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思い出とかこだわりとか、その上から生じるなんとも言い表せない気持ちは、そのとき覚えている肌の感覚で代弁できたりする。食わず嫌いから縁側のテレビが持つ質感、そして不躾な床屋へのイライラした恐怖感を、みごとな「肌ざわり」の感触表現で描ききっている。20年前とは思えないほど新鮮な一冊です。「わだかまってるでしょう」という主人公の娘の一言がかなりいいところで染みます。
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尾辻克彦処女小説集。
独特のほんわかした視線からのどきりとする展開。
娘の胡桃子とのやりとりがほんとうにかわいらしい。
私も「ふふふ、」と笑える大人になりたい。
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胡桃子と父の日常 短編集。
胡桃子の小生意気な物言いがso cute。
仲良しだけど べたべたしてない ちょうどいい距離感。
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ー2014/03/17
「国旗が垂れる」以来読み続けた尾辻克彦であったが、10編に渡って同じタッチの文調に接すると、やや興味が薄らぐ。優れた私小説であることは認めるが・・・。
「ちょっとつまみ食い」ならいいけど、好物ではないということか。
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なんだろう、感覚が言葉になって表現されている、そんな感じだろうか。
言葉が言葉、としてではなく、もっと違ったものとして成り立っている。
そんな文章を読んでいて僕はとても心地よい。
エッセイなのか、小説なのか、現実なのか、非現実なのか。
小学生の娘「胡桃子」と父の日常を描いた作品。
ホノボノとしている中に厳しくて鋭い現実がさしはさまれている。
いや、決して「ホノボノ」としているとは言えない。
大学封鎖・学園闘争・赤軍・リンチ殺人・浅間山荘……。
そんな時代を生き抜いてきた著者の影がくっきりと描かれてもいる。
それはドンヨリと重く、暗く、暴力的である。
それでも、最後の一編「冷蔵庫」の最後の一行は爽やかさであり、ホロリとさせてくれる。
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父子家庭で、お父さんと娘の睦まじい感じがとてもよかった。うらやましくなるほど良好な関係で、娘がしっかりしすぎではないだろうかと思うほどであったが、とても魅力的に表現されていた。お母さんとの間に何があったのか気になっていたのだが、最後まで明らかにされなかった。
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最初、小説だと思って読んでたら、何も物語が展開しないので読むのが苦痛だった。そこで、これはエッセイなんだと思いながら読むようにしたら、だいぶ読みやすくなった。しかし最後の2章は飛ばし読み。
日常の些細な出来事を描写し、そこから想像力を広げて白昼夢的な世界に入っていく展開が多い。しかし、その世界に入り込むには、読み手にもかなりの想像力が必要だ。正直しんどかった。読み手の想像力を過信しているのではないか。しかし、そんな中でも主人公である私と娘の胡桃子は父子家庭であり、過去に何かあったらしいことが徐々に浮き彫りとなってくる。もうちょっとここを展開させて欲しかった。
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絵学校の教師をしている「私」は、娘の胡桃子と二人で暮らしています。本書は、彼らと彼らを取り巻くさまざまな人びとの日常に起こる出来事を、著者らしい独特の視点からながめている連作短編集です。
日常の細部にあたかも神経症的なこだわりを示しながら、独特の想念を自由に走らせていくようなスタイルで文章がつづられています。赤瀬川原平名義で刊行された『純文学の素』(1990年、ちくま文庫)や『少年とオブジェ』(1992年、ちくま文庫)など、著者の作品にはこれまで親しんできたので、本書も期待して手にしたのですが、最初から芸術家のエッセイとして読んだ『少年とオブジェ』などとはちがい、やはり文学作品だという先入観があったのでしょうか、「私」の奇妙なこだわりについていけないと感じてしまいました。