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頁をめくるごとに可笑しみと チクリ とした感慨が薄紙を重ねるようにさらりさらり、と増してゆくので、私はすっかりイザのアパートの前に立つ柳の葉擦れに隠れるようにして揺らぎながら、コンスタンおじいちゃんがいずれこの大きな嘘に気づいてしまうのではないかとハラハラしていたのだけれども
そこは流石で。一枚も二枚も ウワテ であり、哀しくて、切なくて、残酷であり、そしてやっぱりそれは深みへゆくための可笑しみだったのだと今は思う。
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切ないくらいしんみりする話。うそはうそで通すことで均衡が保たれたのかもしれない、と思いました。
本当のことをいえないやさしさってあると思います。
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82歳のおじいちゃんに本当のことが言えず、リヨンからパリまで週に一度三十分だけのおじいちゃんとの時間を過ごす。
イザベルの恋と絡んでゆっくりとでも幸せな時間の流れ方です。
でも、おじいちゃんは・・・
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鏡に映すと「うその水曜日」って読めるのね。
「水曜日のうそ」ってタイトルが鏡文字でも
パッと分かるのはなんでもないようなことだけど
結構不思議な気がする。
家族に振り回される思春期の女の子。思春期だからなのか、もともとの心が優しい子なのか分からないけれど、心の優しい人がいつも傷ついちゃうね。傷つけないとする心に気づいたときに傷ついちゃう、ってこともよくある。
主人公には伝わらないこともあるかもしれないけれど、周りの人たちがみんな優しい。お父さんだって、本当は優しい。
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主人公は15歳(14だっけ?)の女の子。ということで一応YAの枠に入れるが、オトナの方が共感できるかも。
主人公の一家は父親が新しい仕事先に移ることと新しい家族が増えるという理由で手狭なパリの家から郊外に引っ越すことになる。……ただし父親は、癌であまり長く生きられない自分の父親、つまり主人公の祖父には後ろめたくてそのことを切り出せない。週一度家に遊びにくる祖父に隠しとおすため、パリの家を買ってくれた夫婦と取り決めをして、水曜日の午後だけは遊びにくる祖父のために家を使わせてもらうことにする。パリにボーイフレンドがいることもあって、祖父の相手をしに主人公が水曜日だけは郊外からパリまでやってくることになる。それは祖父のことを思いやった優しいうそだったのだが、やがて祖父が亡くなったとき、彼もまた優しいうそをついていたことを知る。
主人公は郊外に行くことでいわゆる遠距離恋愛状態になるわけで、ボーイフレンドがいつか一緒にいた女の子のことを気に病んだりもするんだが、ボーイフレンドがまたいい子なのだ。静かに、優しく愛を育んでいく二人の関係がいいなあと思う。
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毎週水曜日の正午におじいちゃんがやってくる。
お父さんはおじいちゃんを愛しているけれど、それが重荷。家族はおじいちゃんに内緒で引越し、水曜日だけの嘘をつく。
互いが互いを想うからこそ、切なくて、悲しくなる。
大切だと言えるときに、会えるときに会わないと、必ず後悔する。
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「年をとるというのは、自分のまわりの空間が縮んでゆくのを見ていることなんだ」と、82歳のコンスタンは言う。「人生が小さくなってしまう時期」であり、「好奇心をなく」し、「自分のあれこれを節約して」生きることなのだと。
15歳のイザベルは、両親が大事なことを決める時には、自分が見えない存在になってしまったように感じている。まるで意見や意思などないかのように、決定事項を知らされるだけだと。
それは老人も同じ。時には、決まったことや本当のことさえ教えてもらえないこともある。ショックを与えまいという気遣いから・・・・・
1時間もあれば読み終わってしまうような作品ではあるが、読後、様々な思いが後を引く。
老いるということについて、両親の老いとどのように向き合うかということについて。相手を思えばこそ、という気持ちからつくことになった“うそ”について。
うそをついて、相手を思いやっていたつもりが、思いやられていたという立場の逆転を、表題と本文中の各章の鏡文字が表わしているのだろうか。
家族がついたうそによって、コンスタンが新たに友情を獲得できたことは、ささやかな慰めのように思えるけれど、生きた証として自分の人生の物語を本当に聞かせたかったのは、息子だっただろうに、その息子と共に生まれ故郷を訪ねたかっただろうに・・・と思うとせつなくなる。
息子にしても愛がなかったわけではない。愛していればこそ、そして常に身近で生きてきたればこそ、父の人生のすべてをわかったつもりでいた。
父の話は、どれも既に聞いたことがあるもので、老人のつまらぬ繰り言としか思えない。いつか、そのうち、父を連れて生まれ故郷に・・と思ってはいても、働き盛りの身には、人のために使えるいつか、は決してやってこない。自分が知らない父の人生のエピソードがまだまだあったことに気づいたときには、本人の口から聞かせてもらうことは叶わない。その時の慟哭。
いろいろ考えさせられることは多いのだが、そうできたにもかかわらず、生まれ出た小さな命を老いた手に抱かせてあげなかったこと、それはどう考えても取り返しのつかないことだったと思えてならない。
Mercredi Mensonge by Christian Grenier
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良い話だったが、ありきたりで先がなんとなく読める。
本があまり好きでない人には良いかも。すらすら読める。
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大好きな石井睦美さんが、ブックトークで紹介されたという本。
おじいちゃんのセリフが、胸にしみます。
「胸が痛むのは、そこだ。いいかい、イザ、苦しみの記憶は苦しみのまま残るとしても、幸せの記憶は、もはや幸せではないんだよ」 146p
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おじいちゃんが出てくる家族ものに弱いワタクシ(笑)
父親の仕事の都合で、住み慣れた町を離れることになったイザベル。
家族にとって気がかりなのは近くに住むおじいちゃんの事。
引っ越すことを告げないまま、おじいちゃんが来る水曜日の正午だけ、もといた家に戻ってくるイザベル一家。
彼女たちがついたやさしい嘘は、その後どんな思いを生み出したのか・・・。
うーん、父親にしてみたら「おじいちゃんの事を思って」ついた嘘なんだろうけど、これってホントのやさしさかなぁ?
自分の心に、おじいちゃんを置いていくやましさがあったんじゃないかしら?
本当の事を伝える勇気もなかった。
でもそんな父親に人間の弱さを見て、切なくなったりもした。
本当はやさしくしたかった。
愛していると伝えたかった。
そんな隠れた気持ちがわかるので、なおさら切ない。
読む人の年齢によって、登場人物の誰に感情移入するかが分かれると思います。
家族で読んで、「家族の愛情」について考えてほしい本。
「その人が、目の前にいるときこそ『大好きだ』って、ことばに出して言うのを、忘れちゃいけない」
イザベルのBF、ジョナタンの言葉が胸に刺さります。
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“だが、しばらく考えて、わたしはさらにきいてみた。
「それでも……赤ちゃんが生まれたら、おじいちゃんに見せなくちゃいけないよね?」
「この問題を考えるには、四月までまだたっぷり時間があるよ、イザ!」
あまりに行きあたりばったりで、わたしはあ然とした。パパは、袋小路に入ってしまったのを知りながら、一歩踏みだすごとに現れる障害物を、見まいとしている。
「じゃあ、いつおじいちゃんに言うつもり?」
「だからさ、まだわからないってば、イザ!」
おじいちゃんに知らせれば、五月からわたしたちは、赤ちゃんを連れてリヨンとパリを往復しなくてはならなくなるだろう。そんな綱わたりのような、複雑で危なっかしいことはできない。とするなら、なにも知らせず、赤ちゃんもいないことにしておくしかないわけだ。ママはもうドゥイユには来ず、現実には、赤ちゃんが生まれてくる。おじいちゃんは、自分がふたりの孫のおじいさんになることを、知らないままでいなくてはならないのだろうか?
「でも、ねえ、パパ」そのつづきを想像することができなくて、わたしは口ごもった。「こんなのぜんぶ、ばかげてる!」
「まあ、ようすを見よう」パパはそっけなく言った。「これからのできごとに応じて、考えていこう」”
相手を思いやっての嘘なのに苦い。
まだ一人前として扱われない、お荷物扱いの年頃なイザの心情がよくわかる。
“「うむ、そこのところもまた、年をとることの奇妙さのように、わしには感じられる。なにしろわしの頭のなかでは、わしはずっと変わっておらんのだから」
「ずっと変わっていない?どういうこと?」
おじいちゃんは少し考えて、言った。
「これまでたどってきたすべての年齢のわしが、わしのなかにいるんだよ、イザ。十五歳のわし、三十歳のわし、五十歳のわし。そうしたひとりひとりすべてが合わさったものなんだ、わしという人間は。ところが、今生き残っているのは、衰えたわしひとりでしかない。わかるか?」
よくわかる。おじいちゃんは、勢いづいた。
「人生というのは、山のようなものだ。若いときには、頂上が見えない。頂上はずっと遠くにあって、たどり着けないほど先に思える。死というものも、まだ存在していないも同然だ。時おり、ふと隣り合うようなことがあっても、まだ抽象的な観念、現実的ではない考えにすぎない。ところが、あるとき突然、人は自分が頂上を過ぎてしまったことを知る」
「頂上?」
「ああ。ある日、人は、自分が下降しはじめたことに気がつく。下り斜面にいることに。頂上に気づくのは、そこを過ぎてしまってから、人生のもう一方の側に行ってしまってからなんだ」”
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フランスの洒落た短編映画のようだった。皆が少しずつ嘘をつく。相手を思いやって。底に流れているのは、愛と希望であった。
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予想どおりの展開に目頭が熱くなっていまいます。でも、家族の情ってやはり普遍的なものなんだと温かくなり、出会えて良かったです!
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主人公のイザベルが15歳にしてはやけに子供っぽい翻訳だ。
わたしもお年寄りとの会話が大好きなので、気もちがわかった。
父親さいあく。
モーツァルトはわたしも好き。
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2012/4/16
953||グ (3階文学)
水曜日の正午になると近くに住む祖父が家を訪ねてくる。いつも相手をするのは孫娘。でも、お父さんの仕事の関係で、孫娘一家はよその土地に引っ越すことになった。高齢のおじいちゃんを連れていくことはできない。引っ越しを知られないように、水曜日だけは元通りの生活を続けることにするのだが・・・。
相手を思っての嘘。その嘘がまた嘘を重ねることになる。地味だけれど、読んだ後には暖かい気持ちになれるお薦め本です。