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児童性愛者の集団に同類を装い潜入して実態を暴くテレビ番組を作ったデンマーク人ジャーナリストの手記の翻訳。 辛い。 訳者後書きに「取材の詳細を明らかにするとともに著者自身の感情の整理の為に書かれた」とあるが、その通りに著者自身の感情面の描写が多く、「報道」としての物足りなさは感じられる。しかしそれは恐らくその番組も併せて見ることで解決されるものと思われる。多分この本だけ読んでもダメ。 そのように「感情を整理」しなければいけなくなるほど感受性豊かな著者だったからこそ犠牲となった子ども達に感情移入して義務感を感じ、この仕事を完遂できたのかもしれない(著者はこの取材で心身ともにボロボロになり通院することになる)。真の意味での「完遂」にはまだまだ遠いが。 ちなみに著者はその番組でオスカー賞候補になり、「セーブ・ザ・チルドレン」子ども人権賞を受賞している。
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封筒の消印と写真だけをてがかりに、実在するモニカをさがしだすまでのくだりは、まるでミステリーのようだった。そのスリリングな展開に、冒頭から不謹慎にも魅了されてしまう。つまびらかにされていくのはおぞましい現実だが、次第に謎がとけていく快感、そして昂揚がたしかにあった。ドキュメンタリーだけれども、文体はわりあい叙情的で、そのためかもしれない。ノンフィクションノベル風というか、あたかもサスペンス小説のような読みごこちだ。でもこれはフィクションではない。現実だ。やがてあきらかになるモニカの過去と現在、それはあまり過酷で、あまりにおぞましい。児童ポルノの被写体になったこどもたちの、その後をしりたいと、わたしはひそかにおもいつづけてきた。それはただの下世話な好奇心だ。もしも声をあげたならきっと、わたしのような不届き者の、不躾な視線にさらされてしまう。だからかれらは声をひそめている。よってそれはどこへもとどかない。その人生をだれもしりえない。だが、ここにはそれがかかれている。
ヤコブ・リビングが「デンマーク児童性愛愛好者協会」に潜入したのは、いまから10年まえの、1999年のことだ。かれは、デンマークのジャーナリストで、それはノルデック・フィルム&テレビ(デンマーク大手の映画テレビ番組制作会社)が企画した、ペドフェリアの実態をさぐろうという、テレビ番組のための取材だった。「デンマーク児童性愛愛好者協会」は、世界で唯一の児童性愛愛好者の協会(合法)で、ヤコブはなんとか潜入に成功し、そこではじめてしたしくなったのが、ベント、そうモニカの写真を所持していた男。数百枚におよぶ写真と8ミリフィルム、おびただしい数の児童ポルノをかれは保管していた。にもかかわらず、おなじ協会員だからか、かれはほとんど警戒心をみせず、おしげもなくそれらをみせてくれた。そんなベントの、8ミリフィルム上映会にまねかれるうち、ヤコブはついに400枚のネガを手にいれる。写っているのは「モニカ」とよばれるおさない少女。それから「アグネス」と「マリン」そしてだれともしれない中年の男女だ。
かれらはいったいどこの、だれなのか_____場所の特定ができそうな写真はたった数枚しかない。それでもヤコブはその数枚を手がかりにして、モニカの所在を突きとめようとする。持ち主のベントによれば、モニカはスウェーデンにすんでいるという。ベントは彼女とかつて文通をしていた。モニカが12歳のころからおよそ3年間、それはつづいたらしい。その間に膨大な量の写真とフィルムを、彼女からおくられたそうだ。きっかけはオランダの「ロリータ」というポルノ雑誌。顔出しをして文通相手を求めていたモニカに、ベントが手紙をだしたのがそのなれそめだ。わずか12歳の女の子がポルノ雑誌で文通相手を募集するなど、不自然きわまりないはなしである。が、ベントはまったく意に介していない。少女との3年間は、とてもすばらしかった、とうっとりする。いわく「モニカははだかをみせるのがすきなんだ」やりとりされたネガのほとんどは、あられもない彼女のポルノグラフィー。ときおりほかの少女もまざっていて、それがアグネスとマリンだった。
そこにはいろいろな年代のモニカがいる。いちばんわかくて5歳。まだ就学まえの彼女が、40代とおもわれる女に性器をなめられている。モニカだけが被写体になっているものも、そうでないものもある。虐待している中年の男女は夫婦のようにみえた。これらを撮影したのは叔父だという。ベントは叔父とも交流があったようで、本人がそういっていたとのこと。叔父は手紙で、どういうコスチュームを着せたらいいかなど、かれにこのみをきいてきたりもしたそうだ。しかし、というかなんというか、ヤコブが筆跡を確認したところ、叔父のそれとモニカのそれは、おどろくほど似ていたらしい。って、そりゃそうだろう。ほんとうの文通相手はどうかんがえてもこの叔父だ。うさんくさいこの叔父のはなしをしんじるならば、モニカは17歳のとき、白血病でなくなったはずだった。が、もちろんヤコブはしんじない。彼女を懸命にさがしつづける。やがてかれはたどりつく。それはスウェーデン北部のメェスタというところ。モニカがうまれ、そだち、いまも住む町だ。
彼女はいきていた。とうに成人して、母親になっていた。マリンとアグネスも存命で、いまは妙齢の女性だ。モニカとおなじ町にふたりも暮らしている。連絡をとると、当然ながらみんなとまどった。あれはだれにとってもいまわしい、できればわすれてしまいたい過去なのだ。けれどわすれられない過去でもあった。それにペドファイルたちにとっては現在だ。彼女たちのポルノグラフィーは、ヨーロッパ全域に流出している可能性がある。はじめこそまよっていたものの、マリンとアグネスは最終的に、モザイク入りでインタービューに応じることを承諾した。搾取されつづけることに、いかりをかんじていたからだ。モニカはしかし、取材を拒否する。彼女はおおくのなやみをかかえていた。ふかい絶望と怒りに支配され、そのためにうまく息子をあいせない。ヤコブはモニカ自身がかたる、彼女の不遇な生活、身の毛もよだつ過去の出来事にうちのめされる。わたしの人生は破壊された、もうもとにもどることは決してない、あのことは一生、じぶんにつきまとう_____
撮影者は叔父ではなかった。幼年のモニカを玩具にしていたのは、それよりもっと近しい人間だった。だが、悲劇はこれでおわらない。後々、もっとおそろしく、けがらわしい事実が判明する。ヤコブが家をたずねたとき、モニカは一緒に住む母親をかばい、彼女をこんなことに巻き込むなといった。その母親がむかしじぶんになにをしたのか、彼女はもうおぼえていない。しかし、写真がのこっていた。ヤコブはその後、したしくなった協会員たちを導き役として、世界各国へとぶ。かれは各地で、虐待される10歳にもみたない、ちいさなこどもたちに出会う。檻に入れられ、足かせをはめられ、売られる少年少女。協会員の幾人かは、実際に手をだしていた。タイやムンバイでこどもを買い、身近な児童にも性行為を強要する。かれらは積極的に情報交換をし、欲望をみたすため日々奔走していた。ペドファイルはうそぶく。こどもにも欲望はあり、それをのぞむ児童もいると。非対称性には目を瞑りながら、悪びれもせず、こどもとの性愛の権利を主張する。
放映がきっかけで、ふたりの協会員が逮捕され、協会は自主的に解散したらしい。翌年の2000 年、ヤコブ���「セイブ・ザ・チルドレン」からこども人権賞を贈られる。また番組「デンマークの児童性愛者たち」は、その年のテレビ・オスカー候補にもなった。「公共の建物内で行われている、違法行為の扇動は妥当か否か」番組はそう視聴者に問いかける。わたしはしばしばわからなくなる。自由とか権利とか尊重とか保障とかそこらへんのことが。にくむべきはチャイルド・マレスターであり、ロリコンではない。違法行為の扇動は妥当でないが、だからといって、こうした組織をつくること(かれらがつどうこと)自体を、禁じていいものでもないはずだ(いやどうなのでもそうよな)ではかれらがこのような組織をつくったとき、あるいは逮捕者がでて尚、組織の存続を希望した場合、どういう態度をとればいいのだろう。日本のロリコン漫画雑誌「COMIC LO」には文通欄がないという。なぜならロリコンは、あつまるとろくなことをしないからだそうだ。
しかし、あつまりたいとつよくねがう者もいるかもしれない。さてかれらが「日本児童性愛愛好者協会」をつくりたいといったら_____
また「かれらは声をひそめている。よってそれはどこへもとどかない。その人生をだれもしりえない」と冒頭で記したが、最近ではKylie Freemanという米国の少女がウェブ上で自らの体験をつづっている。彼女は父親のKenneth John Freemanに10歳のころから性的虐待を受け、それをビデオに撮られたうえ、インターネットにながされていた。ビデオのダウンロード数は記録的だったらしい。わたしも児童ポルノ売買サイトでそれが売られているのをみたことがある。ビデオは有名な児童ポルノシリーズだった。父親は2年まえに捕まったが、それはいまだ売られつづけている。Kylie Freemanは、テレビ番組「America’s Most Wanted(アメリカの重要指名手配犯)」にも出演し、事件についてかたった。将来は被害者を支援する仕事に就きたいという。一般に児童ポルノとよばれている、児童性虐待写真、および動画の単純所持を禁止とする法律は、必要だとおもう。
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グロシーンなし性描写なしなのでちょっとだけ安心。
ジャーナリストのヤコブが児童性愛者として児童性愛者協会に
潜り込み、実態を暴くというもの。
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『闇の子供たち』つながりで読んでみました。デンマークのジャーナリストが、ペドファイルのサークルに児童性愛者を装って潜入したルポルタージュ。TV用に取材した内容を、書き下ろしたものみたい。取材する中で、だんだん筆者がアルコールに溺れていくのが、事態の深刻さをあらわすようでおそろしい。
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読了、85点。
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デンマークに実在する、「児童性愛愛好者協会」へ潜入し協会員との会話を重ねながら様々なことを調査した記録を記したルポタージュ。
TV番組が放映された後、自身の心の整理をする為に執筆した、渾身の一作。
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どこかのHPで一番読んで読後感が悪かった本、として紹介されていたので試しに読んでみました。
序盤は、組織に潜入するところからそこの協会員に自身の素性がばれない様に自分のプロフィールを作る、
数人の児童性愛者と親しくなり、彼の持つ写真からその被害者を探してスウェーデンまで行くあたりは、ミステリ小説に近い構成もあり非常に興味深く読めました。
この本は当然のことながら児童性愛者に関して深く突っ込んでいて、あまり直接的ではないけど、行為そのものを想像すると当然受け入れられないようなことが、
当事者の自慢話のような形で書かれておりやはり読んで楽しいものではありません。
がそれでも読む価値はある本だとは思います。
筆者は最終的に児童性愛に対してある結論とそこから自分がすべきことを導き出し本を締めくくりますが、その点には非常に同意したくなります。
ただこの1年間に渡る取材が非常に苦しいものだとは察せられますが、それでもしばしば挟まる、酒に溺れているシーンはくど過ぎてちょっとしたギャグに思えてしまったのも本当のところでした。
不思議なことですが、そのテーマや本の中の地図や地名で、ミレニアムとの繋がりを意識してしまいました。
あっちの方の国に対してちょっと誤解が強くなっているような気がします。
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公園でかわいい女の子と仲良くするだけで変質者扱いする日本のほうが異常だと思う。だれもが児童をかわいいものと認識して遊ぶでしょ。なんなの?へんなの。日本の概念とか認知能力とか常識とかおかしい。ペドだって自分で言ってるニコニコ生主いっぱいいるよ。なにも制限されない、なにも注意を受けない。ネットだから?torrentで流出したら逮捕なのに?へんなの。児童性愛愛好者協会だっていいんじゃないの。レイプがダメなだけであって、児童と合意のセックスはいいんじゃないのか。よくわからん。
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児童性愛者のフリをして、児童性愛者の中へ潜り込んでいったジャーナリストの記録。
はっきり言って、気持ち悪かった。
「子供自身も性行為を望んでいる」だの、「自分が買うことによってその子は学校に行ける」だの、ペドファイルの言い分が「んなわけねーだろ!」と殴りたくなるようなものばっかり。
その子はそうしないと生きていけないからやっているだけで、やりたくてやってるんじゃないだろうに。
でも、そういう子たちも大きくなるとほかの子供を斡旋するようになるんだよなあ…
やっぱりロリペド野郎はそういう嗜好を持つってだけで迫害されても仕方ないと思ってしまう。偏見だけど、この本に出てくるペドファイルは実際に犯罪に手を染めてしまっているんだもの。
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デンマークには児童性愛者の団体がある。
違法でもなく法的に認められている。
本書は、その団体に潜入取材をしたルポ。
性的な嗜好が児童、というのはいかにも異常だけど
本文中の下記の記述には考えさせられた。
引用①
ところが現実には児童性愛者たちは秘密の生活を送っている。そのこと自体、ぼくにはなかなか想像しにくかった。
子どもには性欲を感じるという性的指向にコントロール(支配)されながら、どんな人生を送っているのだろうか。
コントロールされているというのは、禁じられているからだ。
つまり、子どもに性欲を抱くことを社会は避難し、実行すれば犯罪だと宣言しているからだ。
ぼくは、自分以外の世界中の成人男性が子どもに惹かれ、自分だけが大人の女性に惹かれるとしたらどうなるのか、と想像してみた。
あるいは、異性を愛することが禁じられていて、異性への欲望を行為に移せば刑罰を受けるとしたら?ただし見つかった場合だが。
ここは重要な点だ。
引用②(訳者あとがき)
ヤコブ・ビリングは彼らと話すうち、「性欲を成人の異性に感じようが、同性に感じようが、子どもに感じようが、
持って生まれた性的指向だから仕方ない」という児童性愛者たちの身勝手な理屈に、ついつい負かされそうになる。
成人間の性的関係(もちろん対等な合意の上での行為)と年少者に対するそれには、強者の優越的地位を利用したもので対等な関係の合意の上のものではない、という決定的な隔たりがあるにもかかわらず。。
上記の①の考えだと確かに児童性愛者のいうことにも一理あるかもと思わされる。
②の考えの場合だと、年少者と対等な地位であれば問題ないのか。(年少者としてはお金をもらうことで貧しい生活から脱することができる、など)という議論が残る。
論理的な点でいうと児童性愛自体がダメといいきるには何かしら弱いと感じた。
こういう問題は論理的にOK、NGという話ではなく教育や道徳観による判断も大いに関係しているのかもしれない。
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デンマークには「性癖の自由」の元にデンマーク児童性愛愛好者協会、という組織がありまして。この協会の実態、そして世界の児童の性的搾取の実態を暴こうという渾身のドキュメントです。当時デンマークはドキュメント番組として放送されて、国会を揺るがすほどの騒動になった、という話はあとで書きます。
一人のジャーナリストが、自らもペドファイルのプロフィールを作って入会し、主に二人の人物と親密になる。ひとりは雑誌で知り合ったという17歳の女性から送られてくる写真を嬉々として共有しようとし、ひとりは規制の厳しい欧米を離れてインドで児童を買おうとする。筆者もインドの売笑街へ出かけ、さらわれて薬漬けになったり病気になったりしておる少女たちを見て衝撃を受ける。
いろいろな見かたが出来ると思います。
筆者の狙いは「性的志向の自由」から、国の認めた協会が児童の権利や自由を奪っている矛盾を突き詰めることにあったようです。この件について法務大臣に執拗にインタビューしているけれども、法務大臣もそりゃあ答えに給するわけで、思想の自由を認めた結果、欧米的近代知がもっとも忌むべき児童の権利侵害を認めるかたちになってしまっている。
くわえて、国際関係の問題があります。幼女を求めてインドに向かう。テレビ放映の翌日にインド行きを斡旋していた人物は逮捕されますが、インド側も児童の売春を硬く禁じてはいるものの、地元の警察は買収されやすいときている。ポイントの一つは、ここ。
で、ふたつ目のポイントは、結局マスコミが飛びついた先は「ペドは悪だからちんこもいじゃえ」という論調。でも、筆者は気づいていて、ペドフィリアを感情的な私刑にすればいいってもんじゃない、という指摘を欠かしてはいません。で、最後、自分の娘に「パパ、ペドフィリアって何?」と聞かれて、答えられないで終わっております。
ここなんだぁな。
ロリータ、ペドフィリアを悪だとする材料はいくらでも有ります。それは大人と子供での恋愛感覚の決定的な違いからも引けるし、精神的に未熟であるがゆえに、弱者を虐待することで精神的な安定が得ようとする。理由はつきます。「フェアではない」という理由。
がしかし、その「フェアではない恋愛」をデンマークだけでも数万人。日本においてはもっとでしょう。人口の6割くらいは「弱者を性の対象としてみる」もっとプラトニックな問題でいいや。その少なくない人数を「精神的未熟」として切り捨てる論調は、実はすごく恐ろしいものです。
「自分の支配下に置く」「正義に合わぬ莫迦は駆逐する」およ、どっかの超大国が隠し持っている困った性癖と一緒ではないか、と。隠してもないけどさ。
これ、日本人だから持てる感想ってあるんじゃないかな。
いわゆる「キリスト教的近代知」から離れないと、この問題の根本は見えてこないように思う。つまりは「業」の取り扱い方だし、日本人はその辺がうまいから、うまいことやってこられたと云えるんじゃないかとアタシなんぞ思うんですがね。
向こうではペドフィリアに対して心理的治療がおこなわれておるようです、が、「正常���か「病気」かでは問題は解決しません。
あるものはあるものとして飼いならすしかない。そんなもの一向に効きやせんのです。ペドフィリアである自分自身を受け止めて、社会に適合するように飼いならしていくしか方法がないんですな。これを日本では「業の肯定」を申します。
このビリングさんには日本を取材してもらいたいなと思った。そうすれば、けっこうすっきりするんじゃないかな。
蛇足。
今回の件における取材の方法は、「情報元の告発」という点において、ジャーナリストとしてはやっちゃいけない方法ではあります。
が、他に同様の方法があるのか? というとこれしかない、という点で仕方ないのかなぁと思っています。
それだけの価値のあるドキュメントだと思うし、筆者自身も死ぬまで良心の呵責を背負って生きていくでしょうので。
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対象に寄り添った内容を期待してたが、児童性愛者に対する嫌悪感や断罪が割と高い割合を占めてた。「人を愛するだけで犯罪者になりうる」人々の気持ちってのをもうちょっと踏み込んで知りたかった。
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解説のヤンソギル氏が、言ってる様に ペドファイルは、非人間的な行為をする者だ。個人の嗜好の問題で片付けられない。
想像するだけで おぞましい。
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読後感の良くない本でも読もうと思って手にとった一冊。
ノンフィクションのタイトル通りの人たちの会合へのそっちの趣味のない著者による潜入レポートなので確かに読後感は良いとは言えない。
著者が執拗なまでに自己弁護をしすぎるので読み物としては微妙。
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筆者自身も述べているが、自分の感情整理のために書かれた本であるという印象。
潜入取材への辛さと自己嫌悪の描写が過剰過ぎるほどに多かった。
実際のペドファイルや被害者の生の声、アジアにおける児童売春などの実態を書いた本としては貴重だが、筆者の精神に限界が来ていたようで、表面を掬った程度で踏み込みきれてはいないのが残念。
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尊敬する読書家Dainさんのブログの「スゴ本100」に紹介されていたので。う〜ん思ったほどエグい描写が無く肩透かしだったかも。デンマークで合法だった、児童性愛者のための協会に、自らも性愛者だと騙り潜り込んだ新聞記者。数々の会員の話を聞く内に、彼らが一切の罪悪感も抱かず子供を搾取し続けている事を知る。なんだろう、児童性愛が絶対的な悪だと罵るスタンスも非常に理解出来るが、性愛者が主張する様な、児童からの愛がある、相愛的なケースもゼロではないのではないだろうか…。自分があまりにもこの領域に無知過ぎるので、もう少し被害者の視点から語られた本を読んでみたい。(こう書く自分に物凄く嫌悪しているけど、それに勝る知的好奇心がある…。)
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デンマークにある世界で唯一合法の「児童性愛愛好者協会」にジャーナリストが潜入調査を行ったというノンフィクション。
タブーとされている「児童性愛」についてあえて踏み込むことで「ダメだからダメ」のトートロジー的詭弁の一歩先がある本かと思ったが、先入観はよくないだの、協会員に個人的友情を覚えただの書いておきながら、結局著者は西洋キリスト教的思想の真っ只中であり怒り狂い断罪し、自分は傷ついた云々をつらつら書いて終わる。
なおざり程度に、児童買春が横行するインドの現状に、西洋列強の荷担を憂いてみたりするところがまた鼻につく。
結局、犯罪者を指弾する話にしたいなら「児童性愛者」なんてタイトルじゃなくて「性犯罪者」にでもしておいたらいかがか。
全体的に期待外れで浅い本だった。