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買った本。ネット界隈で活発に活動している知識人の方々による憲法論。内田さんの文章が抜きん出てよい。個性的な書き手がそろったが、そろった意見も多い。憲法は目標であるとか、自衛隊と九条の矛盾はべつにいいんじゃないのかとか。
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彼のシティー・ボーイ的(つまり、軽快で合理的で捻くれた)知と
学者的(?)なラディカルで根源的な知で織り成される半分ぐらいふざけたような文章が面白くて首肯させられる。
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一通り読んだけどまだちゃんとは理解できず。とくに内田樹の論。ねじれをなあなあでやってくってこと?……要検討箱に入れといた。
でもとにかくどの書き手もおもしろい。上司に話したら早速読み激賞でした。
内田樹の文章って、嫌味で……すてき。知的パフォーマンスのきわめて低い方々には云々、とかって言われたら、泣くけどちょっとうれしいだろーなー。
ただ、多くの人にとって、まともなことがまともでない状況がこれから続いていくのだな、と思うとだいぶ憂鬱になった。
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現在議論されている憲法9条に関する別の視点を提供しています。すべての筆者は改憲に反対していますが、それぞれ異なった意見が非常におもしろい。
町山智浩さんは最初の自虐的部分を飛ばして後半は一見に値する。
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なんで、内田 樹さんの本って面白いんだろう。
難しいこと言ってるはずなのに、分かり易くて自分も分かった気になってしまう。
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色々な作者のオムニバス。
内田先生のお話は今となれば読まなくても分かる位
いつも言ってる話。
それでもその他(小田島さんなど)の話も刺激的だし、
買って良かったかな。
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憲法は理想。その国の目指す方向。
戦争なんてしない方が良いに決まってる。(と私は思っている)
悲惨な方向でも勢いがついたら向かってしまったという前例があるのだから、足かせは出来るだけ重い方が良いと思う。
現実に矛盾が出たとしても。
政治の力で何とか回避してもらいたい。
「日本(人)の誇り」とか声高に言う人の事は、やっぱり信用出来ない。(それぞれ思うところがあってもいいけど、私とあなたを勝手に一緒くたにしないでね。と思う)
考え方(物の見方)については他のものにも応用したいと思う。
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この本が発売された2006年頃、安倍内閣の下で、改憲論議が高まっていたのを覚えているだろうか。憲法関連本がたくさん出版され、書店でも特集を組まれていた。改憲論者の本は、装丁から「殺気」のようなものが漲っていたから、内容を見る前に、内容が想像できたものだった。そんなゴツゴツのコーナーに咲いた可憐な一輪の花。それが本書だった。
本書前書きより。
「本書の書き手であるための第二の条件は、思想の力よりもむしろ言葉の力を信じていることである。
思想は言葉によって紡がれ、言葉は思想によって賦活される。言葉のほうが思想よりも強力というようなバランスを欠いた知性があってよろしいのか、と。それは単なる言語的暴走に過ぎないのではないか。
たしかにそれが正論である。
だが、独創は思考でなく言語に宿るというのは私の経験的確信である。
獄舎の扉が外からしか開かないように、私たちを臆断の檻から解き放つ言葉は、檻の外からしか到来しない。
(中略)
たくみな言葉使いは、彼の本体を閉じ込めている檻の鉄格子の外に言葉だけ逃がすことができる。そして外に出た言葉だけが扉を外から開けることができるのである。」
(この前書きを読んだとき、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」 という本居宣長のことばの意味が思い出された。)
そんな4人の言葉使いが、言葉によって担保された知性を駆使して届けるセッション。
メディアから「干される」ことを覚悟してこの作業にあたった御仁たちの功績が、9条論争からの解き放ちの第一歩を踏み出す試金石となってくれることを祈る。とあたしはそう思ったのでした。
give 9条 a chanceっていうことで。
ここまで読めば分かると思いますが、この本はいわゆる「サヨク」ではまったくない。そういう鉄格子からは「脱臼した」身体で抜け出しておられるんです。
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出版社 / 著者からの内容紹介
護憲論も改憲論も聞き飽きた!新しい話をしようじゃないか!!人気沸騰の哲学者・内田樹が選んだ切れ味鋭い書き手たちによる、かつてない憲法9条論。
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p.42
改憲派の人々の多くはナショナリストであり、国旗掲揚・国歌斉唱をあらゆる公的な場所において実施することは彼らの夢である。そして、彼ら自身はそれを特に中国や韓国に対するナショナル・アイデンティティの誇示だと理解している。だが、近代史上、日本人が国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを禁じることを望み、禁じることができたのはひとりGHQのみである(一九八四年に国旗掲揚の禁令を犯したある日本人は重労働六カ月を科せられた)。
あまり指摘されないことだが、日本人はアメリカ人を怒らせることについてはきわめて勤勉なのである。しかし、多くの日本人は「日本人は必要以上にアメリカに迎合している」とはいつも考えているが、「必要以上にアメリカ人を怒らせている」という可能性についてはたぶん一度も考えたことがない。(内田樹)
p.92
「憲法という国の要に民族を謳って何がいけないのか?」と疑問に思う人は、「国民国家」というものが全然わかっていない。
ちょっと考えて欲しい。「日本人」という言葉は誰を指すのか?
「日本国民」なのか?「日本民族」なのか?そこが曖昧なのだ。だから、帰化した日本国民である僕に「お前は日本人じゃない」という人々が絶えない。
ところが、「民族」と「国民」は違うのだ。Nation(国民)という英語を「民族」と訳し、Nationalismを「民族主義」と訳す人もいるが、厳密にはそれは間違っている。ナショナリティNationalityは「国籍」であって、エスニシティEthnicity(民族)とは違うのだから。(町山智浩)
P.142
S誌に目を通す。
巻頭のコラム子は
「日本人は、国のために死ぬ覚悟があるんだろうか」
と言っている。
ふむ。
君たちの言う「国」というのは、具体的には何を指しているんだ?
「国土」「国民」あるいは「国家体制」か?それとも「国家」という概念か?
でないとすると、もしかしてまさかとは思うが「国体」か?
はっきりさせてくれ。
なにしろ命がかかってるんだから。
もうひとつ。
「死ぬ」とはどういうことだ?
私の死が、どういうふうに私の国のためになるんだ?
そのへんのところをもう少し詳しく説明してくれるとありがたい。
もうひとつある。
「国のため」と言う時の「ため」は、実質的にはどういうことなんだ?
防衛? それとも版図の拡大? あるいは「国際社会における誇りある地位」とか、そういったたぐいのお話か?
いずれにしろ、「これも国のためだ」式の通り一遍な説明で「ああそうですか」と無邪気に鉄砲を担ぐわけにはいかないな、オレは。(小田嶋隆)
p.168
週休二日制の導入は、日本人が生産というものを中心とした生活から消費を中心とした生活にシフトしたことを意味していた。消費を活性化させるものは間違いなく人間の欲望である。消費を中心とした生活の価値観の中では、生産を中心とした生活に生まれる倫理である、倹約や、勤労は色あせる他はなかったのである。戦後的なものの考え方、つまりは倹約の美徳、労働への誠実、隣人同胞への慈愛といった美辞が、欲望が作り出す「現実」の前では、欺瞞に思えてきたと言ってもいいのかもしれない。消費が中心的な課題となった時代において、持てるものと持たざるものという「現実」だけがクローズアップされることになる。結果の大きさの前では、美辞は貧者の言い訳のように響く。まる金、まるビという「現実」の前に、「理想」も「真実」も嘘っぽい欺瞞にしか見えなくなった。労働から消費への価値観のシフトは、言い換えるならば、プロセス重視から結果重視へのシフトであったということである。
p.174
歴代の大臣も、外交担当者も、この憲法を世界に向かって積極的にアピールし、どのような場合においても武力による解決という手段をとるべきではないと主張するほど、自らの信念に自信を持ちえなかった。いや、実のところ憲法の理想などはじめから信じてはいなかったのかもしれない。
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およそ10年近く前の本ではあるが、その中で書かれていることは、「まさに、まさに今起きてもおかしくないわけであります」という安倍晋三の言葉通り、現今の政治(というか政府の暴走と自民党の劣化)状況を活写している。
とりわけ最終章の平川克美による論考は、ロジカルかつ(良い意味での)詩的な表現により、読み手の心に届く憲法論である。
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4者4様のものの見方が知れて良かった。けれど、男の子はやっぱり戦車とかミサイルとか、軍隊とかに本能的に惹かれてしまうものなのだ!ということを2名ぐらいがおっしゃっていて、そういうのどうなの?と思ってしまった。確かに破壊力や機械の美のようなものに畏怖の念を抱き、時に崇高さすら感じてしまうという気持ちはわかるのだけれど、「男の子だから」とか「本能」っていうのがどうもなあ。
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改憲の動きに待ったをかける4人がそれぞれ話す。
憲法とは何なのか。
改憲論者の真意と盲点とは。
四者四様の主張が面白かった。
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ユルめのタイトルとは違い、各々が鋭い切れ味で憲法第9条について主張を展開しています。
憲法とは何か、誰が守るのか、9条を改正することで起きる問題など、様々な視点での主張は、2006年当時のイラクへの自衛隊派遣を発端にした憲法議論とは言え、新たな視点を見出せる一冊でした。
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憲法はこのままで何か問題でも、との問いかけ《赤松正雄の読書録ブログ》
物事は何でもタイミングがあり、旬がある。憲法をめぐる議論も5年ほど前にはかなり高揚感があったが、社民党、共産党のサボタージュとそれを受けての民主党のゆえなき怠慢から開店休業状態が続いたため、今となってはすっかり熱が醒めた感が強い。それがようやく、この国会で憲法審査会が動き始める兆しが見えてきた。
そうした経緯もあり、改めてあの頃に出版された憲法本を読んでみた。一つは、内田樹他の『9条どうでしょう』だ。現代フランス思想の専門家であり、武術家の内田さんが当時こんな本を書いていたことをついぞ知らなかった。もっともこの5年ほどの間に凄まじい勢いで論壇に進出。押しも押されぬ地位を築かれたこともあろう。世事万般にわたり実に鮮やかな評論をされているが、憲法9条についても、これを読むと、いかに従来の護憲派、改憲派による論争が古色蒼然としているかがよく分かる。以下、いくつか引用したい。
「憲法9条と自衛隊について考えるときにまず頭に入れておかなければならないのは、これはアメリカがルールを決めて始めたゲームだということである」「憲法9条と自衛隊が矛盾した存在であるのは、『矛盾していること』こそがそもそものはじめから両者に託された政治的機能だからである」「彼らはいずれも憲法9条も自衛隊もアメリカの隷属国化の攻略の一環であることを知っている。知っているけれど、自分がそれを知っていることを知りたくないだけである」「『アメリカの従属国』としてしか生きられないという耐え難い心理的負荷を逃れるために、日本人は日米間のすでに解決済みの葛藤を憲法9条と自衛隊の両立不能性という解決不能の内的葛藤に書き換えたのである」
彼の理屈は実に鮮やかだが、最後のオチだけがいささか俗っぽくみえる。つまり、気取った護憲派と隠れ改憲派だと内田さんをきめつけるとの非難や告発は、実は内田さん自身が聴きたいと望んでいる言葉であり、そういう枠組みでしか考えられない日本人の病状を自分は愛し始めているというのだ。つまり、そういう病人が多数いるからこそ自分の存在価値があるということなのだろうが、それではオチがきいていないように私には思われる。