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カミーユ・クローデル 天才は鏡のごとく みんなのレビュー

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みんなのレビュー4件

みんなの評価5.0

評価内訳

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紙の本

ロダンをうならせた才色兼備・圧倒的存在感の人

2007/09/22 03:16

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:土曜日の子供 - この投稿者のレビュー一覧を見る

100年以上も前、女性はよい結婚をして幸せな家庭を築くことが求められていた時代、ましてや女性が男性と肩を並べて彫刻家として一本立ちするなんて、まだまだ考えられず、世間の風当たりは厳しかった。
カミーユ・クローデルは、傑出した才能を持ち、ロダンの唯一の女弟子であり、モデルでもあり恋人でもあり、ロダンが作品を作る上でのインスピレーションの源でもあった。ロダンの人生においてカミーユの存在がいかに大きなものであったかが、この本からうかがい知ることができる。
世が世ならカミーユは芸術家として大成し、素晴らしい作品をもっと残してくれただろう。女性が生きにくい時代に、極限状態の中で、精神が崩壊してしまうまで、彫刻家として自分の足で立とうと孤軍奮闘し続けたカミーユ。感受性が強く、一本気で、妥協を許さない頑なさは、時代の荒波に加え、さらに彼女の行く手を阻む結果になった。40代後半で精神病院に強制収容されるまでに、彼女は自分の芸術に魂もエネルギーも全て注ぎ込み、みずからをすり減らし、燃え尽きてしまった。まるで自己の芸術と心中してしまったかのように…。

これだけの才能がある人なのになんてもったいないんだろう、もっとうまく軌道修正することはできなかったのか、なんて考えるのがもうすでに凡人の月並みな発想なのだろう。それはもう、彼女自身がそうしようとしたというより、彼女の才能が、どんなことをしてでも表に出ようとして彼女を突き動かしていたとしか思えない。個性的で破滅的で、男顔負けの芸術に対する一貫した姿勢。彼女の作品は今なお古さを感じさせない新鮮さを持ち、躍動感があり、観るものに時代を超えて、変わらぬ共感を呼び起こす。
この本には彼女が生まれてから精神病院に入るまでの半生が貴重な写真や、手紙、作品とともに紹介されている。カミーユの生きた時代やカミーユを取り巻く人々について、また彼女がそうした背景からさまざまな影響を受けつつ、いかに自分の道を切り開こうとしてがんばっていたかが、よくわかる。母に愛されず、ロダンとも決別し、亡くなるまでの30年間を精神病院で過ごさざるを得なかったことから、報われない人生だったという見方をされるが、この本の表紙に載っているロダンが作ったカミーユの像をみると、それでも彼女が幸せだった時代が確実にあったのだということに、救われるような気持ちになるのである。もしあなたがロダンの作品に興味を持ち、もっとロダンを知ろうと思い始めたなら、きっとその過程でカミーユに出くわす。あるいはロダンやカミーユの展覧会に行ったとき、「カミーユってどんな人?!」とたぶん興味を持つだろう。そうしたら迷わずこの本を手に取ってみてほしい。人生について、仕事について、愛について悩みながらも、がむしゃらに進んでいったカミーユのことを知ったあとでは、彼女の作品を見たとき、いっそう生き生きと作品が語り始めるのを感じるだろう。

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紙の本

―巨匠ロダンに影響を与え、その作品は今もなお多くを語ろうとしている―

2011/11/14 23:46

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

  
  カミーユ・クローデルと師匠であるオーギュスト・ロダンとの関係が広く世界に知られるようになったのは、おそらくは1984年3月23日(金)付のヘラルド・トリビューン紙・国際版の7ページ目に、カミーユ・クローデルを取り上げた大きな記事が掲載されてからだろう。 タイトルには「フランスが、忘れられた彫刻家とその葬られた人生を賛美」とある。 なお、彼女が注目されたのはこれが最初ではない。 なぜなら、没後8年目の1951年にはカミーユの回顧展がなんとパリのロダン美術館で開催されているからだ。 このヘラルド・トリビューン紙の記事は、明らかに1884年生まれのカミーユ生誕100年を狙って「英語」で世界に向けて発信されたものであろう。
  その3年後の1987年には、渋谷の東急本店開店20周年記念としてカミーユ・クローデル展が開催された。 主催は朝日新聞とNHK、後援は外務省、文化庁、フランス大使館で、エールフランスも協賛している。 その後、規模は変わったかもしれないが、この展覧会は国内を巡回し、私はそのうちの一つを見ている。 展覧会は最近も散発的に開催されているようで、映画化までされた。
  
  表紙の写真はカミーユの頭部で、どこか少女の面影を残し、物憂げで、将来を不安げに見つめるかのような永遠の眼差しをこちらに向けている。 これはロダンの作品だ。 カミーユは明らかに、あの巨匠ロダンに大きな影響を与えている。 その証として、カミーユとロダンは、同じタイトルでかつほとんど同じポーズの彫刻を数多く残している。 見ようによっては、どちらかが習作でどちらかが本作かのようであり、一対の作品のようでもある。 彼女と師匠ロダンとの関係は、時としてモデルであり、時としてライバルであり、そして愛人であった。 互いに深く身も心も委ねた二人が、作品の着想点をもやりとりしても不思議はないだろう(しかも、カミーユはロダンの子供を死産している)。 そのような人間関係は、芸術の世界に限らずあらゆる業界に存在していたであろうし、今日も存在しているに違いない。 ただ、ロダンという巨匠に最も近い位置にあり、彫刻家としての卓越した才能がありながらもロダンの大きな陰に隠れ、精神を病んで人生の最後の30年を精神病院で過ごし、死後葬られた墓地は撤去されて現存しないとなれば、ロマンスと悲劇性にも満ちているだろう。
  
  しかし、著者の視点は、決してカミーユを最終的に「敗者」とするような視点ではない。 本書は、誕生からその死まで重箱の隅をつつくようにして彼女の赤裸々な事実をめくり返すのではなく、彼女がその作品を生み出した背景を読み取ることができる。 それもそのはずで、著者はカミーユの弟、ポール・クローデルの孫なのである。 そうでありながらも、身内という絆を超えてカミーユを冷静に描いていく点に好感が持てる。 そこに、ロダンとの関係がいかにあろうとも芸術家として正しく作品を作るために、そして芸術家としてあるべき世界観で生きていくために努力し、模索し、不可抗力に立ち向かったカミーユの姿が浮かび上がる(ちなみにポール・クローデルは、詩人であり、駐日フランス大使として1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで日本に滞在している)。
 
  カミーユの作品は、芸術という言葉で、そして本書のような形をとって、没後70年になろうという今もなお多くを語ろうとしている。

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2010/06/07 20:18

投稿元:ブクログ

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2011/09/22 22:06

投稿元:ブクログ

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