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西川一三と平行して読む。http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/kimura/kimurahisao.htm等も一緒に読むとますます興味が深まる。この人は西川よりも視野が広くインテリの感じがする。西川もインテリなのであろうが、もっと野性的、直感的に行動している感がある。それにしても、ツァイダムからラサまで、よくぞ歩いたものだ。
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昭和18年12月から昭和25年7月までの間、張家口から西寧、ラサ、ブータンを経てカルカッタまで踏破した、当時の日本の諜報機関員の記録がこれだ。これほどの経験から得た知識を持った人物を、戦後の外務省が雇用することはなく、在日アメリカ大使館に勤務することになったのは、杉原千畝の戦後と重なるところがあるが、ふたりとも元々は諜報関連の業務に就いていたから扱いづらかったのかもしれぬ。とはいっても損失には違いない。
本書は淡々と日常が書かれている体裁ではあるものの、その内容が濃密で、しかもどのように生かしていくのかが見当もつかないものばかりで、ただただ圧倒されるばかりだった。
ともかく面白い。チベットでの礼儀作法や、その由来など、興味深い記録であり、かつ、共産中国に併呑される前のチベットの実情(腐敗も当然あった)についてもよく理解が出来る好著。
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急峻な山や雪原、ほとんど歩きでたまにラクダ。昭和18年から、ラマ僧に化け蒙古からチベットそしてインドまで調査もかねて踏破する。新聞記事に日本の船が停泊中であるのを見つけ望郷の念にかられるあたりはしみじみとする。昭和25年帰国。
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昭和十八年から二十五年まで、中国の奥地からラサに至る道で重宝活動をおこなった青年の自叙伝。モンゴル語とチベット語を学び、僧侶に紛争しながら最後はインドに到着。インドに到着したころには日本は敗戦を迎えており、イギリスの諜報機関の手先となり再びラサへむかい、何度もラサとインドを往復する。最初は日本軍が路銀をくれたのだた、それも尽き、日本との連絡方法もないまま。青年個人の考えと観察眼として、知力と体力で乗り切る。チベットの独立が成功していたらこの木村さんは大英雄となっていた節がある。しかし歴史の織りなすあや糸はそうはならなかった。
単行本の後ろになった追悼文などをよむと木村さんがチベットで重要人物であったことがわかる。なかんか稀有な本。