紙の本
戦争国家の背中は暴力を語る
2006/11/15 13:08
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「親父の背中」とか「男は背中で語るものだ」という表現があるけれども、その表現に倣うとすれば、アメリカの背中はまさしく「権力」と「暴力」を語っている。暴力論や権力論に関しては、理論面から考察した様々な名著があるけれども、アメリカという国の成り立ちを描きつつ権力と暴力の深層まで語った本書は、まさに権力や「愛国心」を語る上で欠かせない本に仕上がっていると言えるだろう。
私としては、本書の第2章「「暴力の特異国」への道」は、騙されたと思って読んで欲しいと思っている。私の読んだ限りでは、この部分こそが本書の根幹であり、そして米国の根幹でもある。
米国にとっては、その独立を決めた独立戦争自体が、常備軍ではなく民兵によって担われていた。暴力は最初から一般市民のものにあった。元々米国自体が英国の集権的体制に反発して建国されたものであったため、中央政府は小規模な軍事力しか持たず、他方ではものすごい勢いで開拓が進んだため、僻地においては治安維持のために自警団が結成されるようになった。そして憲法はそれを容認するために改正された。それと中世的騎士道精神による決闘の精神の輸入と相まって、民間に武器や暴力による紛争解決が普及する運びとなる。
また、自警団による私刑(リンチ)は、当初は裁判所に代わって犯罪者を裁く、というものであったが、次第に処刑を伴うようになる。そして犠牲者の主体が白人から黒人に変わる。これは、南北戦争に伴う奴隷解放により、黒人の社会的地位の向上に伴う白人の不安の増大が原因である。悪名高きKKKもこの流れで生まれている。また、フロンティアの時代が終了すると、黒人へのリンチは減少したが、その代わりにマフィアに代表される巨大な地下組織ができるようになった。それを取り締まるためにFBIが結成されるが、これはマフィアの組織解明に手間取ったばかりではなく、一人の人物による私物化が起こっていた。それを象徴するのが、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺である。この暗殺事件に対して、国家機関であるFBIによるリンチの疑惑が浮かんだのだ。
軍事的超大国としての米国を見ることに関しても、この流れを無視することはできない。それは冷戦体制と共に幕を開ける。個人的に興味深いのは大学と軍隊の関係の部分で、大学から軍人を排出することでシビリアン・コントロールが保たれる、ということがインセンティヴとなっていたり、アカデミズムが軍隊に近寄ることによって軍隊の社会的地位が上がったり、という指摘は、とてもおもしろかった。
第2章の概要を書くと、大体このような感じになる。もちろん本書において、第2章以外の部分も見逃すこともできないだろう。しかし、米国がなぜ、そしていかにして軍事的超大国と化したか、さらには国家とは、統治とは、暴力とはなにか、ということに関しては、権力や「愛国心」を語る上で絶対に避けることができないもの大のはずである。そのことを理解していない人が、特に「愛国心」の押しつけに反対している「はずの」勢力に多すぎる。私が第2章にこだわる理由はここにある。
治安の悪化が虚構といっても差し支えないにもかかわらず(この点に関しては、浜井浩一『犯罪統計入門』日本評論社、久保大『治安はほんとうに悪化しているのか』公人社、などを参照されたし)、我が国は米国流の監視社会の道をたどっているように見える。そういう現実に対処する目的でこそ、本書は読まれるべきだ。そして、形骸化して「戦後民主原理主義」と化した左翼勢力にも言っておく。左翼よ、暴力と統治を語れ。
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先入観なく読みたい著書
2011/10/15 23:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、アメリカという国家を「人為的な集団統合という理念を追い求める実験国家」と規定し、これにより、アメリカ社会は性や暴力の問題が大きな社会的問題とならざるをえない構造を宿命的に背負ってしまったと見る。
この視点を裏付けるため、著者は、アメリカ社会における性と暴力の問題について、その歴史的・法的・政治的・社会的・文化的な側面を、多くの資料を用いて総合的に検証していく。
反米本ともとられかねないタイトルの本著であるが、著者は非常に冷静かつ抑制的にこのテーマを論じている。大学での講義ノートを元にしているとのことで、アメリカ社会の性と暴力の問題を、アメリカの地域文化論という純粋な学問的対象としてとらえようとしている姿勢が伺える。
現在、唯一の超大国となってしまったアメリカに対しては、好き嫌いのいずれであれ、激しい感情を持つ人も多いかもしれない。アメリカに対する批判らしい批判はほとんど述べられていない本著であるが、性と暴力という切り口自体が反米的であると考える向きもあろう。
本著の切り口は、確かに、そういった感情を刺激しがちであるとは思うのだが、できれば、一度、少しでも自分の感情をニュートラルに戻すようにしたうえで、本著に取りかかるほうがいいかもしれない。
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アメリカに対して感じる怖さって、ほんとこの二つ。性と暴力。これらの現在の異常な状況を歴史的背景から解きほぐしてて、ものすごい分かりやすい。個人的な反省としては、怖さや分からなさを「見ない振り」に変えてちゃだめだな、と。
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とかく日本人はアメリカ=世界標準と考えるきらいがあるけど、実はいびつで不安定な国だと思う。
そのアメリカ社会に根付く思想とその出来上がった過程と特徴を「性」と「暴力」というから検証していて面白い。
明快で分かりやすい文章、様々な側面から比較し考察していく手法に引き込まれて数時間で読破してしまった。
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アメリカという国を、性と暴力という二つの力学で解き明かす。わかりやすく、おもしろいです。隠れ名著ですよ、これは。
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アメリカがいかにして異形の超大国になったのか。
その経緯を性犯罪を通して理解する本。
環境と性の間には密接な関係があり、性の問題は他者とのコミュニケーション問題でもあるのだ。
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何でアメリカってこうなの?という素朴な疑問に歴史を踏まえて回答してくれた本。因果関係にはちと疑問も生じるがアメリカという国の現在を見るうえで大変参考になりました。しかし4人に1人は児童虐待を受けた経験があるって・・・・あそこの家庭教育はどうなっとんの?とさらに別の疑問が。
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[ 内容 ]
唯一の超大国として、最も進んだ科学技術を誇るアメリカ。
だが、キリスト教の倫理観に縛られ、二億挺を超す銃が野放しにされるなど、「性」と「暴力」の問題については、前近代的な顔を持つ。
それはなぜか―。
この国の特異な成り立ちから繙き、現在、国家・世論を二分する、妊娠中絶、同性愛、異人種間結婚、銃規制、幼児虐待、環境差別、核の行使などの問題から、混迷を深めるいまのアメリカを浮き彫りにする。
[ 目次 ]
第1部 「性と暴力の特異国」の成立―植民地時代~一九六〇年代(「性の特異国」の軌跡 「暴力の特異国」への道)
第2部 現代アメリカの苦悩―一九七〇年代~(「性革命」が生んだ波紋 悪循環に陥ったアメリカ社会 「暴力の特異国」と国際社会)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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いかなる国家も、近代化の過程で暴力性が発露する。だが、アメリカにいたっては、建国後も、さまさざま社会矛盾が昂じて、その都度発露される暴力の連鎖に楔を打つことができなかった。その件に関して、丁寧な歴史解説が施されていく。
そして、「それほど矛盾を抱えた国が唯一の超大国として君臨できているのは何故か」という原理的問い、また「そんなアメリカという国と付き合うにはどうしたらいいのか」という遂行的な問いへのシフトが試みられている。
こういう弔い作業をきちっと果そうとするアメリカ研究者がいることに、なんだか深い安堵を感じた。そして何よりも、序説の副題として冠された「処女地の陵辱」というワーディングが素敵。
豊穣な自然を目の前にして、病的に興奮してしまったピューリタンのヴァイタリティ(活力)を、処女陵辱的な心性という(少し意地悪だが、的確な)メタファーで捉え直すと、アメリカの性と暴力の歴史が再解釈できるというしくみ。
そもそも、ピューリタンが最初に入植したヴァージニア州は、エリザベス女王の雅号Virgin Queenにちなんで名づけられたものだ。しかし、「ヴァージニア」という命名は、奇しくも、自然を前にして大興奮した開拓民の「処女陵辱的な心性」(それは以後アメリカの国内外への伸張の歴史を貫通する精神性となる)との奇妙な一致を見せてしまったのである。
「処女地の陵辱」というワーディングによって、この自然・大地に対して、身震いするような興奮を覚えた開拓民の心性を、少女を目の前にした男性の性的興奮になぞらえる。
このアメリカ社会に通底する精神性(「処女地の陵辱」)が環境に向いたときに、環境問題として、少数民族に向いたときに人種差別や暴力の問題(銃社会)の問題として、女性や子供に向いたときに性的虐待として浮かび上がるわけで。
インディアン駆逐も黒人差別も、米西戦争も、広島長崎への原爆投下も、ベトナム戦争も、パノマ侵攻もアフガン戦争も、イラク戦争も、この延長線上に定立できるだろうと。もはや一国だけでボリューミーなリンチの系譜。
なるほど。確かに、イラク戦争はリンチにしか見えない。さらに、治安維持の大儀のもとになされたあの忌まわしい女性兵士によるイラク人捕虜の性的虐待も、性と暴力が一体化して発動する、特異の国ならではの現象として浮かび上がる。
このように現代アメリカを取り巻くイシューを、建国の原初心性になぞらえて、パラレルに捉えていこうとする点に本書の秀逸性があると思います。
副読本はトクヴィルの『アメリカンデモクラシー』とエマニュエル・トッドの『帝国以後』。
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ゼミの先生おすすめの本。
もちろんどの国もそれぞれ不思議なものですが、アメリカって成り立ちからすごくユニーク。
「人」を強く感じる。
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すごくおもしろい視点からアメリカ文化史を論じているのに、文章の構成が甘すぎると思う。まずなぜアメリカは「暴力の特異国」なのか、という問いを立てているが、そもそも「特異国」の定義がない。何をもってアメリカを「特異国」とするのかも説明なし。
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18世紀の移民時代から現在にいたるまでの暴力の変遷、特にリンチについての論は興味深かった。性に関しては、少し論自体に引っ張られている感じが強く、納得できない部分もあった。著者の他の著作で書かれているテーマと共通のものが本作でも重要な要素となっているので、他の著作を読むと、論じられている内容が補完されてかなり理解しやすくなると思う。特定のテーマでアメリカの歴史・社会・文化を論じるというのはとても良い試みだと感じた。
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アメリカという国を、「性」と「暴力」というふたつの補助線を捻り合わせて斬ることで、あらたな断面を提示することに成功している。新書というフォーマットにじつにマッチしているというか、広く深ーい考察がおもしろく読める。
たとえば、イラク戦争で、ジェシカ・リンチという英雄的な白人女性兵士を米軍が救出するというドラマが演じられた。もちろんこれは、兵士の士気を鼓舞し、銃後の支持を得るための茶番だったのだが。その原点には有色人種に白人女性が奪られるという恐怖の演出がある。
もとよりアメリカには、白人女性に手を出した黒人を吊すという「リンチの歴史」がある。リンチが表立っては行われなくなってからも、アメリカは白人女性への「レイプ」を理由に黒人を処刑し続けてきた。レイプ犯として死刑が科せられた771件のうち、701件は黒人だった。1972年に連邦最高裁によって違憲とされるまで、黒人の死刑囚の6人に1人は、レイプを理由に死刑判決を受けていた。
死刑容認、環境破壊容認、人種隔離、フェミニズム、同性愛差別……いろんなものが「性と暴力」で紡ぎ合わされていく。
グローバリズムという名のアメリカナイズに迎合するでなく、かといって声高にアメリカを非難するでなく。映画や文学などの視点も交えながら、アメリカを理解するためのパースペクティブが示されていて、終始興味深く読んだ。
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超大国アメリカ。ハリウッド映画で観る華やかで開放的なアメリカとはほんの一部で、ダーウィンの進化論を学校で教える事を禁止している学校さえある。アメリカでの植民者がネイディブアメリカンを虐殺しながら領土を拡張した後、労働力としてアフリカ大陸から黒人を奴隷として使役。未だに根強い異人種間婚への偏見と差別。。。アメリカが抱えている問題の理解に役立つ本です。
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トランプ大統領に危機感を覚えていたからこそ、いつものブックオフで手に取った本だと思う。
性と暴力は、最も理性がコントロールできない人間性であると思っていた。
こんな本を、中学高校で読んだ人が為政者になってくればいいな。と思う…
Mahalo