紙の本
終戦という言葉に違和感あり
2019/05/23 23:34
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦ということばの響きに私は以前から違和感を持っており、終戦というのはきれいごとすぎるのではないか、どう考えても「敗戦」であって「終戦」ではないだろうと思っていた。この著書はそのことを明確に述べている。日本人は8月15日を終戦記念日にすることによって「敗戦」したという事実に耳をふさいだのだ。「8・15に文化人の発言は(中略)自分の立場のあかしとして8・15体験を使っていることがある。だから、大衆一般のものよりも証言価値が低いものが多い」というこの本にある或る人のことばには同感だ。どうも日本の文化人、右の人も左の人も「私は君らとは違う」とばかりに後付けで8・15に私はこう考えていたという人が多すぎたように思える。
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日本がポツダム宣言を受け入れた日は8月14日であり、ミズリー号上で降伏文書に調印したのは9月2日なのに、なぜ8月15日が終戦記念日となったかを論じた本。(停戦交渉は本当はもっと前からやっていた)中国や韓国が、日本が負けた日を修正していくのも興味深いし、日本の教科書における終戦のあつかいも、教科書検定があるにもかかわらず意外と不統一なのは不思議なことだ。メディア学とはどういうものかを考える好著。
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なぜ天皇がいわゆる玉音放送をした8月15日が国際的に見ても法的に見ても終戦の日とする根拠がないにもかかわらず、日本人にとっての終戦記念日となったのかを徹底的に調べ尽くした書籍で、とても興味深い内容でした。
今月2日ミズーリ艦上で日本と連合軍の間で協定が締結された日で本当の終戦の日であり、日本にとっては敗戦の日であるにもかかわらず、新聞に書かれていたのは衆院選とカトリーナの話だけでした。著者の言うとおり、いまだに日本人にとっての終戦とは天皇の言葉(詔という言い方もありますが)を中心に定義づけられているという見方に不自然さを感じた次第です。
かなり強い言葉を使っていいますと、終戦をめぐっても日本はある意味、天皇が国民に終戦を知らせたという日本人にとっての「終戦」をいまだに国内的に見た「終戦」と位置づけているところに一種の自己中心的な処理方法を見るのです。この点に関しては反発を呼ぶかも知れませんが、あえて書いてしまいます。
国内向けに自国内で不戦の誓いをしたとしても、それが適切に先の対戦に巻き込まれた国々むけた「対外的」なメッセージになりうるのかというと、そうとも思えないのです。この日を終戦記念日にし続けていることに、メディアの影響力の恐ろしさというか、自然と8月15日ですべてが終わったと思えてしまえる現状の怖さを痛感できるそんな本です。
情報量の多さ・正確さ、過去の歴史の忠実な引用、「終戦」に対する日本国内と国際的見解の違い、などがわかりやすく的確に述べられています。何を持って戦争が終わったとするのか、の判断基準はひとそれぞれで違うと思います。国内向けに終戦の記念する日をもうけて、追悼と不戦の誓いを立てることは何も問題ではありません。
ですが、それはあくまで国内向けのものとしか役割を果たしておらず、戦争に率先して参加した国や巻き込まれた国全てを含めての共通の意志を醸成していくには、やはり国際的な見解も含めた上での対外的な終戦記念日に日本人自身が感心を持つことが大事だと思うのです。8月15日が第二次大戦の終結であるという誤解を解くためには必読の本です。本当の戦後史観を見つけることができると思います。
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2003年に読了した時のレビューを掲載しておく。
本書を読むと玉音放送の見方が大きく変わる。最近読んだ新書の中ではかなり面白い部類に入る。
詳しくは本書を手にとって読んでもらえればわかるが、本書が扱うのは終戦と8月15日が持つ意味である。一口に終戦と言っても、各々のとらえ方によって日付が異なってくる。ポツダム宣言受諾を連合国軍に通告したの8月14日なのか、それを国民に知らせた8月15日なのか、戦艦ミズーリの甲板で降伏文書に調印した9月2日なのか、あるいはサンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日なのか。
私は、今まで昭和20年8月15日を境にして、戦前と戦後が分かたれるのだと信じて疑わなかったが、大学も4年目となり卒論の文献を少しずつながら読み始めていくうちに、そういったものはある種の幻想であると気がつき始めた。8月15日は確かに記念すべき、記憶にとどめるべき日付ではあるが、しかし、それで大日本帝国が崩壊したわけでも、戦後の新秩序が建設されたわけでもない。マスコミの8/15報道によって、国民に「植え付けられた」記憶。終戦を実体験世代であっても、そのマスコミの刷り込みによって、終戦の記憶に肉付けが行われているのだろう。本書の言葉を借りれば、「自明な記憶から曖昧な歴史へ」動いていく。昭和20年8月15日当日の新聞でさえ、すでにこの事件を演出するように玉音写真を捏造し、玉音放送の以前に記事を書き上げていた。
ゆえに、実体験に基づく記憶は確かだというのは、おおむね間違いであろう。一個人が知る事ができる情報はごくごく僅かである。その他の情報は、伝聞、あるいはマスコミや文献などによって獲得されるわけである。後から付け加えられた情報が、あたかも自分の実体験に基づくように錯覚を始めるとき、歴史は歪曲される。
昭和の歴史は、昭和の残り香が無くならない限り、わからないのだろう。
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[ 内容 ]
八月一五日が来るたび、先の戦争のことが語られる。
だが、終戦の“世界標準”からすれば、玉音放送のあった「八・一五=終戦」ではなく、ポツダム宣言を受諾した八月一四日か、降伏文書に調印した九月二日が終戦の日である。にもかかわらず、「八・一五=終戦」となっているのは、なぜか。
この問いに答えるべく本書は、「玉音写真」、新聞の終戦報道、お盆のラジオ放送、歴史教科書の終戦記述などを取り上げ、「終戦」の記憶がいかにして創られていったかを明らかにする。
「先の戦争」とどう向き合うかを問い直す問題作である。
[ 目次 ]
序章 メディアが創った「終戦」の記憶(「八一五字の八・一五詔書」 セピア色の記憶―『北海道新聞』の玉音写真 八月十五日の九州飛行機工場 「玉音写真」がつむぎだす物語)
第1章 降伏記念日から終戦記念日へ―「断絶」を演出する新聞報道(「終戦」とは何か 勝者と敗者の終戦記念日 創られる記憶 「玉音の記憶」に根差す戦没者追悼式)
第2章 玉音放送の古層―戦前と戦後をつなぐお盆ラジオ(聖霊月と「八月ジャーナリズム」 玉音放送のオーディエンス お盆ラジオの持続低音―甲子園野球と「戦没英霊盂蘭盆会法要」 玉音神話と「全国戦没者追悼式」)
第3章 自明な記憶から曖昧な歴史へ―歴史教科書のメディア学(国定教科書の混乱と検定教科書の成立 「終戦」記述の再編 記憶と歴史の対峙―一九六三年 ‐一九八一年 歴史家=政治化する記憶‐一九八二年以降 おわりにかえて―戦後世代の「終戦記念日」を!)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ポツダム宣言を受諾した8月14日でもなく、降伏文書に調印した9月2日でもなく、天皇の声をラジオで伝えた8月15日が「終戦記念日」として記憶されるにいたったのは何故なのか。新聞、ラジオ、教科書というメディアから、「8月15日の神話」がどのように作られたか探っていく。
まずしょっぱなから「玉音放送を聞く国民」のやらせ写真をザクザク発掘していくというスリリングな展開。敗者は映像を持たないという大島渚の至言。終戦の記述について、小中の教科書が9月2日に触れていないのに高校の教科書は9月2日が定番というのも意外だった。へえ~。
批判的思考はまず事実を知ることから。終戦記念日?8月15日じゃないの?と思ってしまった人はとりあえず読もう。
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みなさんは終戦はいつだと思いますか?玉音放送が流れた8月15日?はたまた昭和天皇がポツダム宣言を受諾した8月14日?ミズーリ戦艦の上で調印式が行われた9月2日?もしかしたら玉音放送を知らないまま一生を過ごす人もいるだろう。しかし日本人の一つの集合的記憶として植えつけられた終戦日をメディアの観点から考えて行く本。決して読んで損はしないと思う
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【読書】 終戦記念日として国民全体に認識されている8月15日。8月15日には、全戦没者に対し、国をあげて追悼の誠を捧げるため、全国戦没者追悼式が実施されている。「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が設けられたのは実は昭和57年4月であり、自分が生まれた年。不思議な縁である。そんな8月15日にまつわるメディアの報道の仕方、当時の国民の反応・文化活動等を書いた本。
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毎年疑うこともなく8月15日には終戦記念日を迎え、特に甲子園では12時から1分間黙祷をすることはよく知られています。そういう私にとって、この本のタイトルを見た瞬間に惹かれるものがあり手に取って読んでみました。
玉音放送の一部を何かの番組で聞いたことがありますが、昭和天皇は難しい言葉を使っていて、普通の人には何を言っているのか理解できなかったと思いましたので、あの放送をもって戦争が終わるかどうかは確信が持てなかったと思います。
この本では8月15日が過ぎても直ぐには戦争が終わらなかったことや、学童疎開が有料であった事実が紹介されています。現代も色々と問題はあるとは思いますが、戦争のない時代を過ごせる私は恵まれていると改めて思いました。
特に、日本占領後の方針に対して大きな功績(アメリカ軍票は使わない、間接統治)をした鎌田中将の功績が抹殺されている(p111)のは残念に思いました。
以下は気になったポイントです。
・7月28日の新聞に掲載されている記事には、「米英重慶、日本降伏の最後条件を声明」とあって、米英ソの共同声明でなく、ポツダム会談に参加していない重慶政府(中国)が名を重ねていて、参加したソ連は欠落している(p17)
・ポツダム会談中の選挙でチャーチルは破れて、会議半ばの7月28日からは労働党の新首相アトリーと外相がイギリス代表となったが、25日にトルーマンの宿舎を訪れて署名を同意して帰国した(p20、25)
・今日「ポツダム宣言」と呼ばれている「三国声明」は、米国国務省の知日派が作成したものをバーンズ国務長官が仕上げたもの(p22)
・当時の日本列島の本土防衛は東と西に二分されていて、第一総軍(司令部東京)と第二総軍(広島)であり、第二総軍司令部の隷下に、中国軍管区司令部(広島)と西部軍管区司令部(福岡)があった(p31)
・ポツダム宣言の受諾そのものは、8月10日の午前2時30分、天皇の聖断で決定し、外務省は中立国のスイスとスウェーデンの日本大使館を通じて、交戦各国に伝達を依頼した(p62)
・航空艦隊には空母はなかったが、5航艦司令部隷下の航空隊は、多くの部隊が健在であり、玉音放送のあった夕刻に、11機の艦上爆撃機とともに最後の特攻攻撃をした、合計で3500とも5000機ともいわれる特攻機が待機していた(p76、77)
・本土決戦は二段構えで、海岸線に配備された新設の連隊と、日本奥地には新鋭部隊が秘匿されていた、航空機で1万機以上、戦車3000台以上、毒ガス爆弾は1万8000発以上(p95)
・爆撃機を含む航空機の多くは、戦力温存のために日本海側の飛行場に疎開していた(p95)
・占領先遣隊を迎えた接伴副委員長の鎌田陸軍中将は、先遣隊の隊長(テンチ大佐の上司であり顔見知りでもあった(p106)
・千円だけもって朝鮮へ帰還するかどうかを迷っているうちに、朝鮮戦争が始まり、200万人は帰国したが、60万人は日本に留まった(p141)
・昭和���0年の秋は明治以来の凶作となった、大量の爆弾の煙が成層圏まで舞い上がり日差しを減らしたため、艦船の沈没は海面を油膜で多い海水の蒸発を遅らせ巨大な台風となった(p149)
・日本政府は450万トンの食糧援助を要求して、GHQは100万トンに削って本国へ要求、政府は70万トンを認めた(p150)
・日本国内で空襲を経験しなかったのは、奈良県・鳥取県・石川県と箱根地区である(p160、161)
・昭和13年の防空法制定により、空襲があった時は老若男女を問わずに消火活動をする義務があり、空襲から逃げると罰金(500円:将官の年棒レベル)があった、学童疎開の真相は、防空義務の足手まといを去ることと、次世代の戦力培養であった(p193)
・学童疎開は有料で、一時金:200円と、毎月20円以上の生活費が必要、公務員の初任給が月収75円の時代(p193)
・日本が占領を脱して独立したのは、昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約の調印による、条約発効は27年4月28日(p213)
2010/09/05作成
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「終戦」をいつに決めるかは、事実より国家が恣意的に決定するものだと了解していた私にとっては、何ら驚くことのない本であった。
よく考えれば分かることである。8月15日に、南方戦線や中国・満州で戦っていた人々が一斉に降伏するはずが有るわけがない。
しかし、民衆は、怠惰だから分かりやすい方を好むのは今さら言うまでもなく、このような本を読まない限り気付かない。
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実はずいぶん前に読み終わっていましたが、なかなか更新する暇がなく。
題名の通り、日本の「終戦記念日」の八月十五日について、主にメディアの目線から分析した内容となっています。
そういえばなかなか日本で「敗戦」て言葉は目にしない。
こうやってメディアに操作されてるのだろうか(-_-;)
客観的に当たり前のことを見つめるって、きっと思う以上に難しいんだろうな。
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今まで知らなかった事実が次々と明らかにされて、目からうろこの一冊だった。
詳しく終戦について考えたことはなかったが、この本を読むことで、もっと終戦について調べてみようと感じた。
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終戦の日はいつか、と聞かれたら、多くの人は八月十五日と答えるだろう。しかし、ポツダム宣言受諾の表明は8/10、昭和天皇の終戦の詔書への署名は8/14、ポツダム宣言調印は9/2である。8/15は終戦の詔書がラジオで流され、国民が終戦を知ったという日である。しかもラジオの内容は聞き取りにくく、実際に敗戦を理解したのはその日の新聞によってだった国民も少なくなかった。
八月十五日は戦後にメディア等々によって作り出された神話であることが解き明かされて行く。対して、9.2や開戦の12.8は忘れ去られる。終戦、敗戦とはなんだったのか、ということが神話の陰にぼやかされていく。
そこで私たちは思いを致さないわけにはいかない、3.11という神話に。3.11だけで全てが変化したわけではない、ということは、今はみなわかっているだろう。しかし、原発や政治イニシアチブの問題、経済成長モデルの破綻、デフレ等々、全てがこれから3.11に収斂され、神話化されてしまうかもしれない。我々は8.15の語られ方をみつつ、3.11の語り方についても考えなくてはならないだろう。
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8月15日は終戦記念日とされているが、その背景には世界各国の国政やメディアによる記憶の再編があった―――
という内容の本で、最後には日本が記念日の日付を変えることを提案している。
歴史的知識に乏しい僕のような人間には難しい。
また、本とするために単調な論理を避け、厳密さを追究したりレトリックを加えたりしている。それを楽しめるかどうかが、この本を楽しめるかを左右する。
僕は歴史の知識に乏しく、筆者のレトリック的表現にも興味をそそられなく、また論点が見えなくなることが不満。
教養のために腰を据えてゆっくり読むといいだろうと思うが、今は避けたいし、今後もする機会には恵まれないだろう。
もし、機会に恵まれるのなら、じっくりゆっくり、さらに分析も加えながら読みたい本。
ぼろくそいってるけど、筆者の思想はがっちりと論理性を持って出ているので、わかる人には良書だと思います。
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戦無世代の私は、終戦記念日は疑いもなく八月十五日だと思っていた。
詳細なメディア研究で、なぜ、日本においては、その日が終戦記念日として定着するに至ったかを検証していく様は、まさにスリリングで、目ウロコ本であった。
最後の提言も、至極納得出来るが、その上で、今となっては終戦記念日の歴史認識を変えるのは、なかなか難しいだろう。
日中韓の歴史認識問題は、戦後の外交のまずさもあり、あまりにも、センシティブでナイーヴな問題になってしまっている。