紙の本
民俗学の巨匠、赤松啓介氏の生涯研究の一つの到達点とも呼ばれる作品です!
2020/04/14 10:45
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、民俗学の巨匠、赤松啓介氏の生涯の研究における一つの到達点とも言える作品です。同書の中で、赤松氏は、「柳田民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在をみとめないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない」と鋭く批判し、そうした従来の民俗学とは異なって、すべての民衆に目を向け、こうした下層民からその民俗を掘り起こしていくことで人間存在の根源的病巣「差別」の起源と深層構造に迫ろうとした一冊です。柳田民俗学とは一味も、二味も違った赤松民俗学の本質をこの機会に学ばれては如何でしょうか!
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「夜這い」で有名な赤松氏の論集.柳田民俗学を痛烈に批判し,そこから漏れ落ちた非差別部落を初めとした差別の重要性を,著者が地べたを這いながら収集した様々の習俗から説き起こしている.
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民俗学の祖柳田の批判を交えつつ、斬新な切り口と視点から差別とは何かを説いている。著者の当時の息づかいを感じさせる様々な実体験は、大いなる説得力を持って読み手を導いていく。彼は常にすぐそばで、隣で差別とは何かを目にしてきた。それが故に問う。差別の形。そして今の実態と、柳田民俗学の欠落部分。泥くさい地面を両足でしっかりと歩いている、そんな視点だ。
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差別というものは、非抑圧な「一般」が張り切ってするもので、少数者にいたってはもう必死にするものなのだ、という当然なんだがあまり言われないことを、自分の体験を語るなかで述べている。中盤に、同じ説話についての3人の論文というのが載っていて、ここに南方熊楠のものが採録されていた。
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日本にある「差別」を知り、考えるきっかけを与えてくれる良書。平和ボケした脳みそに良い刺激となるでしょう。
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「柳田民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在をみとめないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。」すべての底辺、すべての下層からその民俗を掘り起こし、人間存在の根源的病巣「差別」の起源と深層構造に迫った、民俗学の巨人・赤松啓介のひとつの到達点。人間解放の原理、平等原理に貫かれた著者のまなざしは、限りなくあたたかい。
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柳田国男への批判精神が強く伺われた。
著者自身の研究スタイルや地道なリサーチはとても興味深く、そっちにフォーカスした本も読んでみたい。
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「夜這いの民俗学」と内容の重複があったり、柳田國男の悪口が相変わらず多かったりしますが、やはり素晴らしい本でした。
性や差別など、そういうものに触れないことは、関与していない他人事ではなく、文字通りアンタッチャブルの残存に知らずのうちに貢献してしまいます。差別用語の排斥よりもその方がずっと大切でしょう。
メディアなどで著名人の紹介の際「旧家の出身で」と紹介することが、犯罪者を「部落の出身で」と晒し挙げることと根幹では同じ発想だという指摘はハッとしましたし、赤松先生自身もそういう誤謬を無意識のうちにしていることを自覚していらっしゃって、そういう姿勢に凄く好感を持ちました。
時間をおいて「非常民の民俗学」も読みたいと思います。
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最近社会学とか民俗学の本を読まなくなって久しいが、ひょんな事から昨日購入して早速読み始めたら非常に読みやすい。この手の本を一日で読み終えたのは久しぶりです。
古文や漢文のところや、色んな用語の意味がわからないことが多々あるが、そのあとの解説で全体として今でも主張が理解できるのは素晴らしいことだと思う。
第3章が特に読み応えがありました。同著者の夜這いの民俗学とか非常民の民俗学も読んでみたくなりました。
追記:沖浦 光赤著『幻の漂泊民・サンカ』文春文庫を引き続いて読んでいますが、赤松啓介先生の主張は少し行き過ぎの感があります。例えば、
時代や状況など考慮する要素はあるにしても、柳田国男先生の社会学に対する批評など沖浦先生の方が、より具体的に+Δを指摘されています。
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著者の研究姿勢について何も知らない状態で読むと、なぜこうにも柳田民俗学を否定するのか、階級という言葉を用いるのか等々、疑問がたくさん湧くが、解説を読んだら理解できた。
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民俗学と聞くと、平和な里山村の昔話の様な世界を想像し勝ちだけれど、本当は性、差別等々血生臭い世界の記憶なのだと思った。地べたを這いずり回る様な生活をしていた人の存在を、決して忘れないための学問なのだと思った。