紙の本
ロシア革命って、なんだったんだろう
2019/01/27 19:01
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
スターリンが死去したのが1954年で、この小説が発表されたんが1962年。すでに最高指導者はフルチショフに代わってしまっていた。スターリン時代の圧政批判ということもあって出版することができたという側面はあるのであろうが、かなり収容所での生活についてオブラートに包んで描写しているということも要因なのだろう。今日はいつもよりたくさんパンがもらえた(ラッキー)他の班よりも楽な仕事に回してもらった(超ラッキー)なんて素敵な一日なんだと皮肉全開でその日の出来事を描いていく。トルストイやプーシキンの小説に登場する、我が世の春を謳歌していた貴族たちにはこの革命によってどんな運命が待ち受けていたのだろう
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投稿者:7777777 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ソルジェニーツィン(ロシア、1918−)の強制収容所生活の体験をもとにした作品である。
題名からもわかるようにイワンデニーソヴィチの一日を詳細にかいた作品である。一日といってもそこに書かれているのは過酷で恐ろしいほど管理された現実である。
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囚人シューホフの、淡々とした日々が綴られる。彼のいるラーゲルにおいては、過去の経歴が意味を成さない。かつては当然のように享受していた、日々の糧への執着、愛。食事をきちんと食べられたり、煙草をやること。それが囚人たちにとっては最大の幸せなのだ。生活はただ、日々をうまく生き抜くことですぎてゆく。
現在の自分の生活と対比させるとなんだか考えさせられるものでした。すごくすいすい読める小説!
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最初の数ページは名前がロシア語なのでついていくだけで大変て感じだったのが読むにつれどんどん面白くなっていきます。シューホフ視点での話の展開に引き込まれ、最後には囚人達や班長が愛しくなります。
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どんな理不尽で過酷な状況の中にも己次第で人生のきらめきがある。疲れたときに何度でも読み返したくなる素晴らしさ。
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*ブログ感想あり*
http://blog.livedoor.jp/marine0312/archives/51440069.html
ある囚人のたった一日の物語。
なのに、途中から引き込まれていました。
人物が生き生きとしてみな魅力的。
時代背景をもっと知ってから読みたかった。
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内容はロシア版蟹工船といった感じ。
劣悪な環境のなかで労働の喜びを見いだす、力強くたくましい小説です。
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読み進めて行くうちに引き込まれる。最後のページに達した時、また読みたいと思い、すぐに最初から読み直した。最高傑作。また読みたい。
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極寒の強制収容所での過酷な生活を書いた本だが、不思議と絶望感はない。
淡々と出来事が書かれていて盛り上がりに欠けて退屈な気もしたが、なんとか最後まで読み終えた。
こういうのを芸術作品というのだろうか。
一回読んだだけでは本当の良さは分からないのかもしれないな。
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浦野所有。
1970年にノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィン。最重要作は『収容所群島』でしょうが、「長い」「固そう」「文庫本が絶版中」のため敬遠。
そこで、デビュー作の「イワン・デニーソヴィチの一日」に手を出しました。金さん(学生時代は露文専攻!)から「読みやすい」とお墨付きをいただいていたとおり、本当にすらすら読めました。訳文がいいんですかね。
内容は、ソ連時代に政治犯などを収容した収容所(ラーゲリ)での1日。寝ざめから消灯までのできごとを、受刑者の視点で、仔細に書きつづっています。特徴的なのが文体。ときに主人公シューホフ(イワン・デニーソヴィチ)の一人称で、また、ときには第三者的に三人称で書かれ、独特の世界をかもし出しています。
悲壮感とソ連への恨みでいっぱいの作品かと思いきや、そんなことはありませんでした。むしろ、ところどころにちりばめられたユーモアが楽しく、主人公シューホフとともに一喜一憂できる作品です。昼間の建物修復の仕事で「うまくいった」と喜びにひたったり、持ち込み禁止の私物がいつ見つかるのかとヒヤヒヤしたり、起伏に富み、読みごたえのある作品でした。
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自伝的な獄中生活者の一日を描く。「死の家の記録」の現代版である。さすがに笞刑はないが、過酷な寒気の中での労働は厳しい。登場人物達の心理描写に尋常ならぬものを感じる。
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ソビエト時代の強制収容所の生活がよくわかる、こんな小説がソ連でよく出せたものだ。
世間では民族の区別なんて無意味だ、どんな民族にも悪いやつはいる、と言っている。
社会が作家に不当な態度をとっても、私は大した問題だとは思いません。それは作家にとって試練になります。作家を甘やかす必要はないのです。社会が作家に不当な態度をとったにもかかわらず、作家がなおその氏名を果たしたケースはいくらでもある。作家たるものは社会から不当な扱いを受けることを覚悟しなければなりません。これは作家という職病のもつ危険なのです。作家の運命が楽なものになる時代は永久に来ないでしょう。
ソ連当局からの迫害にもめげずに毅然として自己の信ずる道を歩んでいるのは、このような真実の文学に対するもゆるがごとき使命感の賜物。
ロシアの大地から生まれた生粋の百姓(ムジーク)こそ、スターリンの過去九な個人崇拝の時代にも耐え、ソビエト・ロシアをナチスドイツから守りぬいた原動力であったと言える。帝政ロシアの昔から革命後の今日に至るまで一貫してロシアの大地を支えてきたバックボーンであるといっても過言ではない。
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女性っ気が全くない本で、これほど面白い本があっただろうか?強制収容所の世界と資本主義の会社社会と何が違うのだろうか?
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モスクワにて、マローズの真っ只中に読んだ本。
内容もマローズの中。しかも私の読んでる中のマローズよりもっともっと更にマローズ。
最悪な状況の中にあるのに、そんな中でもロシア人らしいなと思うような温かいぬくもりもある目線や表現。
生きていくための上手な小さな危険な嘘すら楽しんで試しているかのような。悲痛の中でそれだけに終らずに、ロシア人らしいというか、やってみてから考えれば良い、というようなところ、要所要所でロシアを感じる作品。
“ああ、世はまさに食うか食われるかだ”
“しかしですね、芸術とは、「何を」ではなくて「いかに」ではないですか” ←ちなみに、以前逆のことを言ったロシア人の友達がいた。が、この後作者の代弁者とも思われる人物が反撃しているので、私の友人はやはりこの本を読んだということかな?
生きるってこういうことか、とも思わせた。
追記;
物資の面で、豊かになった現在でさえ、洗面所や台所に行けば、蛇口が全部違ったり、便器がおとなりのと違ったり(便座が無いのは普通で、お隣にあってもそのお隣にはなかったり。)、シャワーの先端もあったり無かったり、そんなのがよくあるから、工事の時に部品を探す場面などの“精神”は受け継がれているなと思った。
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ゴーゴリやドストエフスキーに代表される19世紀ロシア文学を、現在に蘇らせたとされる作家ソルジェニーツィンの出世作。スターリン時代の強制収容所(ラーゲル)の、酷寒(マローズ)真っ只中の一日をリアルに淡々と描いたもの。分かりやすく言うと『監獄もの』のはしりだと言えるだろう(昔にはドストエフスキーの『死の家の記録』等もあるが)。
『死の家の記録』と同様実際に起こった出来事が書かれており、いわゆる「私小説」的な向きもあるので、爆発的な面白さはないが、次に何が起こるのかを着実に知りたいと思わせる魅力があり、毎日ちびちびと読んでいくことが可能だった。
さてこれを読んだ多くの人がまず考えることは
「幸せとか、満たされた生活ってなんだろう?」と言うことだろう。現代日本では物質的には満たされた生活をしていながらも、殆ど幸せを感じられない人が増えている。
他方、この小説のラーゲルでは、皿に薄く塗られただけの粥、具の殆ど入っていない野菜汁で、幸福な満腹感を得ることが出来るのだ。一見辛すぎる懲役でも、仕事をこなす充実感や達成後の満足を得られるのである。そして、殆ど幸せともいえる気分で床に就く…。
要するに、幸せなんて主観的なものであり、贅沢が限られた環境の中でも必死に幸せを見つけ出そうと思えば、幾らでもできるのだ。
しかしこれはあくまで贅沢が出来ない環境に限られるのかも知れない。贅沢が出来る環境下では、人は更に上を見てしまい、自分の環境下で得られる幸せを見落としてしまう。
この作家の作品を読むのは初めてだったが(そりゃそうだ。他の作品が絶版だったりして、手に入りにくいからだ)、機会があればどうにか『ガン病棟』『煉獄のなかで』等を入手して読んでみたいと思った。
尚、僕は今までいくらかのロシア文学を読んできたが、この木村浩訳の小説を完読できたのはこれが初めてだった。この訳者の訳はある種クセが強いため、別の作品ではそれに泣かされてきたのだが、この小説ではそのクセが、小説内の世界と渾然一体になってうまく調和していたように思う。