紙の本
本書はもっと多くの人(アカデミズムに関係のない人)に読まれるべきですし、著者もそれを望んでいるでしょう
2009/11/19 06:51
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中堅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の形式的な分類すれば政治学の論文集ということになります。ですが、著者が後記に述べているように、
「専門の研究者のための学術論文に寄稿したのものではなくて、むしろ学者以外の読者を予想して書かれたもの」であるため、
「論文のスタイルが学界的常識からあまりにジャーナリスティックに見え、ジャーナリズムの世界からはあまりに『専門的』もしくは『難解』だと非難」されることになる程、本来の論文集と呼ばれる本よりは、学界外の人間でも読み易い内容になっています。
また、論文の執筆時期が1945年~1964年となっているので、2010年になろうとしている今の「現代政治」に関心がある読者にとっては、読む価値は少ない、と思われるかもしれません。しかし、下記の理由で(うまく表現できていませんが)私は多くの人に本書を読んでもらいたいと思います。
1.対象への視点の自在さ
⇒自明とされていて、つまりエートスとなっていて逆に見えない封建主義的な思想(家族主義・農本主義)を取り出す手際の良さ…「日本ファシズムの思想と運動」
2.思想の節操の取り方
⇒著者の立場が明確に示されているゆえに、無責任なジェスチャーになっていない…「『現実』主義の陥穽」
3.「政治とは何か?」から始まる啓蒙的な語り口
⇒…「自由主義者の手紙」、「人間と政治」は特に顕著
個人的には、「日本ファシズムの思想と運動」に出てきたロジックが、最も印象に残っています。
⇒第二次世界大戦下、工業労働者の福利厚生施設が貧弱→労働者の大量不良化→蔓延する懲罰主義・観念的激励演説→(不良化させた労働者が、軍人として劣ることを理由に!)政治的無関心継続
このロジックは政治という大局的な視点を排除して個人の振る舞いに全てを帰そうとする(儒学思想?)点で、「派遣切り」に対して出てくる自己責任論と著しい類似をしていると個人的に考えています。
bk1にて旧版の書評をされた、くにたち蟄居日記さんと同じく「日本人は日本人である。良しにつけ 悪しきにつけ。」という感想を持たざるを得ませんでした。
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発行されては消えていく中身の無い新書を読むより、段違いに勉強しがいがある本書を多くの方にお勧めします。
紙の本
丸山は読み続けられる価値がある
2024/02/24 22:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
丸山真男をどう扱うのかは難しい。狭義の専門家にとっては実証的には厳しく評価せざるをえないというのも確かであろう。しかし、それをふまえてもやはり丸山は読み続けられる価値がある。そのことがわかるのが本書である。
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政治学者として戦後大きな影響を与え、日本史の教科書にもその名がのる丸山真男の論集。読んだのは、「超国家主義の論理と真理」、「日本におけるナショナリズム」、「科学としての政治学」、「現代における人間と政治」という4本の論文。
「超国家主義の論理と真理」においては、戦前の日本には、国家と私的領域の境界がなく、国家が価値内容の独占的決定者であったことが指摘されており、究極的実体(天皇)との近接度が価値の基準となっていたと論じられている。そして、戦前の日本においては、独裁というよりも、抑圧の移譲による精神的均衡の保持が行われており、誰も戦争の遂行について誰も主体的意識をもっていなかったことが論じられている。丸山の言わんとするところは、よく理解できるし、実際、そのような、いわゆる「無責任の体系」が戦前日本の過ちの原因だったのであろう。しかし、丸山がそのような「天皇制精神構造の病理」が戦前日本を通して必然的なものだっと主張していることには違和感を覚える。明治期までは、指導者は主体的に天皇を統治のための道具として考えていたのではないかと考えるからである。いつのまにか、シンボルとしての手段でしかなった天皇が、あたかも国家の目的として実体をもってしまったのではないか。それが発露したのが、昭和戦前期だったのではないかというのが私の認識である。
「日本におけるナショナリズム」では、アジアのナショナリズムを肯定的に捉えすぎではないかという印象をもった。ナショナリズムのあるべき姿と比較して、それに劣ったものとして日本のナショナリズムを論じているように感じられ、あまり学問的に好ましい態度ではないと思った。しかし、これは日本のナショナリズムに限ったことではないと思うが、「日本の旧ナショナリズムの最もまざましい役割は…、一切の社会的対立を隠蔽もしくは抑圧し、大衆の自主的組織の成長をおしとどめ、その不満を一定の国内国外の贖罪山羊(スケープゴーツ)に対する憎悪に転換することろにあった」という指摘は、ナショナリズムの本質的な部分を言いえていると思う。
「科学としての政治学」では、政治学における思惟の存在拘束性が指摘され、政治学には、認識と対象の相互規定関係が存在していると述べられていたことが、政治学を考えるうえで示唆に富んでいると感じた。また、政治学の「用語」は、それを使用しただけである特定の政治的立場に加担する場合があるという指摘も重要な指摘であると思う。
「現代における人間と政治」は、本書において読んだ論文のなかで最も面白いと感じた。この論文は、「境界」が一つのキーワードだと思う。境界の内側にいると、正気と狂気が逆転していても、それが普通だと感じてしまう。境界に住み、「内側の住人と「実感」を頒ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積による固定化をたえず積極的につきくずすこと」は、知に関わる人間にとって必要不可欠な態度であると思う。
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丸山貞男の代表的著作として知られる本。考察は鋭く、ためになる部分も多いのだが、近代社会と封建制をすっぱり切り離して考えているのが残念な気がした。近代とな何なのかという考察が本書からうかがえなかったので、その部分で消化不良になってしまった。
日本に関して考察した政治学の本としては名著であるとは思うけど。
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丸山眞男の原点である、「超国家主義の論理と心理」を収録した論文集。
もともと私が本書を手にしたのは、五一五事件に代表される日本のクーデターとアメリカのそれとの違いを知りたいがためだった。丸山は西洋のナショナリズムと日本の発展の違いや、それに伴う天皇と国民の権力関係などを中心に論じている。
明確な答えを得るには至らなかったが、国家論を勉強する上で、日本という枠を超えて参考になる一冊だろう。
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この著作に載せられている論文や講演録は、すべて戦後16年間の間に発表されたものばかりである。
しかし、随所に「これはまるで現在の政治の状況と同じではないか」と思わされるところがあり、今から半世紀前に書かれた著作ではあるが、その主張するところは現在も些かも古びることなく、そのいぶし銀のような輝きを放っていると感じた。
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物性研の所内者、柏地区共通事務センター職員の方のみ借りることができます。
東大OPACには登録されていません。
貸出:物性研図書室にある借用証へ記入してください
返却:物性研図書室へ返却してください
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1758818894226334159?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw