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紙の本
ニュージャーナリズムの行方…
2006/06/26 10:30
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
沢木耕太郎の本はデビューしてから、愛読していたのですが、小説はどうしても読むことが出来なかった。何故小説なのか、違和感があったのです。紀行文学賞をもらった『深夜特急』はとても楽しく読むことが出来たのに、小説でブレーキがかかり、それ以降、沢木耕太郎の本は読んでいませんでした。
もうじき映画公開されるトルーマン・カポーティの『冷血』はニュージャーナリズム誕生としてノンフィクション史に大きな刻印が押されたが、沢木の79年に発表された『テロルの決算』は日本にもニュージャーナリズムの旗手が現れたと、そのデビューは華やかなものでした。ニュージャーナリズムとは対象への没入の深度が当事者とすれすれのところでポジション取りする危ういものなのであろうか、カポーティのその後の生き様にもそのことを感じる。
あとがきで著者は1977年に雑誌文藝春秋に発表された『危機の宰相』が何故単行本化されなかったのかについて書いている。
《ニュージャーナリズムとは何かということについてはさまざまな定義の仕方がある。しかし定義の違いは、「書き手の意識」と「表現の仕方」のどちらに比重をかけるかによって生じる差だと言ってよい。私は、ニュージャーナリズムを、表現においてある徹底性を持った方法によって描かれたノンフィクションである、という受け取り方をした。中でも、徹底した三人称によって「シーン」を獲得するという方法論に強く反応した。「シーン」こそがノンフィクションに生命力を与えるものではないか、と。
しかし、『危機の宰相』では、一人称と三人称が混在しており、「シーン」の獲得という点においても不満が残った。なんとかして、完璧な三人称で書くことはできないか。
そこから『テロルの決算』は出発し、方法論的にはあるていど満足できるものができた。そのため、こちらを先に単行本化したいと思うようになり、私の長編第一作は『危機の宰相』ではなく、『テロルの決算』ということになった。》
僕が最初に読んだのは『テロルの決算』であり、それによって沢木耕太郎に魅せられた。一冊目が『テロルの決算』だという人は多いと思う。今回初めて読んだのですが、やはり沢木は小説や写真集や、エッセイでなく、かようなノンフィクションにその真骨頂が現れるのではないか、彼はこのあとがきに本書を書いたモチーフは山口二矢に対すると同じ下村治に対する「義侠心」だと臆面もなく語る。
解説で御厨貴が自分の学問分野にこと寄せて書いている。《あれから四半世紀がすぎた。率直に言ってこの二作品を上まわる歴史的ノンフィクションは世に現れず、沢木もまたそちらへの道を封印した。評者は長いトンネルをくぐった後、ノンフィクションの手法にヒントを得て、いつしかオーラル・ヒストリーという領域の担い手となった。》
池田勇人、宏池会事務局長・田村敏夫、エコノミスト・下村治の三人三様の生き様が見事に描かれている。60年、安保騒動による岸退陣、その後を引き受けた池田勇人内閣は「寛容と忍耐」をモットーに「所得倍増と完全雇用」に向かって突き進む。60〜64年は僕の青春時代でもあったわけですが、確かに黄金の時代だったかもしれない、2007年問題は沢木の世代であり、還暦を迎える。 そのような黄金の60年代は作品集成7巻として『1960』も発刊されたが、全学連の元委員長唐牛健太郎を題材にした『未完の六月』をも収録した三部作(『テロルの決算』を含む)が、今この時に発売された意味は何であろうか?
紙の本
「所得倍増」という白昼夢
2006/05/14 09:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nanako17girls - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、池田内閣で行われた経済政策、いわゆる「所得倍増」という卓抜なキャッチコピーで行われた1960年代の日本の高度経済政策の貴重な「記録」である。「所得倍増」という夢に思いを託した男3人の物語ともいえる。「池田隼人」という政治家とそのブレーンたちの物語だ。ぼくは、経済学なんてぜんぜん知らないが、読んでいてとても引き込まれるものがあった。それは今の日本経済の基礎を作ったとともに、日本経済の「成長」がどのように行われたか、緻密に当時の文献を通して書かれている。それは今の日本の政治・経済にはないものが、当時には確実に「あった」のだ。
本書が出版される経緯には若干、複雑なものがあったそうだ。本書の原案はすでに20年以上前からあった。その当時、沢木は「一瞬の夏」というスポーツ・ノンフィクションと「危機の宰相」という経済ジャーナリズムの本の出版の選択を迫られていた。そして、かれは前者を選んだのだ。なぜか?それは「生き方の選択」と、本書のあとがきに書いてある。言い換えれば「物書きとしての方向性」ともいえる。おそらくその選択によって、その後の人生は大きく変わったかもしれない。そして、それをいま出版する意義について冒頭に「所得倍増という蜜月の終末に、立ち会う」ということらしい。すでに、日本経済は「成長」し、「成熟」を終え、「老成」に入ろうとしている。いままさにその「時代」なのだ。
紙の本
現代の政界はルーザーだらけっぽいが昔はグッドルーザーがいたのだ。その軌跡。
2011/05/26 01:18
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チルネコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
久しぶりに沢木耕太郎の著作を読みたくて積読していた本が本書である。一時期沢木さんの著作を乱読しまくった時期があったが、どれもこれもフィクションとして素晴らしい観察力、編集力、抒情的で得意な視点で尋常じゃないリーダビリティがあった。著者の小説も淡々とした静謐な筆致で世界観に浸ってしまうのだが、やはり個人的にはこの著者のフィクションに方を並べられる書き手はそうそう見つからないと思ってる。
だが、本書もノンフィクションとはいえ「政治家」に焦点を当てたもので、いままでのとは少し題材が異なっている。でも、そこは沢木さんなのであまり知らない政治家の話だとしても興味深く読めるだろうとは思っていた。もちろん、それはその通りで自分がまだ存在してない時代の事ですら感心を持てるようにもなった。でも本書は名著『テロルの決算』後、『一瞬の夏』の前に書かれた作品であり、それから数十年後の2006年に加筆修正し出版に漕ぎ着けた作品らしい。こんなに年月が経ってしまったのはあとがきに詳しいが、出版が待ち望まれた本でもあったようでそれだけで内容の素晴らしさを物語っていると思う。
本書は政治家・池田勇人、エコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄という三人の「ルーザー」に焦点を当てて、【所得倍増】という政治史に残るスローガンを実行した経緯と内情を克明に抉り描き出したものだ。「ルーザー」とは何かというと、文字通り「敗れた者」という意味なのだが、本当の意味でのルーザーではもちろんない。この「ルーザー」というのは池田内閣誕生以前に三人とも人生において(政界人として)挫折を味わい苦労して一端ドロップアウトしたという経歴から、沢木は「ルーザー」と名付けただけなのだ。しかも、この「ルーザー」というのは吉田茂がいつかに言った「日本はグッドルーザーだった」という言葉をこの三人にも当てたものなので、三人は「良き敗者」というくくりで実は賛辞なのだ。
その三人が何をしたかというと、これは前述したように「高度成長」を【所得倍増】計画をもって成したという日本の政治史に足跡を残した偉業を描いている。表舞台にでて日本を牽引した池田に事務の元締めとして裏方に徹した田村、そして池田の頭脳として政策を計画した下村。この三人をそれぞれ章の主役とし、実に奇妙ともいえるような三人の結びつきを端整な筆致で読ませてくれる。だが、この頃は初期の沢木さんだからなのか、1人称と3人称が入り混じっており少し統一感に欠け読みやすくはない。所得倍増という経済も絡んでくるので僕は読めたが、興味がなければ読破は難しいかも知れない(苦笑)
だが、そうはいってもこの頃から沢木さんの無駄のない端整な筆致で沢木さんらしい筆運びは変わらなない。高度成長論を支持するものがブレーンの中でもあまり居ない中、ルーザーたちは所得倍増というスローガンを掲げ見事自分達の目標を達成してしまう。もちろん、それは舗装された綺麗な道程ではなく、長く険しいものであり、そこに至るまでの経緯には人間臭さが滲み出ている。しかし、政治家も人間であり人間臭さがぷんぷんするドラマを沢木はよくぞ描ききったという読後感だ。三人がルーザーからグッドルーザーになった信念を貫く姿勢と沢木さんはまだ30歳前後のときによくここに焦点を当てて書ききったなと賛辞を贈りたい。
そして、民意をしっかりと把握し実行してくれる政治家が僕の知らない時代にまだいたこと。それに比べ「美しい国」みたいな抽象的で何をするのかすらヴィジョンが見えてこないスローガンを掲げた現代の政治家はなんなんだろうと一層強く思ってしまう(苦笑)これを読んでる時に「歴代首相ベスト」と「ワースト首相」なるアンケートを目にしたが、ベストの方は昔の首相ばかりで、ワーストは最近の首相ばかりである。時代が移り変わるにつれて政治家は本当のルーザーになってしまったのかなと、グッドルーザーたちと比べて嘆いてしまうのであった。
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