は、非常に考えさせられるものがあります。
最終章では、不登校の問題に対する考察が述べられています。高校進学率が90%を越え当たり前となってしまった1975年前後を境に、「不登校」という現象が現代の社会問題として浮上してきたという点に着目し、その原因に対する従来の説 -子どものパーソナリティー特性や家庭環境に起因するという見解、あるいは受験戦争や学歴偏重社会という歪んだ教育環境に原因を求める説- 両方に疑問を提起しながら、近代社会の幕開けとともに当初設定されていた「学校制度」自体の目的がこの時点ですでに達成されてしまい、そのレゾン・デートルが見失われた結果、学校の聖性や絶対性が失われ、学校システムが本来もっていた矛盾が顕在化せざるを得ない状況に陥ったため、不可避的に現われてきた現象が不登校である、というような見方を提示しています。
著者の学校制度に対する見解には、考えさせらる言及も多いのですが、しかしこの結論に対しては、私としては少々視点がずれているような感じがします。例えば、既にある程度の豊かな生活が実現して高校・大学進学が当たり前になり、より先鋭化された教育のひずみが問題となっているお隣の国、韓国において、なぜ「不登校」が社会問題として発生していないのでしょう?他の欧米先進国においても、「不登校」や「ひきこもり」は、社会一般的な問題とはなっていないようです。この問題を考えるにあたっては、例えば同じく臨床精神科医である関口 宏が『ひきこもりと不登校』の中で指摘している通り、戦後日本における社会状況と社会構造の変化の相の中で生じた日本独自の問題、ある意味ひとつの「社会病理現象」として捉える視点が不可欠であるように思えます。日本において学校の聖性や絶対性が、なぜ喪失されてしまったのか?それは当初の目的が達成されたためではなく、著者の滝川自身もその一面を指摘していますが、日本社会の変相がそれを打ち壊してしまったのだと思います。(もちろん、「学校」というものが「聖性」や「絶対性」を保持するべき存在なのか?という議論もあるかと思いますが、それはまた別の問題。)
→<a href="http://www11.ocn.ne.jp/~grdragon/books_2007_02.html target="_blank">緑龍館 Book of Days
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高校時代、校内カウンセラーの先生に薦められて読みました。
心理学のなかでも、「コミュニケーション」の問題に触れるには、とても良い本だと思います。
ものごころついたら、知識をもって現実を捉えることができるし、自分の考えていることを、言葉にすることもできる。
どうしてそれが可能かというと、親や兄弟や、自分に親しい他者に、教わるから。コミュニケーションの発達は、知能の発達につよく関係しているということです。
自閉症スペクトラムの話とかが出て来ます。心理学に興味があったら、平明な文章なのでわかりやすくて面白い本です。
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[ 内容 ]
マニュアル化された現代の精神医学は「こころ」を身体メカニズムの一種ととらえ、正常と異常の境界線をひいてゆく。
これに対して本書は、「こころ」の病はけっして「異常」ではなく、人間の「こころ」の本質の、ある現われとして把握する。
こうした立場から本書は、統合失調症、自閉症、不登校という三つの「ふしぎ」を取り上げ、「個的」でありながら「共同的」でもある「こころ」の本質に迫ってゆく。
私たちの「こころ」を根本から考え直す上で示唆に富む、人間学的精神医学の試みである。
[ 目次 ]
第1章 「精神医学」とはどんな学問か(「人間学的精神病理学」という流れ 人間の原理論から症状論・局在論 ほか)
第2章 統合失調症というこころの体験(統合失調症のふしぎ 統合失調症の苦しみと三つの可能性 ほか)
第3章 「精神遅滞」と呼ばれる子どもたち(精神遅滞と自閉症 精神発達とはなにか ほか)
第4章 自閉症のこころの世界(自閉症の発見と研究のはじまり カナーは自閉症をどうとらえたか ほか)
第5章 不登校と共同性(学校制度のはじまり わが国の学校の成功 ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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滝川先生がおっしゃるには、「この本は、一冊で統合失調症、自閉症、不登校の概略を学ぶことのできる内容になっています。」とのこと。確かに、緻密にしてわかりやすい社会認識及び対人関係論をベースとする疾病論は秀逸。
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小浜逸郎氏が主宰する「人間学アカデミー」という講座で、精神科医の著者が人間の「こころ」の本質に迫るべく、特に統合失調症、発達障害(特に自閉症)、不登校に絞って講演した内容を、加筆修正しつつまとめた一冊。
講演が元なだけに、表現は口語調でわかりやすい。
だからといって内容が浅いかといえば全くそんなことはなく、それらの病態を非常に平易な言葉で、且つより実態に即した表現で噛み砕いて説明、さらには一般の人々が陥りがちな間違った認識や偏見を正しく導き、また身近にそのような問題を抱えて苦しむ当事者をもつ人々にも寄り添うような、当事者とその周囲の人々への深い愛情すら感じさせる、非常に示唆に富む内容だ。
精神医学の歴史というかその変遷のなかで、どのように統合失調症や自閉症が受け止められてきたのか、それが今またどのように変わりつつあるのか、社会の中での在り方も考え合わせながら、その病気の本質を読み解いていく。そしてつまりは、それにこそ、人間の「こころ」の本質が隠れているのだ、と。
たとえば精神医学や心理学系の勉強をしたい人、教職を目指す人、また今実際に教育現場にいる先生方や保護者達、そして家族や周囲に精神疾患に苦しむ人を持つ方たちにはもちろんだが、統合失調症や自閉症について、あまりよく知らない人にも是非読んで欲しい。
彼らは決していわゆる「健常者」とは切り離された特別な人々ではなく、人間という生体が存在する中で、あくまで個々のばらつきの中のひとり、それぞれの人間の個体差の中に存在するひとりでしかないのだ。
私たちと連続する繋がりの中のひとりなのだ。
実は、引用登録しようと、これはと思う箇所に付箋を貼っていったら、10ページと置かずに付箋を貼り付けまくる派目に陥ってしまった。
それくらい、著者の言葉には説得力があり、こころの病に苦しむ人々への愛情があり、周囲の人々を救うものだ。
本作を読んで、「救われた」と感じる人は多いはず。
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体内の器官を、「臓器」としてみることは、そのものが本来持つ、感覚器としても意味を無くすことになる。それは、西洋医学が、人の身体を、内部と外部に分けて、絶対化したことの副作用だ。人の身体も、自然のモノ、どのように感じ、生きていくにも、存在するということは、西洋がいうような外部との関係性を持つということだ。決してそれは、他人というような遠い存在ではない。もっと身近でいて、もっと優しいものだ。人の心もそういうものだと思う。
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精神病・精神障害は「異常」な状態ではない。むしろこころの「本質」から発生するものだ……という観点に立って、統合失調症・自閉症・不登校といったこころの「ふしぎ」に迫っていく。
近年、フロイトの流れをくむ「心」の側からのアプローチをとる精神医学は肩身が狭そうだ。より実証を求める「脳」の側からの精神医学ばかりがクローズアップされている印象を受ける。
しかし、「ふつうの子」がこんなに「とんでもないこと」をしでかして! というとき、やれゲーム脳が原因だの、環境ホルモンの影響がどうだの言い出すのは、一面的すぎるのではないか。「正常」「異常」という分け方よりも、むしろ人間はそのように不合理なものであって、しかも成長過程にあるのならばなおさらだ、というとらえ方でないと見えないものがあるのではないか。そう説明されると、著者のアプローチは、なるほど魅力的なものに思えてくる。
とくに「自閉症」をどう理解するかという問題で、このアプローチは生きてくる。人間の精神発達の構造を 1)「認識」の発達 2)「関係」の発達 の2軸に分け、2)が「遅れる」ことが「自閉症」の本質である、と説明していくのだが、これは「自閉症候群」(アスペルガー症候群、高機能自閉症など)を統合して理解するために非常に納得のいくモデルだと感じた。足の速い子もいれば、遅い子もいる。同様に、「関係」の発達にも、早い子・遅い子がいる。自閉症は「病気」ではない、とはよく言われるが、この本で初めて「腑に落ちる」説明をしてもらったと思う。
この本は、他人の学説をずらーっと並べて紹介するだけの「入門書」ではない。実際に臨床に携わってきた医師が、どのように「こころの本質」を理解しようとしてきたかが見える本になっている。
たしかに、ただ「病」の原因を探すというだけでは見えてこないものがありそうだ。社会との関係・こころの発達のしくみなどを併せて考えていくことで、初めて得られる理解がある。部分からではない、こころの「全体像」から本質に迫る、非常に興味深い試みなのである。
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2004年刊。
著者は大正大学人間福祉学科教授。
「笑ウせぇるすまん」の喪黒腹蔵ではないが、「こころ」とは不可思議だ。
全ての人が有しているはずだが、その共通項を括りだすのも不可能に思えるほど。それが明瞭に現れるのが、心の病と健常性との連続性である。
本書は精神科医でもある著者が、不登校・統合失調症・自閉性障碍を素材にして、病の観点から心の問題を見つめようとする書である。
あまり纏めようとはしていない本書につき、要約は容易ではないが、心(病を含む)が環境応答の産物であり、環境とそれへの応答は共に多義的かつ個別的であって、それが明敏に見えてくるのが、心の病かどうかの境目が分明ならざる点ということは理解できる。
とはいえ、本書をみても掴みどころがないなという感慨しか生まれなかったが…。
もっとも、本書自体も問題がないではない。
心の病に関し、認知(枠組や特性)が疾病に影響をするということは踏まえているようだが、その認知を生むのは脳の感覚器官から入った情報が起因である点は分析的ではない。捨象しているわけでもないが、殆ど何も語らない。
人間が受け取る情報とその脳内と対外応答とを捨象する。いわば情報入手に関しマクロ的に見て、殊更考慮因子から除外しているよう。
そうなると情報受領とその応答のダイナミズム。この動的側面が過少となり、何とも概括的、外形的な、また静的な病因分析だなぁとは思わされた。
例えば、自閉性障碍において高い不安緊張にあり、また感覚過敏が顕著であるという。
しかし、どういう感覚過敏なのか、高い不安緊張を生むことと感覚過敏の内実との関係性は?、長期にわたる感覚過敏が認知枠組みに与える影響など、全く言及がない。
が、ここにメスを入れねば、自閉性障碍児に対する療育方法として注目を集めるTEECHプログラムの如き、環境調整の正しい有り方(例えるなら、眼鏡の度数の合わせ方)を個別具体的、かつ科学的に提示することはできないだろう。
まぁ未だ測定手段ないのかもしれないが…。抽象化に馴染みにくい。
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精神医学の大家、滝川一廣先生の本。統合失調症、自閉症、不登校を題材に、「こころ」とは何かについて迫っている。この本の面白いところは、医学的・化学的な視点と生活上の実感を重ね合わせ、異常と切り分けて理解不可能としていた問題について、理解を可能にしてくれるところだと思う。
自閉症や不登校については、同著者の近年の名著『子どものための精神医学』により詳しく載っている。そのため、個人的には本書で統合失調症について、ここまで理解可能にしてくれた本は他にないと感じた。