紙の本
かぜをひくな。
2006/09/22 16:49
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
栗林忠道著「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文芸春秋社)を読みました。家族に宛てた手紙がそのままに並べられております。
読了してから、私に石原吉郎の詩が思い出されました。
それは、こんな詩です。
題は、「世界がほろびる日に」。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
今回
紹介する文庫には、最初に「詩の定義」という2ページほどの文があります。それは詩を書きはじめてまもない人たちの集まりで「詩とは何か」という質問を受けて、返答に窮することが、まず書かれておりました。
この問いについて、こう書かれております。
「答えはない。しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも『新鮮に』私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。 ただ私には、私なりに答えがある。詩は、『書くまい』とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駈って、詩におもむかせたことは事実である。・・・」
石原吉郎は昭和14年。24歳で召集令を受けます。
終戦の昭和20年が30歳でした。そこから38歳までソ連に抑留されております。昭和28年に帰国でき。12月1日に日本へ上陸したのでした。
最初に引用した詩「世界がほろびる日に」ですが、
まるで、すぐにわかるようで、それでいて理解を拒む詩のようです。
そこにあるのが「『書くまい』とする衝動」ならば、
私には、栗林忠道氏の「硫黄島からの手紙」が
書かれなかった詩の大切な箇所を、引き継いで、語りはじめたような錯覚を覚えました。
ほんとうは、私は「栗林忠道 硫黄島からの手紙」
を紹介しようとしたのです。
その「硫黄島からの手紙」は、
「◎此の手紙は他人の眼に絶対にふれさせぬ事又内容をしゃべらぬ事」と 手紙の最初にあります。
それから毎回、いつ戦死してもおかしくはない状況のもと、最後の手紙として書き継がれていきます。
手紙の内容は、詩「世界がほろびる日に」の2行目以降の言葉が
家族へと、ていねいに、やさしく書かれていくのでした。
私は、石原吉郎の「『書くまい』という衝動」を
栗林忠道によって書かれた手紙から、どうやらやっと知ることになったような気がしました。
それは、詩の円環が、ゆっくりとつながってゆくような、
そんな偶然に立ち会っているような気持ちを抱きました。
私は、ここで 石原吉郎の本を取り上げながら、
「栗林忠道 硫黄島からの手紙」をお薦めしております。
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烏兎の庭 第三部 書評 11.28.06
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/yosiro.html
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理解が及ばないのに釘付けになる圧倒的な言葉の迫力。何なんだろうこれは。詩もいいし、エッセイもいい。最後の「ノート」がとりわけすごい。心に響いた文句をノートにうつしとっていたら、やがて全文をメモするようなかっこうになってしまった。常に手元に置いて、読みなおしてみたい本。
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詩を書きはじめてまもない人たちの集まりなどで、いきなり「詩とは何か」といった質問を受けて、返答に窮することがある。詩をながく書いている人たちのあいだでは、こういったラジカルな問いはナンセンスということになっている。「なにもいまさら」というところだろう。しかし、詩という形式がまだ新鮮な人たちにとって、この問いはけっしてナンセンスではない。彼らにとって詩は驚きであり、その驚きの全体に一挙に輪郭を与えたいという衝動は、避けがたいことだからである。この問いにおそらく答えはない。すくなくとも詩の「渦中にある」人にとっては、答えはない。しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも「新鮮に」私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。
ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙をかたるためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意思が、詩の全体をささえるのである。
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「詩の定義」をいつも思い返して、ことばや文学全般についてよく考える。
「馬と暴動」「陸軟風」「耳鳴りのうた」「像を移す」など読み返したり、頭の中で唱えたりするのが心地いい。
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石原吉郎の詩・批評・ノートを三部構成でまとめた一冊。
「望郷と海」「ある〈共生〉の経験から」や第三部のノートを読んでいる途中、ふと大岡昇平の「野火」が頭に思い浮かんだのは、作者自身の戦争体験やキリスト教に対する観念が作品に影響しているという共通点のせいかもしれない。
「失語と沈黙のあいだ」には、失語という行為に対する認識がシベリア抑留中の経験を交えて綴られていて、特に“言葉が人を見放す”という考え方には個人的に鮮烈な印象をうけた。
「自転車にのるクラリモンド」「さびしいと いま」「居直りりんご」「いちごつぶしのうた」などの詩作品には言葉のリズムの秀逸さだけでなく、著者が放つ“ひとすじの声”の定義を考えさせられる。
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終戦後八年のシベリア抑留を経て書かれた、詩とエッセイ。詩が難解で、一度読んでもよく分からない。エッセイで著者が経験した生々しい現実を知り、詩の背後に見え隠れする感情の正体が少し見えてくる。
「詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい」
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沈黙を語ることば、沈黙のためのことば
ことばによるこのような不幸な機能が詩であると著者は言っています。
彼の核にあるのはシベリア抑留体験、飢餓と強制労働。告発ではなく、もっとも語りにくいもの、激しく耐え難いものを語らねばという衝動が彼の詩には静かにみなぎっているようです。
僕が石原吉郎の詩に触れたのはこの本ではなく、別の『望郷と海』というエッセイの中でしたが、ある種の極限状態の中で、言葉と主体が離脱するさまを回想しています。それはつまり、主体が均され、むなしくなった結果、ことばがするりと逃げていくといったことで、そこで生き残るためには、そうやって言葉に見放されることで、自己であることをやめる他なかったというのです。
戦争という大量殺人のもっとも大きな罪は、一人一人の人間の死の重みを無きものにすることだ。著者は8年の抑留から解放され帰国しますが、快復し過ぎる肉体に対し、ここでようやく精神は拘禁の痛みや苦悩を改めて経験し、回復へと向かうわけです。著者にとって詩とは、この回復期における、ばらばらになった主体をつなぎ合わせ、ことばを取り戻すべく、彼自身の精神に深みに手探りで進んでいく過程で生み出されたものなのでしょう。
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作者の石原吉郎は、自らのシベリア抑留の体験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。
作者は、大学卒業の翌年1939年に応召され、終戦時にはハルビンの満州電電調査局に所属していたが、密告によりソ連に捕えられ、49年に反ソ・スパイ行為の罪で重労働25年の判決を受けて、53年にスターリン死去後の特赦で帰国するまで、8年間シベリアで抑留された。
本書は、詩、批評、ノートの3部構成となっており、批評の部には、「ある〈共生〉の経験から」、「ペシミストの勇気について」、「望郷と海」などが収められているが、それらの作品は、「日本へ帰って来てから私が読んだもので、大きな衝撃を受けた書物が二冊あります。ひとつはフランクルの『夜と霧』、もうひとつは大岡昇平の『野火』」と作者自らが語っている、『夜と霧』と並ぶ作品とも評されている。
「ある〈共生〉の経験から」では、極限の環境に置かれて、食事の分配や睡眠の場所の確保のために、他人との共生は不可欠なのであるが、その個々の目的を達した瞬間、他人に対して完全に無関心な状態に陥ることが語られ、「ペシミストの勇気について」では、誰もが一日だけの希望に頼り、オプティミストになるほかはない極限の環境の中で、ただ一人ペシミストを貫くことによって、自らの自立を保った男の話が綴られている。
極限の環境に置かれて初めて現れる人間の様々な姿と、それでも人間性を保とうとする一部の試み。。。そこから作者が見い出した普遍的な何かを充分に汲み取ることができたとは思えず、今後時間をかけて思索を続けていくべきテーマなのであろう。
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今どき、石原吉郎を読む人なんているのでしょうか。若い人にすすめてみると「わからない」という一言が返ってきました。彼の孤独の深さと人間凝視を「わからない」で済ませられる社会はいい社会なのでしょうか。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
こんな言葉も響いてきますが、30年以上前の言葉です。
ブログでもうだうだ言ってます。よければ覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202111090000/