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紙の本
面白いんですよ、ホント。でも数式はちっともわかりません。それに、人間がね綺麗なところだけ書かれていて、数学史としてはいいんでしょうが人間の歴史としては、ちょっと甘い
2006/07/28 20:42
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
まず、クレストブック、ということで読みたくなります。しかも、新聞などであの小川洋子が絶賛、なんていう言葉を見れば、「博士」が出てくるのかな、なんてあらぬ期待を抱いたりします。しかもです、「素数」に「音楽」です。原題は The Music of the Primes 、なんて素適なタイトルなんだろう、と思います。
しかも、です。リーマンです。女子高生が使う「リーマン」じゃあありません。はるか昔、もう内容も書名もすっかり忘れてしまったS・S・ヴァンダインのミステリ、『僧正』?それとも『グリーン』のなかでファイロヴァンスが言っていたリーマンです。
それに、です。私は以前、サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』を読んで、肝心の「フェルマーの最終定理」こそ全く理解できなかったものの、それをめぐる数学界の人々の生き方に、共鳴し、共感し、驚嘆し、驚愕したわけです。シンの本のタイトルの無味乾燥さに比べれば、ソートイの本の題名の美しいこと、それこそ音楽を思わせます。
つまり、です。私は小川洋子、クレストブック、「素数」、「音楽」の四つの組合せ(カルテット)と、『フェルマーの最終定理』、ハードカバー、ドキュメントというトリオから勝手に想像して、『素数の音楽』は、数学を扱ったファンタジー、ちょっとSFがかった純文学だと思い込んだわけです。
でも本文読んでガーンとくるんですね、ははは、小説じゃないじゃん・・・
メジャーをうまく使ったカバー写真、実はこの写真、わざわざこの表紙のために撮り下ろしたものらしく、メジャーには原題の The Music of the Primes といった言葉や、素数、クレストブックのシンボルマーク、本の値段、作者の年齢、日本が滅びる日などが記入されていて、笑わせます・・・(冗談、じょうだん、ジョーダン)。
ちなみに、訳者あとがきを読みながら、この人の数学、素数に関する理解のほどを疑うところがあるんです。だって普通の翻訳者が、素数に関する数式を本当に理解できるわけ、ないじゃん、て。
それはともかく、訳文は数式を除けばわかりやすいものなので、楽しく読むことができる、というのは嘘ではありません。それはシンの『フェルマーの最終定理』と全く同じです。夥しい数の人々が登場します。リーマン、オイラー、ガウス、ゲーデル、チューリング、フェルマー、シュレジンガー、アインシュタイン、ブルバキ、ファインマンとまあ私でも知っている有名どころから、この本で始めて知ったラマヌジャン、ヒルベルト、セルバーグ、ヴェイユ、ザギエ、オドリツコ、リヴェスト、ポメランス、ダイソン、ダイアコニス、コンヌ、コーエンなど。
彼らは、このお話の中では激烈な競争を繰り広げません。和気藹々と共同作業、互いに認め尊敬し合うのです。総じて、皆のいいとこどり、見たいなきらいいがないわけではありません。
でも、そんななかでも矢張り、ナチスによって追われ、或はソビエトとの関係を疑われ、はたまたホモセクシャルのスキャンダルにまみれ、ホームシックにかかり、病気や自殺といった形で表舞台から消えていく人々もいます。でも、基本的には列伝です。しかも、いい時だけに焦点をあてた。人間ドラマとしては中途半端ですが、リーマン予想、素数の謎に挑む人間の歴史としては十二分。
それにしても、失われたといわれるリーマンの黒いノート、そこには何がかかれていたのでしょう。そして、家政婦の手によって焼かれてしまったという夥しい量のメモ。メモは燃えてしまったことは確かですが、黒いノートは20世紀に忽然と消えただけ、きっとどこかに眠っています。それにしても、おそるべし、リーマン。あ、サラリーマン、のことではないですよ、この場合。ま、女子高生を追いかける、っていう意味では、そっちのリーマンも怖いことはこわいんですが・・・
紙の本
高等数学にかかわる話を、素人にこれほどの興味と興奮を持って読ませるとは!
2006/03/04 17:56
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ペンは剣よりも強し。すごい筆力というか、表現力である。高等数学にかかわる話を、素人にこれほどの興味と興奮を持って読ませるとは。著者はオクスフォード大学数学研究所教授であり、新聞や雑誌にも多数寄稿してしているという。文才の方もなかなかのものであるらしい。
話題は、これまでも何冊か書かれてきた、自然数の数列の中で、素数がどのように分布しているのか、配列の仕方に規則があるか、という課題についてである。1900年パリ博覧会の記念行事である、パリ大学でのヒルベルトの講演で提示された、二十三問題の八番目、リーマン予想「ゼータ関数の零点は全てガウス平面で1/2の線上にある」を、何時何処の誰が証明に挑戦し、どのような進展があったか、その歴史を解説している。 ギリシャの数学者エウクレイデスによる、素数が無限にあることの証明。2の指数を使った式で素数を予測しようとした、フェルマーやメルセンヌと、その式では素数でない数もでてくることを計算して確認したオイラー。素数をあらわす数式が求められないなら、素数のおおよその数が予測できないかと、素数のおおよその個数のグラフを対数との関係から示し、その誤差まで検討したたガウス。虚狽フ無限数列の和から定義されるゼータ関数の零点の分布が素数の秘密を明らかにすることに気付いたリーマン。このリーマン予想に挑戦した独仏英米印の数学者たち。20世紀末には重原子の核外電子のエネレギーレベルとの相似やカオスとの類似から物理学者まで参加。コンピュータの発達により、今や400万桁以上の素数が確認されている。素数という数論の問題が、根っこの部分で複素解析学、幾何学といった数学の分野だけでなく、量子力学といった物理学の分野まで関係している。学問とは異なる事象間の間に共通なものを見つけだし、同一の概念で統一的に説明することであろう。そのような観点から、素数の分布という問題が、数学と物理学の根本のところのつながりを示唆しているようである。素数の音楽という表題も、そのようなことを表現したものだ。
犯罪捜査で指紋、血液型、モンタージュ写真や最近のDNA鑑定を駆使して、謎解きしていく過程と同様に、数学者たちのリーマン予想への挑戦によって、数論の道具だけでなく、いろいろな手法を使って、素数の謎が明らかにされていく様子が(まだ解らないのではあるが)、読んでいて胸がワクワクするように、書かれている。