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1989年。昭和が終わって80年代最後の年。筆者によると日本のなかで何かを失った時代。私はまだ小6で、塾に行ったり、毎日ポコペンやロクムシしながらのほほんと過ごしていた。 何かが始まり始めたターニングポイントの83年。私はまだ6才だった。 なにはともあれおもしろい。いいねー、堀井さん。この茶化したような皮肉ったような言い回し、けっこう好き。
私は逃げ切れるか。コレからが勝負。
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★だから早くオジサンになりたかったのか★雑誌や早稲田漫研OBを軸に時代に対する認識をひもとき、この20年を、「若者」という消費者を作りだした時期と総括する。若者向けのクリスマスが始まったのがたかだか1983年とは驚かされた。バブルがはじけたのに若者市場という幻想だけが、かつて若者だった人に残る。被害を受けるのは何も残されていないいまの若者。バブル直後に学生生活を送り、いまの若者の端につらなると思っている身にはしみた。「ずんずん調査」するだけでなく、分析する枠組みも持っているのだと見直した。
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R25に紹介されてたので読んでみた。「若者にお金を使わせれば儲かることに大人が気づいて以来、若者はゆっくり殺されている」と言う内容。おもしろかったよ。でも男性視点から書かれてるから不愉快に思う女性もいるかもしれない。
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なんか、ラジオに出ている堀井ちゃんとは違う…のかな、いや、同じかな?若い人、読んで、考えてみてください…っていっても、おそらく、「昔」を知らないとね…ってそー思うことが最近多いです。
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若者カルチャーの変容・転換期から現代社会を考察しています。初めは「一杯のかけぞば」や「ディズニーランド開園」(←小学生でした!)等なつかしい話題でおもしろかったのですが、だんだんと暗い気持ちに…。というのも、現在の社会システムは終焉に向かっていて次はどうなるのか、まだ誰にもわからない。という結論になるのです。確かにそうだなとは思うんですが、それが結論だと救いが無さ過ぎます。まだ若者の隅っこにいる者としてはもそっと希望が欲しかったなぁ。
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83年にクリスマスが恋人たちのものになり、以後若者という消費者層をつくり恋愛を通して金が動いた…。80年代日本で何が動いていたのか知るための本。
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堀井さんらしからぬタイトルの本。とはいえ、社会をおおう閉塞感の一端を写したものでしょう。学生の単位が‘取る’ものから‘来る’ものに変わっているというのは初耳でした。図書館予約数は1(07/04/19現在)です。
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今の若者に生まれて損だと思っていたけれど、これを読んだら昔の若者に生まれるのも相当恥ずかしいと思った。
さっさと若者を遣り過したい。
大人が「若者」の座を譲らないから若い人が大人どころか若者にすらなれないってところに納得。
でも、アンタ若者にしがみついてる大人だよね?とつっこみたくなった。
著者の立ち位置がわからない。
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時代につかまった若者が殺されていく
若者よ、業を身につけて逃げろ!って言ってた。
借市立図書館 20080411
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寮の打ち上げでお台場に向かうモノレールの中で、
「若者殺しの時代」(堀井憲一郎)を読了した。
最後のあたりが大変よい!
久しぶりに「すとん」と落ちた。
ディズニーランド、クリスマス、トレンディドラマ、
バレンタイン、漫画などなど、若者を取り巻く文化が
どのようにして表れたのかを検証し、
近代資本主義が若者から収奪する、
ある種の構造をえぐり出している。
我々の世代は、第二次大戦後の歴史タームの最後の世代であって、
親世代のように経済成長の中の価値観で突き進むという恩恵にもあずかれないし、
一方で、次に来るであろうタームの先頭集団ともなり得ない。
ロシア革命の下級貴族のように、
よい時代を歩む時期を逃した上に、
次の世代からは経済成長世代と十把一からげにされてしまう、
割と貧乏くじな世代である。
そして、資本主義と競争原理で割と息苦しい。
堀井氏は「逃げろ」という。
具体的に何をもって「逃げる」というのかは、
本書を見てほしいのだが、
最近自分が考えていた方向性と合致していたのが、
「すとん」と落ちた要因でしょうね。
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堀井憲一郎は名文家だとわたしは思っています。『週刊文春』に連載中の「ホリイのずんずん調査」の文章は,一読するとギミックが多いように見えますが,あのギミックに見えるフレーズは,音楽用語でいうところの裏打ちのタイミングで入ってきます。だれも書かないようなフレーズを多用しているから冗長かというと,とんでもない。彼の文章は,すこしもだらしないところがありません。彼はTVに出演することがあるので,彼の文章に彼が喋る肉声を聞きとれると主張するひとがいるかもしれません。しかし,残念ながら,それはまちがいだとわたしは思います。喋るとおりに書けるひと,というのを,わたしは見たことがありません。たぶん,ありえないのでしょう。ありえるとわたしが思うのは,書くとおりに喋れるひとです。たぶん堀井憲一郎はそういうひとなのだろうとわたしは思っています。もっとも,彼が名文家であることは,いまさらわたしが言うまでもないような気がします。「ホリイのずんずん調査」では,物の数を数えるという大義名分が掲げられていますけど,多くの読者は,数えられた数を知りたくて読んでいるわけではないでしょう。
さて,堀井憲一郎が講談社現代新書に書くというのは,場違いな観があります。しかし,名文家の新刊が出るというのは,言ってみればモーツァルトの新曲が出るようなものです。一も二もありません。
堀井憲一郎は本書で“裏打ち”の文体を封印しています。彼は,1983年を境にして日本社会のなにかが変わったということを検証しています。中山美穂が主演した映画『波の数だけ抱きしめて』と同じ時代の同じような事柄を扱っていて,同じように切ない本です。『波の数だけ抱きしめて』は,1982 年の湘南を舞台にしています。当時のアキバ系学生(=アマチュア無線愛好家)が,出力10mWのトランスミッターを大量に手作りして,ひと夏だけ合法的な違法ラジオ局を作ろうと言いだします。それを聞いたまつ毛のきれいな中山美穂が「素敵ね。。。」と言ったものだからさあたいへん,織田ちゃんが漁師をして資金作りに精を出します(おれだってそうするよ)。ところがDJが美人女子大生(中山美穂)であることを博報堂のナンパ社員(別所哲也)がかぎつけ,彼女を落とそうとして資金提供とタイ・アップを申しでます。「おれたちゃ,そんなんでやってんじゃねえよ!」と,この頃から怒っている織田ちゃん。「取りこまれるふりして,逆に利用すればいいじゃないか」と別所。アキバ系学生は,機材が揃えば文句ないので,博報堂の提案を受けいれました。合法的な違法ラジオ局の聴取エリアは,葉山から江ノ島まで広がることに。なのに中山美穂は,ある日突然姿を消します。残されていたのは,一本のオープンリール用テープ。そこにはTOTOの「Rosanna」が。。。
泣けますけど,堀井憲一郎に関係ありませんでした。
それにしても,「取りこまれるふりして,逆に利用すればいいじゃないか」というセリフが,ホイチョイ映画でよく出てきたものだと思います(脚本は一色伸幸)。そして,結局あのとき取りこまれただけだったじゃん,というのが堀井憲一郎の『若者殺しの時代』の趣旨のひとつになっています。 1983年を境にし��,なにかがなにかに取りこまれました。それをひと言で表すことを,堀井憲一郎は賢明にも避けています。それをひと言で表すことは,取りこまれることだからです。
本書は,すんでのところでアメリカ人作家デレク・ハートフィールドに捧げられかかっています(著者が「読んだことがない」というので撤回されていますが)。さすが名文家。本書は,わたしにとって今年の評論部門の第一位になると思います。
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2010/05/18購入。時代が流れているのを見られたのがよかった。あまり昔のこと知る機会ないしなぁ。
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どうして今の若者に元気がないのか? 若者が未来に希望を持てないのは何故か? そういった疑問に答えつつ、上の世代からの一方的な偏見に統計とユーモアで切り替えした奇作です。
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まず、文章が流暢で読み心地が良い。言い回しが面白い
>昔の雑誌を介して怒られるのは理不尽なのだが、怒ってる内容は正しい。
>女性に怒られるときは、いつだってそうだ。入り口は間違ってるんだけど、指し示しているポイントが恐ろしいほど正確なのだ。何も言い返せない。
>第一陣の逃亡者たちは、ほとんど捕まってしまい「ニート」という立派な名詞が与えられてしまった。いまは構成しろと監視されている。
>あきらかに逃亡する前よりも扱いが悪くなっている。次の逃亡は慎重にやったほうがいい。
とかね。
目の付け所が面白い。
多くの人が見過ごすであろう、社会の変化から独自の分析・持論を展開している。
・雑誌が若者をターゲットにし始めた
・トレンディドラマが女性の価値観を変えた
・単位は取るものではなく、来るものになった
とかね。
主張としては、社会の変化はどんどん若者を生きづらくしているということらしい。でそれを作っているのは、かつて若者だった大人たちということになるのかな。
別に、誰かが悪意をもって若者から搾取しているわけではない。
今の延長線上で、努力をすれば明日は今日よりきっと良くなる的な価値観がそうさせたのだと思う。若者は苦労しても、歳を取れば報われる的な固定観念がね。
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ワープロの出現でミステリーが長くなる 手書きなら削ってしまうようんディテールを細かく書くようになった
新横浜駅の格上げ 東京の拡大
単位をとる 最近は単位がくる
若い人が居場所を確保する可能性は2つ
一つはこの社会を破壊すること
もうひとつは、社会から逃げること
にげるには、ひとつは伝統文化を身につけること、とにかくいまのシステムをやわらかく否定すること 文化を徹底してカラダで身につけること