紙の本
ばんえい競馬という斜陽の中で息づく骨太の人間ドラマ
2006/05/07 14:57
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:シュン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『輓馬』とは、ある意味で、働く現場の映画である。輓馬の馬たちは、経済の産物であり、価値ある商品である。映画そのものも、また、輓馬という産業に関わる経済の話であり、都会で会社を潰し妻子と離縁してきた青年主人公の破綻は、まさに対照的に描かれるもう一つの経済風景でもある。中央と地方との経済格差を、リアルな労働、賃金という形で差し出してゆくのが小説『輓馬』である。映画『雪に願うこと』はその骨子をいささかも崩さずに、のっぴきならない現実を、観客に、CGの混じらないオールロケ、ホンモノの十勝の冬、ホンモノの馬たちの息の白さで叩きつけてくる。
小説『輓馬』と映画『雪に願うこと』の違いは、最後の小クライマックスとしてのレースの有無、そのレースに挑んでゆく女性旗手(映画では吹石一恵が体を張って熱演)などの存在、そして主人公らが揃って10歳ばかり若返ったところだろうか。他の多くの部分では、原作の味をいささかも殺すことなく、スムースなバトンタッチがされている秀逸な映画化作品であると言える。
もし映画化がなければ、この小説はさほど多くの人に読まれる機会を持てなかったのではないか。そう、案じてしまう。北海道では、ばんえい競馬そのものが衰退の一途を辿っている。入場者は年々高齢化してゆき、ばんえい競馬場には若い人が寄りつかない。毎年のように赤字を出す競馬は、文化である以上に、経済である。そして事業としては、負け戦を強いられているのが現在の状況である。来年にもこの世からなくなってしまうかもしれないのがばんえい競馬である。開拓時代から受け継がれた農耕馬レースの名残りであるばんえい競馬の物語だからこそ、全体のトーンが物悲しい。
帯広の冬、暗いうちから起き出し、馬の世話に人間が尽くし切る。そんな厩舎を営む調教師の兄の下に、家族を捨て都会で一旗挙げた筈の弟が、すべてを失った挙句、十数年ぶりに北海道に還ってきた。兄弟間の葛藤、生活の落差などの中から、徐々に周囲の人たちに溶け込んでゆき、厩舎生活の中で馬の世話をしながら、逃げてばかりいた自分と向き合い始める。
ラストシーンが実にそっけない。まさに映画そのものと共鳴し合うこのあたりのアンチ・クアイマックスこそが、この作品の評価の分かれ目となるではないだろうか。派手なクライマックスに仕上げることはいくらでもできたろう。しかし、そんな作品は作ろうとしていない、そんな作者の思いが見えてくるようだ。
逃げ出すことなく、困難な選択肢の方向へと足を向けてゆく主人公の最後の心情をこそ、この小説も、映画も、ともに存分に描きたかったに違いない。
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東京国際映画祭コンペティション部門でグランプリを受賞した「雪に願うこと」の原作。ぜひ読んでみたい作品です。
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帯広のばんえい競馬の様子がよく判る!!それも面白いが、何処かを欠く人物達が織り成す日常がまた良い…挫折の中に居た主人公が馬達との出会いで、何か不透明ながらも“力”を得て去っていくが、これがなかなか良かった!!
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2005年の東京国際映画祭で最優秀作品となった「雪に願うこと」の原作。
主人公は、東京で事業を失敗し、借金取りに追われ、帯広のばんえい競馬の厩舎で働く兄のもとに逃げ帰る。
ばんえい競馬は、1トンの輓馬が500キロ近い橇を引き、平坦な直線と、2つの急な坂を登る過酷なレース。
主人公が、その過酷なレースを人生に置き換え、次第に再生して行こうとする心の変化に引き込まれる。
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ばんえい競馬を舞台にした男の再生の物語。東京で事業を起こしていた主人公、矢崎学は事業に失敗し莫大な借金を背負ってしまう。もちろん借金した先はヤバい金融。まさしく何ももたずに彼は疎遠だった兄を訪ねる。そこで出会う厩務員たちとの交流を経て、逃げてきていた学が最後、どういう決断をするのか。 どんな挫折からでも人間は立ち直ることができる。魂さえ胸にあれば。 何度負けてもレースでそりを引き続けるばんえい競馬の馬たちが、その馬を世話する厩務員たちが、背中で見せてくれる。 渋い。あまりに渋いが、心にしみわたる物語だ。
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ばんえい競走(ばんえいきょうそう)とは、競走馬がそりをひきながら力や速さなどを争う競馬の競走である。
wikiより
伊崎は北海道にいた。
輓曳競馬(ばんえいけいば)の会場で、スーツに薄いコートで冷気に耐えながら。
彼の財布には1万数千円。全財産だ。
北海道を出て20年以上帰っていなかった、雑貨輸入で材を成し、裕福な生活をしていたが、事業に失敗し9000万円の借金を背負い取立から逃れこの場にいる。
ふと見ると「伊崎」彼の兄が調教した馬が馬場を走る。伊崎の兄 東洋雄は調教師として身を立てていた。
伊崎の全財産を掛けた馬は第2障害を抜ける事は出来なかった。彼は無一文になった。
兄の厩舎に身を寄せ、若者たち、そして馬たちと過ごす間に彼の心境に変化が現れる。
馬にブラシを掛けている時に胸に満ちる安らぎの気持ち。
仲間と心安く酒を酌み交わし笑い合う楽しみ。
馬達が歯を剥き出し、体から湯気を立て、橇を曳く姿に心震える。
思えば田舎者と馬鹿にされないよう精一杯都会の人間として生きてきた過去。人を蹴落とし、金金金。結婚生活すら見栄と金にまみれていた。残った物は何もなかった・・・・。
70年代ロックの中には色々なジンクスが有り、馬ジャケレコードには外れ無し。という物が有ります。これも外れなかったなあ。とてもいい本でした。鳴海章さんの作品はこれからも少しずつ読んでいこうと思っています。この本はまさにこの馬の写真に心惹かれて読みました。
半分まではひたすら競馬の描写が続くのですが、ばんえいという物に知識が皆無なのでとても勉強になりました。これは物語にのめり込む為には必要なものだったと思います。
馬がとてもかわいらしく、巨大な馬が信頼した人に甘える所なんて正直たまらないですね。ぼくも甘えられたい。
昔牧場でニンジンをあげる事に没頭した事が有って、ああ、ぼくは馬が好きだとつくづく思いました。
でもぼくはギャンブルっ気皆無なので、競馬やった事が一回も無いのです。
昔、たまたま中山競馬場のそばに行ったのでふらりと入り、馬券も買わずにトラックの回りで馬走ってくるの見ようとわくわくしていたのですが、なんと開催日では無かったので馬はいなかったのでした。残念。
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昨日のニュース。『「ばんえい十勝」の2017年度開催が21日、幕を開けた。帯広市の単独開催となって今年で10周年。帯広競馬場にはこの日、多くの市民や観光客が訪れ、新年度最初のレースを楽しんだ』
帯広だけになってから10年も経つのか…。この本が書かれた当時は帯広以外にも北見、岩見沢、旭川と輓馬も4場あったのだが、気がついたらバタバタバタと3場は閉まってしまっていた。
初めて訪れた地方競馬が帯広競馬場で、1884年の真夏、外に1日いたらフラフラになるような暑い日に、朦朧とした頭で買った馬券が漸く当たって少しの負けで落ち着けた。人気薄で勝ち、連複1830円をつけてくれたニイカツプオーの名前は今でも忘れず。
さて本書、感想を記録するようになるずっと前に読んでいた本だが、新刊に興味惹かれるものがなかったので、競馬関連の本と一緒に本棚にあったものをまた読んでみることにした。
輓馬を背景にしたノアールと記憶していたが、もう一度読んでみると、ノアールの形を借りた輓馬の紹介といった感じで、この本を読み終えた時には一通りばんえい競馬の仕組みが分かっているという体。
文学としては、正直、あまり評価にならず。
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輓馬競馬
最近 地方競馬にはまっています。
帯広の 輓馬競馬を見ました。
私には ちょっと 合わないかな。
思っていました。
この本 面白かったです。
東京で 挫折した 故郷に 戻ってくる。
馬との出会い。
でも 私は 普通の 競馬のほうが 好きです。
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競馬に興味がある人も、ない人も、どちらも楽しめるエンタメ小説。
現在は帯広でしか開催されていない公営競技、ばんえい競馬がお話の舞台です。東京で事業に失敗し、多額の借金をこさえてしまった主人公が流れ着いたのがその、帯広でした。
流れ着いた、とはいっても、それにはちゃんと理由があり、主人公の目線から、ばんばと言われる馬を取り巻くファン、調教師、厩務員の生活などを垣間見ることができ、ストーリーもぐいぐいと読ませる展開で一気読みでした。
主人公が帯広競馬場に足を踏み入れてから30ページほどは、競馬場に通うベテランのおじいさんとの掛け合いが描かれており、そこを読めばばんえい競馬のイロハがある程度分かるようになっている構成も親切。