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裁判官数 3266 一人に国民が3.8万
裁判官一人が抱えている訴訟件数は200−300件
司法試験合格率 3.42% 2004 合格者は最高裁司法研修所で1.5年司法研修。身分は国家公務員に準じ、給料あり。修習生の中から優秀な人間を裁判官としてリクルート 要件事実教育 エリート意識が高い「万能感」に捉われた裁判官たち 世間知らず。敷金をしらない。
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経営者もだけど、世の中で尊ばれる仕事の多くは重要な決断が業務上課されるものだ。そういう意味で裁判官は尊い仕事なのだろうが、現実それにふさわしい人材は少ないのでは。
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たしかに、そういう面はあるのかもしれないが、いい過ぎ…。
と、色々反論したくなる点の多い本である。
常識に照らして、おかしいと思われる裁判例を挙げて、日本の全ての裁判がそうであると言い切る形がどうも私は気に入らない。
高裁判例を批判しながら、その論拠として、だから最高裁判例は高裁とは逆にの判断を示した。という記述が見られるようだが、それは最終的に正しい裁判(と言う表現もおかしいけど)が行われたのであって、それならば日本の裁判システム自体は誤っていないではないか。
この本は、裁判システム全体なのではなくて、これまでにあった判決が常識に外れていると思われる例を集めた本なのだと思う。確かに、それは恐ろしいことである。
常識はずれな裁判官が存在することも事実なのでしょう、だけど、そこから全ての裁判官が常識はずれだと結論付けるようなこの本全体におけるテーマには異議を申し立てたい!!
そして、逆に警察官の捜査、取調べのもつ危険性についてはあまり触れられておらず、適正であったことを前提に話が進んでいることにも疑問を有した。
これまでの、おかしいんじゃないかこの判決!!という事件のダイジェスト解説と言う意味では面白い本でしたが、本当にこれらの事件の真相を追うのであれば一つ一つの事件の取り上げ方が浅いし…やっぱり、結論に異議アリ!な本でした。
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これを読むと、ああ裁判員制度って必要だなと思うんだけど、その反面、裁判員ですらこうなのに法に対してドシロートの一般市民に何が出来るよ?とも思う。
ただ、取材は緻密です。ノンフィクション作家の中では好きな作家さんです。
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2009/1/26読了。
純粋培養のため常識なし、事実認定力欠如、傲慢、前例主義。上級審判断を伺っているヒラメ裁判官。若い、従順な任官者。
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衝撃的でした。
裁判官は悪を被害者に代わって裁いてくれる正義の味方ではありませんでした。
法律を勉強してる学生は必読です。
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タイトル通りですが、こんな裁判官が沢山いるから現実とかけ離れた判決が出たり、裁判員制度が始まったりするのかと納得してしまう1冊です。
他所の国の話かと思いきや、日本の話なので驚きです。
裁判員をなる方を含め、まだ裁判員にならない方も一読して、現状を知っておくのもいいでしょう。
私個人としては、日本の司法はこんな人たちだけではないと信じています。
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途中までは良い本だったのですが…。
途中から、作者の思い込み炸裂の本になってます。
読む価値なしです。
読まれる方は、この一方的に書かれている箇所に注意しながら読み進めてくださいね。
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裁判官も人間。でも信頼を無くしてはお終いです。 裁判官は、法の世界に生きる人達であり、時々現実離れした支離滅裂な判決を出して、世間を驚かすことがあります。いくつかの事件の例を検証しながら、裁判官の世界の現状を紹介したのがこの本です。
この本の例が全ての裁判官に当てはまるとは思いませんが、裁判官が必ずしも正義の人ではなく、被告と同じ人間であるということは痛切に感じました。
昨年から始まった裁判員制度は賛否両論がありますが、これは世間の常識を裁判に反映させたいという意志の表れであり、そうしなければならないほど裁判官が世間離れしているということなのかなと思いました。
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著者は何を言いたいのだろう。
まえがきで「本書は単に裁判官を批判し、弾劾するためのものではないことを断っておきたい」と書いてあるが
まさにそのためのモノでしかない感じがする。
今までの多くの裁判例の中で、明らかにおかしい、社会的相当性に欠ける判決事例を多くだし、これでもか!という位に批判するが、「それは門田さんの主観でしょ!?」とつっこみを入れたくなる所が満載だった。
とはいえ、この本に紹介された事例も事実は事実として特に法曹界は考えていかなかえればいけない。裁判員制度をその一つとして導入されたのだろう。私は読了後「裁判官」の悲哀みたいなものを感じた。
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・ブックオフで100円だったのでタイトル買い。そしたら光市事件の門田隆将の本だった。
・日本の裁判官のあり方がいかにおかしくなっているかという事例を、これでもかこれでもかと裁判官の実名入りで挙げていく。かなり痛快ではあるのだけど、これだけとんでもない判決を下す裁判官の事がほとんど知られていないことに脅威を感じる。市民感覚その物で読んでるんだけど、ずれがすごすぎる。
・裁判員制度についてまだ自分のスタンスを決め切れてなくて、プロに任せておけばいいんじゃねえの?って気持ちもあった。けど子の実状を見ると、誰かが危機感を持って市民感覚を法廷に持ち込むべきとしたのは、自然な流れだなというのは良くわかった。制度自体の正否はまだ判断がつかないけど、こういう動きが出ることは評価するべきと思った。
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時代はみるみる変わっていくのだから、エリート意識みたいなものがいかに空しいものだとわかる日はそう遠い話ではなさそうだと。ボクは毎日ハンコを押す。薄いです。と指摘されれば赤い液体をタプタプに浸す。濃すぎやしませんか。と指摘されれば「ハハ。真っ赤だね。」と笑い飛ばす。冗談じゃないのはお互い様だ。ハンコの乱れは心の乱れ。ボクは怒っているのだ。ボクは乱れているのだ。キミにはわかるまい。乱れに乱れてキミには迷惑かけっぱなしだね。ごめん。またハンコがズレる。滲む。かすれる。誠意なく。人の大事な人生を欠落した市民感覚と正義感のなさでメチャクチャにしてしまって。。要は判例判例。相場相場。たくさんの方に読まれるといい。この本は。
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精神衛生上は読まない方がいい本。はらわた煮え繰り返る。事実認定は国民にっていう裁判員制度は官僚裁判官に任せない点でいい方向なんだな。
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裁判官が日本を滅ぼす。まあ何と過激な書名でせうか。
今までにも、裁判官の好い加減さを弾劾した書物に目を通したことがありますので、ある程度問題意識は持つてゐました。裁判官の国民審査も、毎回自分なりに各裁判官の過去の判決などを調べ、×を記すのであります。
ちなみに今回(12月16日)は、6名の裁判官に×をつけてしまつたことを告白するものです。
そんなわたくしですが、それでも本書の内容には慄然としますな。
文庫版のカヴァーには「各個の事情を顧みぬ判例主義、相場主義、無罪病、欠落した市民感覚、正義感の欠落、倣岸不遜」とあります。散々な書かれやうですが、残念ながら事実なのでせう。
少々ヒステリックで断定的な物言ひが気になりますが、司法の現状を世間に広く知らしめ弾劾するといふ役割を果たした点で、まことに画期的な一冊と申せませう。
解説の櫻井よしこさんも、裁判官には個人的恨みもあつてか絶賛してゐます...
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
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裁判員制度がはじまって、もうすぐ4年になるが、当時、なぜそんなことをするのかと疑問を持った人も少なくないだろう。法律の知識を持たない人間が人を裁く、その人の人生を決めるかもしれない決断を一般市民に委ねる、そんなことが可能であるのか、また許されることなのか。私だけかも知らないが、人を「裁く」には遠山の金さんや大岡越前のイメージが強い。そんな現在のお白州の長である裁判官は、絶対的な正義があり、かつ品行方正な存在だと思っていたが、どうやらそれは大きな誤解であった。
本書は、裁判官がいかに官僚的で、世間的な常識知らずかということを過去の裁判例を引き合いにして説明している。全ての裁判官がこうであるといい難いが、そんな裁判官がいるかと思うと、腸が煮えくり返ってくる。特に第3章の犯人が消えてなくなる仰天判決が印象的だった。山形マット死事件を扱った裁判だが、「事件性は無い」という判断を正義の使者がどうして下せるのだろう。
そうした判断の矛盾から見えてくるのが、裁判官の実状である。社会的にエリートな裁判官の世界も所詮、官僚社会である。勤務評定があり、手持ちの件数がいかに順調に処理されているかが最重視される。ともすると、件数を多く処理できれば、エリート中のエリートであり、当然出世もしていく。逆に評価が低い裁判官は、地方へ転々と移動させられる。エリートであればあるほど、権威的になっていく構造である。
そして、正しい裁判官を育成するはずの教育も、人格者の育成としての機能を持ち合わせていない。「要件事実教育」というのが司法教育にあるが、そこでは、事件の争点を「用件事実」と「事情」に振り分け、「事情」を原則的に無視し、どういう事実が判決を左右する構成要件に該当するか、それを抽出する整理の仕方を教え込む教育がされているそうである。裁判官は「要件事実」も基づいて判決文を書く。しかし、事件というものは時、場所、地域、生育歴、生活における様々な事情など、いろんな角度から見なくては全体像がつかめないはずである。だから、この要件事実教育は、裁判官が判決を出しやすくするための教育、すなわち機械的に整理作業の訓練教育なのである。こうして過去の判例にとらわれた、ロボット化された裁判官が生まれるのである。
多くの人が裁判とはかけ離れた人生を送っているが、民事や刑事を問わず、いざ自分が何らかの事件に巻き込まれた時、こんな裁判官にあたってしまったら、憤りを覚えるであろう。裁判員制度や最高裁判所長官をチェックするシステムもあるが、裁判というものが身近になってきているが、正義であるべき者がいつも正しいという考え方は捨てなくてはいけないと感じた。