投稿元:
レビューを見る
このアンソロジーは[日本編]と対になっているが、グーテンベルグの活版印刷による聖書の刊行以来、本を愛することにかけて西洋には歴史がある。それ故ビブリオマニア(愛書狂)について書かれた本も枚挙に暇がない。その中でも「書物固有の魅力を知りつくした作家による、選り抜きの作品」ばかりを収めた[海外篇]はさすがに読みごたえがある。
まず、「愛書狂」などという題名からもうかがえるように、物狂いの程度が半端ではない。書物蒐集のためなら放火殺人も辞さぬといった思い入れの強さは日本篇ではちょっと見られない。愛するにしても憎むにしてもその振幅の度合いが大きいのだ。
また、聖書のことをThe Bookと呼ぶことからも推して知られるように、キリスト教文化圏には世界を一冊の本として見る見方がある。知識を封じ込めた書籍に寄せる思いには、世界をまるごと所有したいという欲望が潜んでいる。稀覯本の蒐集家といっても、単なる趣味や投機的な目的のために集める者ばかりではない。それだけに、自分の人生を消尽するまで古書蒐集に賭けてしまう悲劇が起きるのである。
少年時代のフローベールが実際にあった事件をもとに書き上げた「愛書狂」は、かつて白水社から出た生田耕作編『愛書狂』でも巻頭に置かれていたビブリオマニアを描いた物語では外すことのできない傑作。火事にあった書店から消えていた世界に一冊しかない聖書が競争相手の書店から見つかった。弁護人は罪軽減のため、それが世界で一冊でなかったことを証明しようとするが、それを聞いた被告人は絶叫する。蒐集家の心理を突いたアイロニーにみちた一作。
セーヌ河畔に家政婦と猫と暮らす学士院会員シルヴェストル・ボナールは、一冊の古写本を訪ねてイタリアまで旅に出る。老人は旅先で出会った貴婦人に、探し求める本が皮肉にも一足違いでパリに戻った話をする。帰仏した老人は、早速古書店に出向くがそれは競売で人の手に落ちてしまう。失意の老人にある日薪が届く、とその中には……。アナトール・フランスの「薪」は「情けは人のためならず」を地でいったフランス風のエスプリが効いた洒落た一編。
しかし、本アンソロジー中いちばんの掘り出し物は、シュテファン・ツヴァイクの「目に見えないコレクション」と「書痴メンデル」の二作だろう。前者は版画の蒐集に一生を費やし、今は盲人となった男が、コレクションを見に来た古美術商に見えないはずのコレクションを喜々として説明するという話。老妻と娘が古美術商に懇願したこととは何か。戦後インフレのもたらした悲劇を静かに告発した傑作。
後者は、ヴィーンのカフェの片隅にいながら、出版された本の題名、著者、刊行年を一冊残らず暗記しているという本の生き字引ヤーコプ・メンデルの消息を描く。ネット検索のなかった時代学者や学生が頼りにしたメンデルだったが、本以外には興味を持たず新聞も見ないという極端な生活ぶり。それが災いして敵国である英仏に書籍を注文したことから収容所送りに。かつての顧客であった著名人の嘆願で無事出所したのだったが、強制的に現実に向き合わされた結果、帰ってきたメンデルはかつてのメンデルではなくなっていた。市井に生きる書物愛をしみじみとした筆致で描いた名品。読後に静かな余韻が残る。
アンソロジーを読む愉しみは、自分の読書傾向とは異なる作家の作品にめぐり逢えることである。「愛書狂」や「ポインター氏の日記帳」のように既読の作品に再会するのも愉しいが、ツヴァイクのように読まずにきた作家の作品に出あって感銘を受けるのはそれに倍する悦びである。他にO・ユザンヌ「シジスモンの遺産」、ギッシング「クリストファスン」、H・C・ベイリー「羊皮紙の穴」他二掌編を収める。いずれも愛書家の悲喜こもごもを描いた逸品ぞろい。生田耕作をはじめ、選りすぐりの訳者揃い。翻訳物はどうもという人にこそ読んでもらいたい一冊。