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中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義 みんなのレビュー
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紙の本
忘れられた亡命者の復権
2005/10/09 11:15
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:虚無坊主 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ラース・ビハリ・ボースの名は、新宿中村屋からの連想で思い出す人もまだ少なくないであろう。しかし、日中戦争勃発以前に彼が日本論壇のオピニオン・リーダーの一人として活躍したことを、私は本書を読むまで知らなかった。また、日本に帰化してから、帝国議会議員となることを視野に入れて、差別的な国籍法の改正に動いたという事実にも驚かされた。戦後はその足跡も忘れ去られ、発表された論考はゴミ同然に扱われてきたと著者はいう。
本書の白眉は、日本のアジア主義者たちと対比して描かれるボース像であり、当時同じような環境にあった孫文との歴史的・思想的な接点である。1924年の神戸高等女学校で有名な大アジア主義演説を行う三日前、孫文は、ボースの日本での潜伏を主導した頭山満と八年ぶりに会見する。中国に対する二十一か条要求の取り下げと、特殊利権の返還を働きかけるためである。その孫文に対して頭山は先手を打って「…目下オイソレと(特殊権の)還付の要求に応じるが如きは我が国民の大多数が承知しないであらう」と述べたという。この発言をとらえて、著者は「現実主義に名を借りたポピュリズム以外の何ものでもない」と断じ、頭山を内田良平らとともに「思想を構築することを意図的に放棄」した「心情的アジア主義者」であり、「思想的アジア主義者ではなかった」と切って捨てる。短いが適切な評価であると思う。
ボースは日本の中国・朝鮮に対する帝国主義的政策を批判する論文を雑誌に数多く発表していた。日本国籍を既に取得こそしていたが、インド独立を悲願とした革命家として、思想的には孫文にごく近いところを伴走していたのである。発表の場を提供していたひとつが、心情的アジア主義者とは区別されてよい大川周明が主催していた行地社であった。
しかし1926年に開催された全亜細亜民族会議への関与を契機に、日本の帝国主義的姿勢への批判を次第に弱めていってしまう。満州事変勃発後は中国に対する帝国主義的政策批判を完全にやめる。このことに対する違和感こそが、著者のボース研究への衝迫となっていることは間違いない。なぜかという問いを胸に、思想的な系譜をたどっていく道行きの終わりには、しかしながら明確な解答はない。この手の主題を扱った本の通弊といってしまえばそれまでだが、主題そのものがアポリアを抱えているとみるべきなのだろう。
ともあれ、玄洋社・黒龍会系の人物を顕彰する書物の中で、半ば講談調で語られるのみの中村屋譚の中の忘れられた亡命者を、思想的な高みからとらえ直すという地道な作業を行った著者の労を高く評価したい。
紙の本
日本のアジア主義の虚偽に翻弄された若者
2006/10/27 19:51
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
第5回(2005年)大仏次郎論壇賞受賞作。
新宿中村屋のインドカリーは、インドの独立運動家ラース・ビハーリー・ボースが伝えたことは有名な話。中村屋のサイトにも載っていますし、店頭のメニューに必ずその写真と由来が紹介されています。
本書はそのボースを追った秀作。
1915年、ボースがやってきた日本には孫文をはじめ、アジア各国から祖国独立をアジアの中心日本の援助を必要とする革命家が集まってきていました。ボースは他のアジア諸国の革命家と知り合い、さらに日本の有力者(頭山満・大川周明ら)たちと交友し、祖国独立への協力を仰ぎます。
ボース自身の人柄の良さ、日本語や日本の風習を積極的に学ぶ姿勢は、瞬く間に知り合う日本人を虜にします。蛇足ながらベトナム王朝の末裔クォン・デは日本に馴染むことができず、祖国独立の情熱も冷めていきます。(『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』)
どちらの革命家も志を達することができませんでした。日本の建前的な亜細亜主義、大東亜共栄圏構想に阻まれ、妥協し始めたボースは、日本とインドの谷間にはまり、インド人の信頼を失っていきます。
著者は一貫して当時の日本の態度に痛烈な批判の視線を注ぎます。帝国主義排斥を名目に亜細亜に侵出して行った日本。ボースは酒に酔い、寂しさをつのらせると決まって朝鮮人実業家・秦学文に電話をしたといいます。自分がインド独立の拠り所とした日本はまた、朝鮮人にとっては紛れもなく帝国主義国家でした。彼は無言で涙を流したそうです。
日本が掲げたアジア主義という虚偽の帝国主義が、アジアに悲劇をもたらしたのは、歴史が示すとおりです。
紙の本
中村屋のカレーの背景
2006/09/29 01:51
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
発売以来気になっていた本だったがようやく読む機会を得た。
僕は もともと中村屋のカレーの大ファンであるが あの香り高いカレーの背景に かような劇的なものがあったと知って感銘を受けた。
ボースという インドの独立に生涯を賭けた革命家の話である。
今 僕らにとって インドは案外遠い国だ。最近こそBRICSと称して 経済的に注目されつつあるが それもごく最近の話である。大半の日本人にとっては インドとはカレーや紅茶で知っている程度ではないかと思う。1970年代のヒッピー文化の際には インドは聖地だったらしいが。
それだけに戦前の日本とインドの繋がりには新鮮なものがあった。ボースは 祖国の独立を願い 支配していた英国を憎む。その余りに 第二次世界大戦に突っ込む日本に同調していった姿は その後の歴史を既に持っている僕らにはつらいものもある。日本に同調しすぎて インドから「日本の傀儡」と見なされ 革命家としては挫折し 死を迎える。その意味では悲劇的な人生だ。
しかし 精一杯人生を駆け抜けた爽快感が どこかに漂う。これは著者のボースに対する愛情に満ちた眼差しがなせる部分だと思う。
今ではボースを知る人は少ない。中村屋のカレーは残った。
インドに向き合う必要がある人には是非読んでほしい。
紙の本
インドからの亡命者
2021/12/05 23:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦前、反イギリス闘争で国を追われたボースのお話。日本側の政治に振り回され、選択の余地なく、歴史に組み込まれた人。そして、中村屋のインドカレーの原点。いろいろ考えさせられます。