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紙の本
人々の名前を抱えて「のぞみ」は飛び続ける
2005/05/24 10:47
32人中、32人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:松浦晋也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
火星探査機「のぞみ」の打ち上げにあたり、宇宙科学研究所は「あなたの名前を火星に」というキャンペーンを行った。はがきに書かれた名前は切り抜いて整理し、縮小コピーを重ね、小さなアルミ板に焼き付けて「のぞみ」に搭載した。「のぞみ」と共に火星に向かった名前は約27万名。多くのはがきには、応募の理由が書いてあった。
はがきに書かれたコメントがなかなか感動的であるということは、的川泰宣教授の著作で知っていた。旧宇宙研、現宇宙科学研究本部に問い合わせると、名前を切り抜いた後のはがきはすべて大事に保管してあるという。2004年の初夏、私は相模原のキャンパスに向かった。はがきをチェックするためだ。その時点ではすべてのはがきを読むつもりだった。
出てきたのは段ボール箱が確か10箱ほどだった。持ち上げるとずっしり重い。中にはびっしりとはがきの束が詰まっていた。
広報のWさんに「これで全部ですか」というと、「いえいえ、これで5万人分ほどよ」という答えが返ってきた。まだまだ大量の段ボール箱が残っているという。
結局、その5万人分に目を通すために、私は相模原に数日通うこととなった。量が多すぎる。それ以上読むのは諦めた。
読み始めると、その内容に、私は涙と@水が止まらなくなってしまった。27万人というのは、中ぐらいの地方都市の人口程度だ。しかもチェックできたのはそのまた一部でしかない。たったそれだけでも、集まってきた人々の人生の断片は切なく、いとおしく、雄弁だった。
やっとこさ5万人分を読み終えて、私はWさんに「もうハガキの内容で泣きっぱなしですよ」と言った。するとWさんは「そうなのよ。あのハガキのメッセージが載って飛んでいっているということはそれだけでもすごいことなのよね。その一点で『のぞみ』は特別な探査機だったのよ」と答えた。
日本で惑星探査に向けた本格的な動きが始まったのは1975年のことだった。探査機の具体的な検討に入ったのが1986年、火星探査機「PLANET-B」の開発が始まったのが1992年、PLANET-Bが打ち上げられて「のぞみ」と命名されたのが1998年、そして5年半の苦闘の末、ついに火星探査を断念したのが2003年の末。
「のぞみ」には、3つのものが堆積している。惑星探査に向けた科学者達の執念、開発に当たった科学者と技術者の人生の時間と努力、そして27万人の星空に向けた祈りだ。
それらすべてが、運用担当者による超絶的な粘りを可能にした。発生する絶望的なトラブルをその都度克服し、「のぞみ」は探査は不可能だったが、とにもかくにも火星に到達したのである。
失敗はあくまで失敗であり、安易な感動ストーリーでごまかしてしまうべきではない。だが私たちは、これほどまでの苦闘と残酷な結末との向こうに、諦めと「どうせ日本はダメさ」というシニカルな笑いを持ってくるべきではないだろう。次にあるのが何であれ、また立ち上がり宇宙を目指す意志を持ち続けるべきだと私は思う。
あなたは、1998年初春、宇宙研の呼びかけに応じてはがきを送っただろうか。送ったならば、あなたの名前は今火星とほぼ同じ、太陽を回る軌道にある。「のぞみ」の旅は終わったが、使命を負えた「のぞみ」は宇宙を飛び続けているのだ。
それは灯籠流しに似ている。今、私たちの名前は、「のぞみ」と共に火星軌道にある。
■「恐るべき旅路」目次
序章 あんよはじょうず
第1部 長い旅支度
第1章 惑星に向かって
第2章 ロケット打ち上げ能力と探査機重量の狭間で
第3章 トラブルの種子と、二十七万人の想いと
間章
第2部 恐るべき旅路
第4章 打ち上げオペレーション
第5章 地球脱出
第6章 長く曲がりくねった軌道
第7章 「のぞみ」は駆け抜けた
あとがきにかえて
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