紙の本
主人公はブルータス
2021/05/23 19:32
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
シーザー(カエサル)暗殺を描いた史劇。しかしこれはカエサルではなくて暗殺する側を描いていて、ブルータス(ブルトゥス)とキャシアス(カシウス)の首謀者2人がなぜクーデターに踏切ったかという動機が語られる。しかしその後の演説でアンソニー(アントニウス)に自由な演説を許して反撃の機縁を与えてしまうし、その人徳の故にカエサルの後継として支配者になることを選ばずいかにも中途半端。結局その後の決戦でアンソニーに敗れてしまうが、義人にして勇者としての尊敬をもって丁重に葬られる。
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「賽は投げられた」
「来た、見た、勝った」
「ブルータス、お前もか!」
さまざまな名セリフとともに歴史に散ったシーザーを暗殺したブルータスの話です。
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「…いくらでも怒れ、その傲慢な心臓が裂けるまで。まあ、自分の奴隷どもでも相手に、その癇癪に猛り狂った姿を見せてやり、精々奴らを震え上がらせてやるのだな。この俺まで尻尾を巻かねばならぬと言うのか?…よしてくれ、貴様の腹の虫が吐いた毒汁ではないか、またその胃の腑に押しもどしてやるだけだ、それで貴様の腹が爛れて裂けようと、おれの知ったことか。…」
どは〜ブルータス。
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これはいわずと知れた名言
ブルータス、お前もか!
だが、その裏に隠されたブルータスの苦悩を知るべし。真の友はその情を持って殺すことすらできるものか。
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前半のストーリーの進み具合は分かりやすくて好きな感じでした。
最後の方はなんかバタバタと終幕に行ってしまう感じでなんか物足りなく感じてしまいました。
演劇ならきっと、これで勢いにのって終われるのだろうと思います。
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ブルータスの生き方、考え方は私は好きです。
あまりに清潔すぎて他から反感を抱かれたりする事もあるでしょう。
ただ、結局、シーザーを殺してしまうのですね。
そこらへんを客観的に見れてとても良かったです。
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反逆者の中でブルータスだけが正義感のみで行動していた、という悲劇。ブルータスほどの人物なら、そんな事もすべて受け入れた上での行動だったのだろう。
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ブルータスお前もか。
という言葉しかしらなかったので読んでみた。
シーザーの絶対的な自信とブルータスの高潔さ、キャシアスの現実主義が個性となっている。
シーザー殺害場面、アントニーの演説場面はやっぱり面白い。
しかしなぜブルータスの妻が死ぬ必要があったのかはよくわからなかった。
ブルータスと中心として、シーザーの死と対比させるためだろうか。
このあたりはよくわからなかったかな。
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ローマ人はシーザーを神の如くあがめているが、見る目のある人々は、その先に見え始めた独裁者による圧政に脅威を感じ始めている。
キャシアス リアリスト 冷静 黒幕的政治家 潔い
ブルータス 慎重 高潔の士 それほど明晰ではない 心が広い どういう人なのかよく分からない 単純
シーザーの代わりにブルータスをあがめる シーザーに重用されないからブルータスの下につく シーザーへの嫉妬
トレボーニアス メテラス ケイアス・リゲーリアス キャスカ
政治の重要な決定を高潔の士、偉大な人物が下す事はほとんど無い。
アントニー シーザー側のキャシアス
ボナパルトを愛するが、ナポレオンは愛さない、ってことかな。
一般市民にはシーザーもブルータスも変わらない。崇拝できりゃなんでもいい。
暴君にはクーデターを。そして暴力にはそれ以上の暴力をもって報いられる。
愛情という奴は、消え衰えかけると決まってわざとらしい儀礼を用いはじめるのだ。」
ここで、マクベス夫妻を思い出した。
革命は、それを始めた人間のものではなく、終わらせた人間のものなのだ。
罪を犯す怖れがある、という理由で断罪してはいけなかったのだ。
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3月15日。シーザーに占ひ師が「3月15日に気をつけなさい」と忠告した日です。
本書『ジュリアス・シーザー』は、沙翁作品の中でも地口や無駄話が少ない。結末へ向つてまつしぐら。流線型でカッコいいのであります。
ポンペイとの戦に勝利したシーザー。ローマ市民のヒーローとなつて王冠を捧げられまます。
ところが権力が集中することに不安を抱く一派もゐまして、人望のあるブルータスにシーザー暗殺をそそのかすのであります。
ブルータスは懊悩しますが、私利私欲のためではないと、結果シーザーを殺害するのでした。Oh!
ブルータスは、ローマ市民に暗殺の理由を説明して、彼らを納得させてしまひます。今度はブルータスが市民の英雄になるのですが、直後、アントニーに演説の機会を与へてしまつたのが命取りに。
ここでアントニーは、巧みな煽動によつて市民の心をつかみ、大逆転をするのです。
シーザーの善行(?)を述べ、彼に野心はなかつたと説く。しかしブルータスは野心を抱いてゐたといふ。そしてブルータスは公明正大の士である...
このくだりはまことに有名で、教科書にも登場しました。お陰でブルータスは追ひつめられ、最後は切ないことになりました。
彼はワキが甘かつたといふしかない。
人間の本質といふものは、洋の東西問はず昔も今も変らないものであることだなあ、と感じるのが沙翁の芝居であると申せませう。
http://ameblo.jp/genjigawa/entry-11193533523.html
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・ローマ人の物語とのギャップ
→ カエサルの描き方
→ ブルータス、カシウスのセリフ
→ 茶番劇
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セリフが有名なシーザーの最期をはじめ、死を予期していないあっけない別れ、友情を確かめ合ったあとの爽やかな別れ、部下との信頼にあふれる別れなど、人と人とが別れるシーンが印象的な作品。
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ブルータス そうなのだ、キャシアス、もちろん、おれはシーザーを深く愛してはいる……しかし、何か用があるのか、こうしてさっきからおれを放そうとせぬが? 何が言いたいのだ? もしそれが公のためになることなら、右の目には名誉を、左の目には死をさしだすがいい、おれはそれを二つながら平然と眺めよう。神々もお守りくださろう、このおれには名誉を愛する気もちの方が強いのだ、死にたいする恐怖よりも。
シーザー もっと肥っていてもらいたいものだな! いや、気にかけはせぬ。ただ、もしこのシーザーの名にとって気にかかる何者かがあるとすれば、まず誰よりも先に遠ざけねばならぬ人物が、あの痩せたキャシアスだ。あの男は本を読みすぎる。なんでもよく見える。人のすることが底の底まで見とおしだ。やつは芝居が嫌いだ、お前とは違うな、アントニー。音楽も聴こうとしない。めったに笑わぬ。たまに笑えば、それはまるでおのれを嘲るような、そしてうっかり笑いを洩らしたおのれの心をさげすむような、そんな笑いだ。ああいう男は自分より強大な人物を見ると、もうそれだけでおもしろくなくなる。だから、非常に危険だというのだ。いや、おれが言いたいのは、ただどういう人物が恐るべきかということだけだ、それをおれが恐れているということではない。いかなるときにも、おれはシーザーだからな。
キャスカ おれにも出来る。同様、どんな奴隷でも、おのれの手で囚れの境遇を打ち切る力はもっているはずだ。
キャシアス それなら、なぜシーザーを暴君にさせるのだ? かわいそうに! あの男だとて、すき好んで狼になりはしまい、ローマ人を挙げて羊の群と思いさえしなければな。獅子にもなるまい。ローマ人が牝鹿でなければな。人、もし大いなる火を急ぎ起こさんと欲せば、小なる藁しべをもって始めようという。ふん、ローマは炊きつけか、ただのがらくた、ぼろ屑か、シーザーのごときやくざな代物を照らしだすため、喜んで塵芥の役を演じようとは! 待て、悲しみが、ああ、貴様はおれをどこへ連れて行こうというのか? 今、おれがこうして話をしている男は、おそらく奴隷の境涯にいつまでも甘んじていよう気かもしれぬ。それなら、おれは自分の言葉に責任をとらなければなるまい。だが、覚悟は出来ている、わが身の危険など、もとより意に介しはしない。
ブルータス 正直に言って、シーザーという男、今日までおれは、奴が私情のために理性をしりぞけるのを見たことがない。それにしても、ありがちなことだ、身を低きに置くもの、所詮は若き野心が足を掛ける梯子のたぐい、高みに昇ろうとするものは、かならずそれに目をつける。が、この梯子、一度天辺を極めてしまえば、もう用はない、そしらぬ顔で背を向けて、目ははるか雲のかなたに預け、それまで登ってきた脚下の一段一段に蔑みの足蹴を食わせるのだ。その手をシーザーも使いかねない。それなら、その手を食わぬよう、機先を制するのだ。
キャシアス そして、われわれの決意を誓いあおう。
ブルータス いいや、誓いは要らぬ。民の心の動き、われらの心の痛み、時代の弊風、それでもまだ―それだけでは動機がたりぬと言うなら、今すぐやめてしまうがいい、みんな家へ帰って、いぎたなく眠りこけていたほうが、よほどましだ。
アントニー この私には才智もなければ、言葉もない、名も通ってはおらず、身ぶりよろしく人を惹きつける術も知らない、喋り方も不器用なら、説得力にも欠けている、聴き手の血を湧かせることなど思いもよらぬ。私はただありのままに話すだけだ。諸君自身が知っていることを告げ、諸君に向かって愛するシーザーの傷を、あの痛ましげに物言わぬ口を差し示し、かれらみずから私の代りに語りかけることを求めるのみ。もし私がブルータスであったら、そしてブルータスがアントニーだったら、おそらく諸君の心を奮いたたせ、このシーザーの無数の傷口に一つ一つ舌を与え、ローマの石すら立って乱を起こすほど、興奮の渦を巻き起こしたに相違ない。
ブルータス その言葉のとおりだ、熱い友情がさめてゆく過程というものは。よく覚えておくがいい、ルーシリアス、愛情というやつは、消え衰えかけると決ってわざとらしい儀礼を用いはじめるのだ。むきだしの素直な実意は細工を必要としない。が、不実な人間は、まあ、馬にたとえてみれば、駆けだしだけが調子よく、いかにも派手で、溢れんばかりの気力を見せるが、いざ決戦の場に臨み、厳しい血まみれの拍車に耐えねばならぬとなると、たわいなく頭を垂れて、いや、まったく見かけだおしの駄馬同然、肝腎のとき、つぶれてしまうのだ。
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悪政を働く権力者に、正義感あふれるもの達が反逆を起こすも、元権力者の身内に民衆を煽動され、正義感から行動したもの達が追いつめられてしまうというシンプルなストーリーで分かりやすい内容である。
正しいことを貫いたはずが、報われないという結末が悲しいが、潔く自決を選ぶ姿は日本の武士道を思わせる。
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結局、善人などいないのだ。シーザー、ブルータス、アントニー、それぞれの信念は理屈が通っているのに、どこかに決定的な弱さがある。もし、シーザーが決然と王冠を退けていたら、ブルータスはキャシアスの唆しには乗らなかったろうし、また身内と政治を決然と分けていたら、ブルータスは暗殺に乗り出さなかっただろう。アントニーは弁舌の巧みさを押し隠して、民衆を煽動する。いずれ、勝者たる彼も敗者に転じる。強さの中の一点の弱さが人間の破滅を呼ぶ。