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現代社会に生きるすべての人が読む価値がある本である。
著者は環境分野におけるリスク論を牽引してきた第一人者。第一章は、今春、横浜国大を退官する際の最終講義模様の再録。孤立にも圧力にも負けず、前人のいない世界を切り開いてきた学者の姿がここにはある。淡々とした記述だが感動を覚える。第二章は、リスク論の基礎的Q&A。第三章以下はBSEや環境ホルモンなどを具体的な素材を掲げながらリスク論の思考方法について解く。個々の問題に対する評価については必ずしも著者に賛同しない方もいるかもしれない。しかし、ここで重要なのは、リスク論の本質をなす思考方式を理解することである。建設的な議論と自立した判断を行なうための基盤となる有力なツールがリスク論である。高邁な思想と高度内容を誰にも理解できる平易な表現で説いている。強く勧めたい。
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万人必読。不安を煽る「環境屋」に惑わされないために。(正解とは限らないにしても)合理的な判断をするために。専門家に任せず、自分で決めるために。
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環境問題に、「リスク」の概念を導入して、社会不安をいたずらに煽ることなく、注目されていない重大なリスクを見逃すことなく、バランスの取れた対処ができるよう研究を続けてきた著者の手による良書。
内容は、ダイオキシン、環境ホルモン、BSEなど、最近日本で社会不安を招いたもの。
研究者らしく、データや調査方法を明示し冷静に解説してあるので、マスコミに踊らされてしまった人が読んでも抵抗なく受け入れられるはず。
不安だらけの世の中で生きていくために、ぜひ一度読んでおきたい本。
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リスクの実態がはっきりしない段階で、リスクとそのリスクに対処するリスクとを比較して、どうすれば一番適切なのか考えなくてはいけない、という提起は説得力あり。やたらと危機を煽るメディアも、とにかく全面的に禁止すればいいという当局も、どっちも正しい態度ではない。
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環境が与える目に見えない影響の大きさや性質を、目に見える形にする「環境リスク評価」で話題になった本。
人からおススメされて読んだが、いったいなぜ名著なのか…。
根っからの文系人間の自分には全然読みやすくなく、
論調も、人から何を言われようと自分はこうやって地道に頑張って成果出しました、のような、
「人と違って自分がすごい」という姿勢が見え隠れし、イラッとしてしまった。
学問的価値は素晴らしいのかもしれないが、全くの素人の自分には全然ダメな一冊でした。
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健康、安全に迷わず飛びつき、危険と聞くとよく見もせずに放り出すのはやめた方がいいんじゃないか。何だって、良い部分もあれば悪い部分もある。そろそろそんな当たり前のバランス感覚に生きる術を僕らは学ぶべきじゃないだろうか。
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中西準子さんが、「環境リスク学」という新たな学問分野を開拓するまでの過程と、その学問分野についての解説が書かれた本。
私たちの日常生活の中には様々なリスクが潜んでいるが、それらを直接的に認識する機会は少ない。また、そのようなリスクはマスメディアを通して伝えられることが多く、私たちは科学的な裏付け無しにそのリスクを過大、あるいは過小評価してしまいがちである(最近では地球温暖化問題等)。リスクの定量化を目指す環境リスク学は、正しい政策決定が行われ、私たちが快適な日常生活を送っていくために不可欠なものであり、非常に意義ある取り組みのように感じられた。
もう一つ本書で詳細に描かれていることは、新しい学問分野を切り開く際に直面する数々の障害や苦しみ、悩みである。特に学界における新しい取り組みが、どのような困難に直面することになるかが描かれているため、学者を志す方にも参考になると思う。
中西さんが新しい分野を切り開くに当たって、最も重要だったことはデータに基づく強い信念であったことは言うまでも無い。ただ、少数ではあったものの、一部の方々からの力強い支えがあったということも見逃せない。自分自身も、そのような取り組みを行う人間、あるいはそれを支えることが出来るような人間を目指したい。
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友人に進められて読んだ。ナカナカ興味深い内容であった。
1970年代当時、工場排水は自治体で処理するのが普通であった
人間は1人の生死が問題、生物は種の絶滅をリスク評価
時と場所を得た人が知りえた事実を明らかにする
思想の違いを超えて認めることの出来る「事実」が大事
米国では高リスクの仕事は給料が高い、日本はこの傾向がはっきり出ない
住民運動(市民運動)は粉砕するだけではダメ、自分たちの安全を守るためへの「提案」が必要
リスク予測を自分たちの責任で行う
1970年代半ばまで使われていた水田除草剤の不純物がいまだ(1998年ころかな?)に東京湾の底質に残っている
リスク論;リスクの大きさを比較して小さい方を選ぶ。リスク回避にはお金がかかる。つまりリスクマネージメント(リスク管理)が必要になる。
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環境問題等に対して、「リスク」という観点をもって臨み、
リスクの削減とコストのバランスを図ろうという考え方は、
しごくまっとうなものだなと感じた。
ダム建設と水害リスクなどでも、最近はこうした評価が行われたりしている。
この本を読んだ後でも、原発事故後のある種の食品に対する、
個々人の反応がヒステリックなものだとは個人的には思いません。
(テレビや新聞でどうようの反応を煽ってもよいという意味ではないです。
こちらは、中西さんのようにファクトをもとに報道すべき立場にあると思います。)
理由は以下の通りです。
・本で議論されてるのは社会のリスク/コストであること。
・社会のリスクである以上、個人の選択自体は留保されていること。
・(科学的と言われる)政策決定にも多分に"社会的"部分が存在すること。
・中西さんがすべてのリスク評価を行っているわけではないこと。
(中西さん自身がリスクの発見の重要性を強調している。)
・牛肉の後だしから見ても、安全/危険(リスク多寡でもいいです)の判断は
現時点で正確なものには見えない。
例えば自分に子供がいたとして、社会の負うリスクを
自分の選択の結果自分の子供がおった場合、
おそらく自分は後悔するだろうと思います。
自分がそう考える以上、他の人の個人的な選択に
評価を下すのは間違っているような気がします。
大きな堤防を作ろうと思うほどの津波が来たことがあるならば、
(社会が津波に対して堤防で防ぐという選択をしたとしても)
大きな地震があれば逃げるという選択もあってしかるべきだと思います。
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なるほど。
池田信夫さんもブログで何度も言っていた。ハザードとリスクは違う。
リスク=ハザード×頻度
さらに、政治問題として環境改善を議論し行動する場合には、リスクの大きさよりもリスク削減のコストをいかに評価するかが重要だとする。そうだろう。本当の実務者として悩んできた人の言葉だろう。
苛性ソーダの水銀法からの転換費用は、一件の知覚障害の患者をなくすために32.8億円だと。これだけの費用をかけるのであれば、たとえば大気汚染対策など他のリスク削減に資源配分すべきだと。
そうだったのか。
旧厚生労働省は、わが国のダイオキシンについての発生源を調べることもなく思い込みでゴミ焼却炉についての非常に厳しい規制値を作ったが、筆者は、ごみ焼却炉よりも、古い農薬に含まれていたPCP(ペンタクロロフェノール)にあったと指摘する。
同様に環境ホルモン問題も指弾し、「奪われし未来」をきっかけに環境庁が巻き起こしたから騒ぎであったと断罪するが、環境庁は何の総括も反省も否定もしていない。
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昨今特に目にする機会が増えた”リスク”という言葉。自分もなんとなく理解したつもりで使っているが、そもそもどういう意味を表す言葉なのだろうと思い、リスク学の分野で名著と言われている本書を手に取った。
2004年出版の本であるためデータとしてはやや古いものの、身近に存在するリスクの例を挙げ、どのようにしてリスク評価を行うのかという具体例を示している。ここで挙げられているのは主に環境リスクだが、ビジネスにも応用できる考え方だと感じた。
著者のHPによると、現在放射性物質のリスクに関する著作を準備中のようだ。出版が実現すればぜひそちらも読んでみたいと思う。
図書館にて。
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"私は、最初の勝負は数値の確かさだ、そこで生き残れるか否かが決まる、ということをこの経験で知りました。そして以後、データの正確さについては非常に神経質になりました。"
"ファクト(事実)へのこだわり、これが私の三十五年に及ぶ大学での研究生活を支えた背骨のようなものです。それはたぶん、言葉への不信感、言葉の無力さ、思想というものへの強い不信感か来ていると思います。"
"日本の反対運動とか市民運動には、自分たちが治める場合どうするかという発想がないのです。お上に逆らえなかったという歴史的なものもあるとは思いますが、考え方を変えていかないといけないと思います。"
"ここで重要なのは、自分たちで決定するということです。自分たちで決定しなければならないのだという意識、習慣、これまでの経験、そういうものが欠けていることが問題でしょう。"
"生活の質を考える?それはいいことだ。生きている間も苦しいのだからと多くの方が言います。しかし、実は私はQOLの研究をすること、および、それを使ってリスク評価することを研究室の院生やCRESTの研究員に長い間禁止してきました。
(中略)
QOLのようなあいまいな特性をいかに取り扱うかということは、これからのリスク研究の大きな課題の一つだと思います。ぜひ、いろいろな分野の研究者が入ってきてほしいところです。"
"車はなぜ許されるの?携帯はなぜいいの?ユビキタスコンピューティングなんて、いいの?という問題はある。しかし、市民はずるいから、これらの商品の魅力が大きいためにリスクに今は言及しない、考えないことにしているだけであって、もう少し落ち着けば、問題は過去の分まで含めて出てくるのである。"
引用したい言葉がいっぱいwwww
中西さんパネェっすwwwww
でも今まで生きてきて、もっとも思想に共感できる女性です。
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普通の大学の研究は,社会との兼合いがそれほど強いものではない.でも,中西先生がやっているような環境,それも社会や人間に及ぼすリスクを考える,というテーマは,社会の短期的な損得に思いっきりぶつかる話である.だからこそ,本の中にあるように,国や会社や他の学者,マスコミなどと戦いながら,自分の信じるものを突き詰めてきた.その難しさは,同じカテゴリで仕事をしている自分にとって,想像もつかないものである.だからこそ,この本を読みながら,自分のやっていることがそれほど社会に影響を及ぼさないことを残念に思いつつも,心のどこかで安堵してしまう.
この本は,環境のリスクということを知るにもよい本だけど,「研究をしていく」ということの意味を知るためにも読んで欲しい本である.それと,この出版には起こっていなかった福島の事故について,中西先生がどのように考えるのか,環境へのリスクをどう考え,どうアプローチするのだろうか.興味があるテーマだと思う.
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リスク不安解消には制御すること。そのための羅針盤がリスク評価である。めざすはGPS。
環境を研究対象として扱うことは、政治だということ。
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現代科学に依存した生活であれ自然の中での生活であれ、人は環境からのリスクとともに生きていかなくてはいけない。
3.11以降、みんなが原発の危険を意識するようになったわけだが、それだって存在するリスクにどう対応するかということに還元される。xx万ベクレルの放射性物質を検出xxミリシーベルトの放射線を測定という情報に単純反応して怖がってるだけの危険厨も、その反応を笑う安全厨も、リスクときちんと向きあっていないという点においてさして違いはない。
リスクと付き合っていくためには、事象の機序を理解し、リスクを洗い出し、測定し、そして評価する、というごく当たり前で地味なプロセスの積み重ねしかない。そしてそれは調査し発信する側だけでなく、受け取る側においても求められる姿勢でもある。
とはいえ、震災後の原発をめぐる狂騒の多くは義務教育レベルでの知識すらほとんどの人には理解されていなかったことに起因するわけで、僕らがリスクと適切に向き合うための道のりはまだまだ遠い。