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庭には全く興味がなかったが、禅の思想に簡単に触れられたのは良かった。後半は庭作りに関しての記述。
鈯斧→好児は爺の財を受けず→一人前の子供は、親の財産をあてにしない。
麝香鹿がいれば、自然に香るのは当然のことだ。その香(徳のある人)に人が集まってくるのは当然のことだ。
混迷した世に生きる人々は憎しみに親しみ、敵を味方と言う相対立した2次元的な物事を捉え方をしている。それを超越した真に心穏やかに暮らすことのできる懴悔をすすめた。すなわちこれまで憎しみを持って戦ってきた敵を、手厚く供養し、自らの行いを懺悔することにより、逆縁転じて順縁となると説き、災いも福もその源は同じところから来ているものであるから憎しみも親しみも全く同一のものであると説く。
禅の原点「無」の思想
無とは心の中の事を扱う言葉。心の中にある固定観念、あるいは自分を縛っているものから解放されることと考えられている。
釈迦の「無常無我」の教えの上に成り立っている。人間の苦しみは無常無我を自覚しないところにある。このような無意識のうちに自分自身や周りのものが永久に変わらないことを期待するところから迷い、苦しみが始まる。その期待が破られた時に人は悩み苦しむ。これが人生苦である。
さらに発展したのが「空」の思想(大乗仏教の根幹)
すべてのものはお互いに影響しあい相依相関の関係において成り立っている。自分が幸せでありたいと願えば、他人も幸せでなければならない。そのために尽くすことが、そのまま自分の幸せつながると言う考え方。
気がつかない内に社会のしがらみによって自分を縛り、苦しめている「とらわれ」から離れて、心の自由を得る。ただひたすらに今を生きること。すなわちあるがままをそのまま受け入れて今を生きる、これが禅の説く「無」である。自ら在ることの自由であり、何かから逃れることの自由ではない。