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解説が長い!
他の人が読んで、どう思うかは聴いてもいいけど、解説は結構いらない…所詮個人の中の感覚なんだから、面白かったか面白くなかったくらいでいいよ。
やー寺が燃えるまでの佳境は相当震える!関口がプルプルしてるのが伝わって来て悶えた…。やっぱりうぶめはデケーな。ああ…読みたい。
それにしても鳥口はかっこいいです。どうしてくれんの。関口は可愛いし、益田はラスト出番無いし(笑)。
やっぱり面白いー!
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ラストは呆気なく終わってしまうところが虚しい。鈴子はあの火事の跡何処に行ったのだろうと私はあの火事の事件を思い浮かべる度そう思ってしまう。
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京極堂シリーズ
飯窪の語る松宮家の放火の謎。飯窪が渡された鈴子の手紙の内容。松宮仁と妹・鈴子の関係。殺害された中島祐賢と消えた桑田常信。小坂了念が張った結界の秘密。仁秀老人の謎。明彗寺の宗派の秘密。隠された書物と事件の関係。
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■内容(「BOOK」データベースより)
「ああ云う場所はもう―これから先はなくなってしまうのだろうな」。京極堂は最後に独り言ちた。多くの仏弟子を次々に魔境へと拉し去った妄念の寺が紅蓮の炎に包まれたとき、燃え落ちていく憑物の意外な正体が明らかになる。世界ミステリ史上もっとも驚くべき動機と犯人像を呈示した傑作、ここに完結。
■感想
ここにある京極夏彦の禅の知識は、宗教の専門家にもお墨付きを与えられているほど(文庫本あとがき)。
そういえば私が京極の本が好きなのは百科事典的な何かがあるからなのかも。
私は百科事典は調べものをする本というよりは、おもちゃ箱なイメージがあります。
ふたを開けて目的のものを探す(何かを調べようとする)→途中で別のものに目移り(途中で面白そうな項目を見つける)→違うもので遊んでいる(そこからさらに横道にそれていく)
こんな感じ(もちろん本気で調べているときはこうもいかないんですが)。
京極の本を読むぞ!→あれ…なんか禅について語ってる…? 事件は?→事件そっちのけで禅について感心。
薀蓄読んでる間に、事件が起こってる。フッシギー。そしてこの薀蓄が事件にとって必要不可欠なとこがすばらしい。そして何気に読み飛ばしても大丈夫なとこも、悪くないとこだと思う(主に再読の場合)。
科学では解明できない現象を、その時代や場所の文化に沿って(これを民俗学的というのかな?)解釈する。
ちょっと飛躍しすぎかもしれないけど、宮崎駿に通じるものがあるなぁ。
ただし宮崎駿は伝承(古くからのお約束にのっとって物語を作る)、京極夏彦は解説(古くからのお約束を現代語訳にする)という役割?の差はある。気がする。ような。かんじが。
これを読んで京都や奈良に行きたくなった私は、完璧な俗人。
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「ああ云う場所はもう―これから先はなくなってしまうのだろうな」。京極堂は最後に独り言ちた。多くの仏弟子を次々に魔境へと拉し去った妄念の寺が紅蓮の炎に包まれたとき、燃え落ちていく憑物の意外な正体が明らかになる。
世界ミステリ史上もっとも驚くべき動機と犯人像を呈示した傑作、ここに完結。
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3巻からそのままのスピードでラストまで読了。
謎だと思われてたものが、色々な事情を別々に捉えると、(殺人の動機に筋とか求めるのは何だが)非常に分かりやすい、単純明快な動機だった。
ただ、その動機が、動機となりうる常識が私には、基、山下をはじめとする登場人物に無かっただけで。
鈴子の存在がフィクションだと思わせられる唯一の部分で、その他は現代でも起こりうる、・・・といっても実際起こっていたならば檻の中で露見していないと思うけど・・・そんな話だと感じた。
慈行さんが、一体何だったのかが分からず悶々としてる。
榎木津は一体何をみて、京極堂は何を知っているのか。
関口くんはもうちょっと突っ込んで聞くべきだ!
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もう畏くはない。
京極堂は呟いた。
「拙僧が−−殺めたのだ」
もう暫く箱根にいようと、私は思った。
夜の庭を見つめ、何もかも抛って帰りたくなっている関口君と飯窪女史の会話から始まり、漸く帰って来た富士見屋での会話。
憑物落としを進める京極堂と邪魔するものは打ち砕くように手助けをする榎木津の息ぴったりぷりと、絶妙の合いの手を入れる関口君らのやりとりは圧巻。最後の最後で、走り回っていた鼠の伏線も回収された事に感嘆の息しか零れません。
時が止まり、世界と隔絶された異界がまたひとつ解かれ、此れから先は個人が抱え込まなくちゃならなくなると紡ぐ京極堂。甘美な闇の世界がまた一つなくなる切なさが溢れます。
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こういう動機はありなのか。
でも今や現実の世界では「誰でもいいから殺したかった」ってのが成立するくらいだから、こういう動機も全然あり得る話なんだろな。
相変わらずの京極夏彦の凄さを堪能。
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禅宗についての溢れんばかりの蘊蓄に溺れそうでした。最後まで坊主さん達が誰がどの宗派でなんて事が分かりにくく、大筋は大体の想像通りでしたが、結局この長い話は何だったのかとぐるぐるした小説でした。
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なんとか年内に読み終えることができてよかった。
年越したら忘れちゃいそうでした、色々と。
相変わらず伏線やら設定やらが凝っていてすごいなぁ、と。
色々不可解だった「死の真相」も、なるほどなあ、と最後は納得。
しかし「禅」の世界は奥が深いんだなぁ、と驚きました。
宗派?とかほんとにさーーっぱりわからないので、
この辺はもう読んでていてもさっぱりわかりませんでした(笑)
それでも面白く最後まで惹きつけられたのはさすがとしかいいようがないかな。
しかし、3巻と4巻はなんでこんなに薄かったのですかね。
まとめて3巻に出来なかったのかな、とか思いました。
謎です。
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ついていけなくなってきた。面白かったような面白くなかったような。とりあえず、最後は綺麗に纏まってる。
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巻末の解説にもありますが、禅の歴史、考え方など非常に興味深い記述が多く、ストーリーに加えて豊富な宗教感に惹きつけられ一気に読めました。
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不立文字の4文字で言葉を撥ねる禅。
闘わずにして敗北している京極堂。
空と海の間に存在する朱雀以外の神獣の意味―
面白い。
面白いけど難しい。
禅と憑物とそれに纏わる過去が錯綜する様はもう一度読まないと理解できない。
「拙僧が殺めたのだ」
この言葉から始まり、この言葉で終わる不思議な話だった。
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箱根山連続僧侶殺人事件シリーズの最終巻。
幼女性愛趣味、男色趣味、そして近親相姦と、バリエーション豊かすぎる人物たちが登場し、それぞれ己が「アブノーマル」であると苦悩したあげく、悲劇が起こるお話でした。
何がノーマルで何がアブノーマルかは、自分の頭でこれが正しいという基準・枠を決めてしまって、その「檻」のなかに己を置こうとするから人はあがくことになるんだろうけれど、まぁ確かにこれは仕方のないことだよね。
人や知的な思考を持てる動物は皆、自分で自分を目に見えない檻に入れてしまっているんだろうな。
逆に檻に入っていることで楽になることもあるんだと思いました。
規律があったほうが、決断すべき選択肢は狭まるからね。
それは思考の範囲に枠をはめることになるし、案外それによって楽になることもある…と。
まぁ、ある意味狭い檻(お寺)のなかでの鬱屈した人間関係と近親相姦のなれのはてが、今回の事件の核だったみたいです。
長いわりには、内容はそれほどでもない。
京極さんが禅宗についての自分の研究を小説という形でまとめておきたかったのかな?
……なんて感想は厳しいでしょうか?(笑)
でも、禅の歴史については詳しくなれたよ。
日本に存在する禅はすべて南宗禅の流れで、北宗禅は早くに断絶して日本には入って来ていないとするのが通説だとか。
道教色の強い南宗禅は「頓悟禅(とんごぜん)」と呼ばれ、人は本来鏡のような心を持っていて、それが何かをきっかけに表に出てくるのを悟りとする。
それに対して儒教色が強い北宗禅は「漸悟禅(ぜんごぜん)」と呼ばれ、一生かけて少しずつ原石を磨くように悟りに近づいていこうとするもの。
奥が深いねぇ!
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再読。昔読んだ時は当時の自分では難しいと感じる話ばかりでそこらへんは殆どスルーして起こった事柄だけを捉えていたように思う。今読んでも難しい箇所のすべてが分かったわけではないのだろうが、それでも昔読んだ時より登場人物たちへの理解は深まったような気がする。起こった事は単純なのにここまで事件が複雑化したのはやはりあそこは異界だったんだろう。