紙の本
読み流してしまうのが惜しいくらいの美しい文章に酔いしれた
2006/04/26 23:53
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終わるまでに随分長い時間が経ってしまったが、決して読みあぐねていたわけではない。読み流してしまうのが惜しいくらいの美しい文章に酔いしれていたのだ。往々にして薄っぺらい印象しか残さない短編小説というものを普段は敬遠している僕だが、1つひとつの話がこれくらいの長さに達していればそういう惧れはかなり軽減されるし、何よりもこれは単なる短編の寄せ集めではなく連作短編なのである。
シカゴの下町育ちのペリー・カツェクというポーランド系の少年と、その家族・親戚、クラスメイト、あるいは名前は知っていてもあまり話したこともない近所の人がそれぞれの話の主人公で、話によって登場人物が微妙に重なり合い、大体はペリーの視点で描かれている。
復員したミュージシャンであるレフティおじさんに連れられてペリーが酒場で歌っていた頃の想い出を書いた「歌」で始まり、2作目の「ドリームズヴィルからライブで」では弟ミックと遊び興じた幼い頃の想い出話が書かれている。そして3作目の「引き波」では父親「サー」に連れられて湖に泳ぎに行った日の想い出が語られる。──そう、この短編集は全編そういう想い出で埋め尽くされている。それは家族の想い出であり、青春の想い出であり、シカゴの街の思い出である。
ただ、想い出という通奏低音に支えられながら、その上を転がって行くメロディはかなりバラエティに富んでいて、あるものは低年齢向きのジュヴナイル・ノベル風であり、あるものは威風堂々たる青春文学であり、またあるものはもう少しねっとりとした恋愛小説であり、一方でギャングまがいの殺しが出てきたかと思うと他方には幾分社会派の臭いのするものがあり、幻想文学かと思えば冷徹なリアリズムが顔を出す。そして、その変幻自在が全てシカゴという街と、そこでのポーランド系アメリカ人としての生活に結びついており、分類するとなるとこれは「シカゴ小説」と言うしかあるまい。そして、最後の「ジュ・ルビアン」はレフティ叔父の葬式の日の話なのだが、訳者の柴田元幸はこれを「全体のコーダともいうべき最後の作品」と称している。この比喩が何故適切であるかと言えば、これらの作品の多くが音楽小説でもあるからである。
「ロヨラアームズの昼食」の中で、ペリーはガールフレンドにこう言われる──「私は物事のつながりを愛し、長編小説の全体像を好む。そしてあなたは……あなたは人生を<忘れがたい記憶>集と捉えている。そこに並んでいる、どれも栄養失調の詩集みたいに」(285ページ)。これはほとんどこの短編集についても当たっている。当たっていないのは1篇の詩のようではあっても決して栄養失調みたいではないということだけだ。「マイナー・ムード」の中では彼はこう書いている──「記憶とは過去がその力強いエネルギーを伝道するための回路なのだ」(365ページ)と。これもそのままこの短編集に当てはまっている。
柴田元幸による全く淀みのない美しい言葉の波に洗われているだけで、うっとりしてくる。これはただ柴田の翻訳能力によるのではなく原文の持つエネルギーなのだと思う。ストーリー・テラーとしてのダイベックの感性にも技量にも、ともかく舌を巻いてしまう。美しくて甘くて、芯の堅い果実のような連作短編である。深く嵌りこんでしまって、もう2度と抜け出せそうにない気がする。
by yama-a 賢い言葉のWeb
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魅力的な登場人物
2019/07/13 00:14
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「歌」以下11篇の中編、短編からなっている。前に読んだ「シカゴ育ち」と同じようにシカゴという街がキーワードとして登場する。主人公のペリー、その弟の役者の卵・ミック、「サー」と子どもたちから呼ばれている父親、そして最後には精神を患ってしまったサックス奏者でリグレーフィールドで立ち回りも演じた叔父のレフティ、他にもブルーボーイや優等生の女の子・カミール等魅力的な人物がたくさん登場する。私はとりわけカミールという女の子に興味を抱いた。作文の天才なのだが、その文章はブラッドベリをパクったのではないかと主人公は疑ってみる、が真実は藪の中、「大切なのは感情よ」と彼女は言った、危険を冒すということについて彼女が言っているのだということを、主人公は後になって気づく
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前作「シカゴ育ち」の出来を遥かに上回る短編集だと思う。翻訳で読んだ者としては前作は霞んだ、と感じた。
細部がとても重要な物語だ。そして人はそのように生きている。これは共感を呼ぶ話だと思う。もちろんこんな大変な人生を歩む人が多々いる訳ではないが、そこで右往左往している人の姿というのは頷けるものなのだ。
どの短編がよかったか、と聞かれると困る。どの話も他の話と絆がある。猥雑な物語の中で、だめな登場人物たちに共感していく。短編ではできない深さに、長編ではない広がりに、この物語は導いてくれる。そんな経験はなかなかない。ジョイスの「ダブリン市民」と並び評されるのも判る。これはいい話だ。
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どんなうらぶれたシカゴの下町も、ダイベックの手にかかれば詩的な情景が浮かぶ。名フレーズ満載。オースターもそうだがダイベックを読めば、自分の想像力の貧相さを思い知る。柴田元幸の日本語も完璧。違和感なし。ぜひ読んでほしい。
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タイトルが気に入って読んでみました。いくつものストーリーがからみあい、
大きな流れとなってひとつの世界を作り上げる。
連なる記憶。音楽、暴力、若さ、恋、死の匂い。
ブルーボーイ、ロヨラアームズの昼食、マイナームード、ジュ・ルヴィアン・・。
読み終わると、誰かにすすめたくなる物語です。
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過去を振り返って想起するのは、果たして苦楽のどちらだろうか?
50を超えた中学の教師は、楽しい思い出に間違いないと言い切った。
けれども、今のぼくが思い浮かべる過去は、記憶から消去したい哀れな自分と、とりとめのない言葉や脈絡のない一場面に過ぎない。
スチュアート・ダイベックによるこの作品は、そんな過去の断片を連ねたような連作短編集である。
もう少し年齢を重ねたら、楽しい思い出に満ち溢れる日が来るのか。
もう少し時間がたてば、堪え難い記憶も受容出来るようになるのか。
とりとめのない記憶の断片が、「ケ・キエレス?」(お前、何の用だ?)と問い続ける中で、そんな疑問すら抱けない自分がいる。
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膨大な記憶の海を漂うイメージ。
それぞれの短編で、語り手が変わったり、少年の年齢が変わったりすることで、少年をとりまく世界があらゆる角度から描きだされる。
その世界は少年をとりまく小さなシカゴの一角にすぎないのに、多彩でどこまでも広がりをみせている。
特にBlue Boyは心に残る。
これを読むだけでもいい本に出逢ったなあと思った。
ぜひともお勧めしたい作品だ。
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再読:
「胸」が読みたくて再読。
その前は読み終わるのがもったいなくて、ちびちび読んでいた。
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シカゴの下町を舞台にした連作短編小説。一つ一つをばらばらに読めば、タッチも登場人物も異なる独立した短編小説として読める。事実、すぐに読み終えてしまうのが惜しくて、上物のウィスキーを飲る時のように、毎夜毎夜ちびりちびりと愉しんで読んだ。
一つの短篇が終わるたびに時間も場所も異なる世界が立ち現れる。しかし、世界中の小説が各国を舞台にしていても地球からは離れられないように、ダイベックの小説はシカゴの下町から離れられない。この短編小説集は、ウンコ河と呼ばれる衛生運河に沿ったビールのゲップの臭いが漂うしょぼい町で生まれ育った少年のクロニクルでもある。
僕の名前はペリー、作家志望だ。弟はミック、役者を目指している。サー、というのは父さんのことだが、通りをのろのろ走りながら、吸盤で車の屋根に取り付けた手作りの荷物台の上に町で見つけたがらくたを拾い集めるのが趣味だった。ポーランド系移民の子孫ペリー・カツェクの目を通して少年の日々を回想した「歌」、「ドリームヴィルからライブで」それに「引き波」。乾いたユーモアとペーソスの入り混じった筆致が鼻腔をくすぐる感じがする。
「そういった人々を観察しながら僕は育った。浮浪者、バッグレディ、浜辺で漂流物を漁るように夏の裏道を漁る物乞い、衛生運河で釣りをしている老いた黒人の流れ者」。学生時代の静かな一日。窓から眺める町の風景に誘われるように、昔つきあっていた恋人を回想する「ロヨラアームズの昼食」。親から離れ、都会でひとり暮らしをする青年の慎ましくて、それでいてとびっきり豪奢な孤独感が伝わってくる。
僕の周りには一癖も二癖もある人物が集まってくる。母の弟で精神を病んだレフティ叔父さん。叔父さんの仲間で戦争で片腕を失ったジップは、バーをやっている。そこに毎日通ってくるルチャ(メキシコ流プロレス)のレスラーだったテオ、ジップからミカジメ料をせしめようと脅しに現れるジョー。これらの男たちが、それぞれの思いを胸に秘めながら静かな火花を散らす「胸」は、集中一番の傑作である。
詩人らしくリズミカルに畳みかけるように繰り出される陰影を帯びたフレーズ。古い映画やスタンダード・ジャズの名曲の引用。それに気の利いた警句や会話。よくできたアメリカ小説の持つ独特のフレーバーがある。アーウィン・ショーの都会を描いた小説が好きで、常盤心平訳するところの短篇を漁ったものだが、スチュワート・ダイベックには今が旬の翻訳家、柴田元幸がいた。
訳者あとがきで訳者は作者の持ち味についてこう記す。「叙情とユーモアの絶妙な共存、感傷に惰さない郷愁、社会の底辺に位置する人たちへの優しいが安易なロマン化を慎む共感、ポルカやロックンロールが行間から聞こえてくるような音楽性」。「読み進めていくうちに世界の細部はどんどん豊かにふくらんでいき、いろいろな人々、さまざまな時間、種々の記憶や夢が交差し、時には重なり合あい時には打ち消しあう。むろん一度読んだだけでもその見事さは十分伝わるとは思うが、できることならぜひ二度は読んでいただきたい」と。名うての訳者にこうまで言わせる傑作短編集である。一度手にとってみても損はしない。
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シカゴを舞台に、音楽少年やギャングなど色々な人たちの生きる姿を描いた作品。
収録されている全ての話が登場人物による語りで構成されていて、読んでいるうちに心に呼びかけてくるものがあります。作品全体に漂う幻想的な雰囲気と、どことない懐かしさも魅力です。
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青春の断片atシカゴといった感じ。後ろのほうに載っている短編は情景がリアルに浮かんできて印象に残る。
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あの時代のシカゴの街の息遣いが聞こえてくる。
連作短編集で、聞いたようなものや言葉が、軽く重ねられ繋がっている。
「蘭」では、少年二人のまさに青春が、みずみずしく面白かった。