紙の本
新自由主義の認識を刷新する著作
2007/03/15 14:07
22人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さすらいのペシミスト - この投稿者のレビュー一覧を見る
「新自由主義」という言葉は、1980年代半ば以降、日本でも非常によく用いられるようになった。一般のイメージでは、市場原理主義、市場自由主義、規制緩和、民営化、「小さな政府」の追求、といったものだろう。
そうしたイメージはもちろん間違ってはいない。しかし、こうしたもろもろの概念は、基本的に「市場か国家か」という枠組みの中に位置している。しかし、著者のハーヴェイは、新自由主義の核心は、戦後の「埋め込まれた自由主義」と「ケインズ主義的妥協」によって抑制された資本とエリートの階級権力を、市場化や金融化などの思い切った手段によって回復して、資本蓄積危機を労働者や社会的下層の犠牲にもとに克服することにあるとみなす。
「階級権力の回復」に役立つならば、新自由主義の理論はしばしば無視されて、強力な国家介入が要請される。とくに、権力回復プロジェクトとして重要な役割を果たすのが、ハーヴェイの規定する「略奪による蓄積」である。1、私有化と商品化、2、金融化、3、危機管理とその操作、4、国家による再分配、がその主たる側面である。
もちろん、階級権力回復のプロジェクトとしての新自由主義という観点は、サッチャー主義を支配層の側のヘゲモニー再構築戦略とみなしたギャンブルの『自由経済と強い国家』以来、注目されてきたことであり、ハーヴェイも依拠しているフランスのマルクス経済学者レヴィとデュメニルにもそうした観点が見られるが、しかし、それでも今日、しばしば忘却されている。
本書は、そうした観点を議論の中心に据え、それをいっそう広い歴史的および地理的文脈で捉えなおし、その歴史的・地理的な不均等発展の過程を丁寧に分析している。同時に、新自由主義論ではたいていネグレクトされている中国の新自由主義化についても1章を割いて論じている点が、類書にない特徴である。
新自由主義の問題を社会科学的に論じる場合、本書の主張をしっかり踏まえることなしには、視点がぶれることなく正確な議論をすることはできないだろう。
なお、付録として、日本における新自由主義化について詳細に論じた渡辺治氏の長大な論文が収録されている。
翻訳は丁寧かつ正確で、読みやすい。独自に編集された事項索引もきわめて詳細で、便利である。
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新自由主義カルトから脱会するために
2007/05/05 13:51
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:植田那美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新自由主義−ネオリベラリズム−とは、市場での自由競争によって個人や企業、社会、国家、さらには世界全体の富と福利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論である。本書は、市場原理主義とも言えるこの「特殊な教義」が、どのように発生し、あたかもそれが常識あるいは唯一の選択肢であるかのように世界中で受け入れられていったのかということを、1970年代以降の政治経済史を読み解きながら明らかにしてくれる。
著者の結論から言えば、新自由主義とは「支配階級の権力回復という(成功した)プロジェクトを偽装するための(失敗した)空想的レトリック」である。新自由主義は、あまりに日常的な価値判断に組み込まれているために、私たち自身がそうと認識できなくなっているカルトのようなものかもしれない。お金にまつわる様々なことを個人の能力と結びつけて、社会的経済的な不公平を「自己責任」の名のもとに許してしまうこと。職場で不当な扱いを受けても自分が我慢をすればよいのだと不条理に適応してしまうこと。…新自由主義は、経済成長ではなく格差の拡大を真の目的としたプロジェクトであり、私たちのそうした思考は新自由主義によって誘導され、そのことによって新自由主義が正当化される回路も完成する。
では、その回路を断ち切るために、私たちには何ができるだろうか。著者は、実践と分析をフィードバックさせる対抗運動を展開することで、新自由主義に代わって新保守主義が台頭してくる流れを止め、それらとまったく異なった価値体系、すなわち社会的平等の実現に献身する「開かれた民主主義」を選び直すことができると主張する。日本でも小泉政権の「構造改革」によって非正規雇用者が急増し、多くの人の不安を餌場にする形で「愛国心」を掲げる安倍政権が登場した。
「美しい国」?ホワイトカラーエグゼンプション?…そろそろやられっぱなしは終わりにしませんか?
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著者の義憤を強く感じる
2020/12/17 23:28
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤兵衛 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新自由主義が全世界を覆う昨今、ちっとも彼らが言うようには我々の暮らしはよくなってないではないか。まだ改革が足りないのか? まだ痛みに耐え続けなければいけないのか? そう思って本書を読むと、なるほど貧しい者の富を富めるものが奪うための構造なのかと納得した。そして、新自由主義に対する著者の義憤をヒシヒシと感じた。
この本が書かれた時期に中国を新自由主義の一陣と見ていたのはこの本のすごいところだと思う。一方で、サッチャーの時代にイギリスが直面していた問題に、本当はどう取り組むのが正しかったのか、著者の意見を聞いてみたい。
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ネオリベラリズムの潮流、および実態について。
非常にボリュームがあり、耳慣れない言葉は少ないが、体系的に理解するのは難しい。つまるところ、ネオリベラリズムは、上流資産階級の復権運動ということか?
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自由主義は国家の臨時介入を排除するという考えから始まった。「〜をしなければならない」ではなくて「〜をしてはならない」という国家の姿勢が大事だということ。さて小泉さんは郵政民営化を果たした。これは新自由主義的だ。でも最近新東京銀行が大赤字で、東京都が追加出資を行った。理由は、新東京銀行が倒産するとそれを利用している一般ピープルが大損をこくから、そんな被害者保護的なものだろう、多分。自由といいながらも政府がちゃっかり介入しちゃってる。
自由というスローガンの下でやりたい放題にやっておいて、いざ損を被るりそうになると一転、弱者のお面をかぶって助けを請う。これはどうもおかしい。
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新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。
国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。
たとえば国家は、通過の品質と信頼性を守らなければならない。
また国家は、私的所有権を保護し、市場の適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。
さらに市場が存在しない場合には(たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを創出しなければならない――必要とあらば国家の行為によってでも。
だが国家はこうした任務以上のことをしてはならない。
市場への国家の介入は、いったん市場が創り出されれば、最低限に保たなければならない。
なぜなら、この理論によれば、国家は市場の送るシグナル(価格)を事前に予測しうるほどの情報を得ることはできないからであり、また強力な利益集団が、とりわけ民主主義のもとでは、自分たちの利益のために国家介入を歪め偏向させるのは避けられないからである。
そのような新自由主義国家が、どのように同意形成してきたのか、アメリカ、イギリスでの過去の経緯を分析している。
そして、メキシコ、アルゼンチン、韓国、スウェーデンなのにおける地理的不均衡発展について言及し、中国的特色のある新自由主義にも触れている。
結論に向け、審判を受ける新自由主義を述べたのち、自由の展望としてルーズベルトが示した議論を出発点とし、国家機構に対する民衆のコントロールを再獲得し、それによって市場の権力という巨大なジャガーノートのもとにある民主主義的な実践と価値観を――空洞化するのではなく――より深く推進するための同盟が、アメリカ内部で構築されなければならない。
新自由主義が説く自由よりはるかに崇高な自由の展望は存在する。
新保守主義のもとで可能となるよりはるかに有意義な統治システムは存在する。
われわれはそうした自由を獲得し、そうした統治システムを構築するべきなのだ。
と締めくくられている。
実行可能なオルターナティブ、現実的な可能性を特定することにつながる政治プロセスを創り上げて行くのは民衆一人ひとりの不断の努力が求められているのである。
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新自由主義に批判的な立場から、現在の政治情勢を問う著。
一見するとマルクシズム的陰謀論に見えるが、その中で、新自由主義の重要な側面を指摘している。すなわち、新自由主義は階層上位、企業経営者(本書では支配階級とされている)が自らの利益を回復・増大させるための格好の理論づけとなっているという点である。
この指摘が非常に興味深い一方、現在の新自由主義的な政治展開が問題である、と指摘するための論拠が、格差が拡大している・貧困層が増加していると言うものであり、それ自体には頷けるものの、「新自由主義的政治展開」と「格差の拡大・貧困層の増加」のつながりの説明がほとんどなかったのが残念。
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新自由主義を「支配階級の権力の回復あるいは創設」のための試みとして捉えている。金融資本の問題性など本書の指摘に肯定する部分もあるものの、「階級」という切り口での分析は個人的にどうしてもなじめなかった。支配階級といっても、新自由主義のもとでの上層レベルの人々はある程度流動的なものであり(ホリエモンしかり)、それを階級と意義づけることに疑問がある。また、労働者階級や福祉国家を完全に善なものという前提での語り口にも違和感を覚えた。ただ、全体として、新自由主義を包括的に分析した書物として意義のある本だとは思う。
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〈新自由主義の結果、貧富の差の拡大という弊害が現れた〉ではなく、〈金持ちたちが貧富の差を拡大するために新自由主義を断行した〉というストーリー。
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1947年にハイエクの周囲でモンペルラン協会が組織され、 フリードマン、ミーゼズ、ポパーらが集い新自由主義の理論化が始まった。
彼らは自由市場原理主義を標榜し、国家の市場への介入を最低限にしなければならないと考えた。そこでは個人の自由は市場と商取引の自由により保証される。
その思想は階級の再編成のために援用されるようになる。金を持つものが、更に多く持てるようなシステムを作る為にである。そのために、公的資産の民営化、社会保証の縮小、自由貿易の促進のための規制緩和といった政策が行われる。完全雇用や社会的保護に重点を置く従来型のケインズ型の福祉国家の解体である。
アメリカの経済界は「政治活動委員会pacs」を形成し、共和、民主両政党に制限なしに献金出来ることで政治に強大な影響力を持ち、彼らに優位な政策を作り出している。
1970年代に金融界の策略により、チリ、そしてニューヨークにおいて最初の新自由主義政策が行われた。チリでは軍事クーデターにより、ニューヨークでは倒産に追い込むことで、既存の組織を解体し、そこで金融界に優遇的な政策を再編成するように要求する。その後も、このような方法をモデルケースとしてアメリカとIMFなどの機関により様々な国家において新自由主義体制への変更が遂行された。
IMFは外貨の不足した国を対象に緊急融資を行うが、その条件として民営化、規制緩和を強要する。そうして多国籍企業が新たな市場を得ることができ、より安価な労働力を得ることが可能となる。IMFの目的と機能は世界の主要金融機関を国の債務不履行の危険性から守ることである。つまり投資へのリスクを投資家が軽減できる仕組みとなっている。 国民を犠牲にさせてでも債務返済をさせようと国家に介入するのだ。
新自由主義体制は財政の危機の局面を利用して、または作り出し、その対策として採用される。レーガンもサッチャーも小泉もそうだった。危機において財政支出を緊縮し、制度を効率的な仕組みに改革する。
、国家介入を否定する新自由主義だが、良好な市場環境を作り出す為に、国家介入が極端なかたちで採られることが多くある。民主主義を否定するようなかたちで、金融システムの保全や金融機関への支払いを住民の福祉や環境の質より優先させる。 多数決よりも、司法、行政が好まれる。
個人単位での影響として、企業に優位なフレキシブルな雇用形態に変わることで雇用不安が生まれる、福祉、社会保証が縮小される。また社会的連帯の絆が解体されるため、宗教、ナショナリズムの勃興が現れるようになる、様々な局面で、自己責任というタームが自由と一緒に使われる。
新自由主義の本質は富と権力の集中だけであり、 その目標であった資本の蓄積という面においては完全に失敗している。
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マルキストの本て、実証的なデータなどがほとんどなくて、文章ばっかりで、説得力がない。
でも、ウォーラーステインの文章よりはいいと思った。
表紙に、小泉の写真があるのは、おかしいよね。ハーヴェイは、完全な日本パッシングで、中国にはかなり触れているけど、日本にはほとんど触れていない。
日本の政治なんて、国際的には影響力ゼロなんだから。アメリカ合衆国の属国みたいなものだし。
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新自由主義とは
⇒強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する
と主張する政治経済的実践の理論である
・市場取引の範囲と頻度を最大化することで社会財は最大化されるという考え方
・グローバル市場においての決定の指針たるデータベース
→ITに対する興味関心増大
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現今、日本や世界の問題を語るうえで「新自由主義」の概念を抜かすことはできない。そして新自由主義をめぐる議論で、頻繁に引用・参照されるのが本書である。あまり軽々しく使うべき言葉ではないが、この問題を論じるうえでの「必読書」だと言っていいだろう(原著は2005年刊)。
本書は見た目には結構ボリュームがありそうだが、ハーヴェイによる本文は全体の4分の3ぐらいで、300ページに満たない。残りは渡辺治による付録論文、訳者あとがき、用語解説、参考文献、索引である。特に渡辺による付録論文「日本の自由主義」が重要である。新自由主義の「地理的不均等発展」に着目するハーヴェイは、米英はもちろんチリや中国の事例の検討にも紙数を費やしているが、惜しいかな、日本への言及は限定的だ。渡辺論文はその点をしっかり補足してくれる。
本書は読み通すのに深い専門知識などは要さない。訳文は十分整っているし、訳注も豊富だ。広く読まれるべき一冊だと思う。
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1960年代後半からどの先進諸国においても急速に経済成長に陰りが見え始め、もはや隠せなくなった。その打開策として、改革が盛んに叫ばれ始める。資本家側は、言葉巧みに、改革こそ行き詰った社会における唯一の打開策であり、バラ色の未来を約束するものであると、言葉巧みに政府をそそのかして、手始めにイギリスそしてアメリカから攻勢をかけ始めた。そして、民衆を騙しその同意を得るために、新自由主義こそが成長をもたらし、トリクルダウンを通じて隅々まで国民を豊かにするのだと盛んに吹聴する。しかし、これは詐欺の言説に過ぎなかったことが今や明らかになっている。資本家階級は、広く国民が豊かになることなぞこれっぽっちも望んでいない。彼らの関心はひとえに階級権力の回復にのみ向けられている。戦後約20年間においてじわじわと削られてきた彼ら資本家階級の資本蓄積を取り戻そうと、終戦間際からすでに彼らの画策は秘密裏に始動されていた。現代の社会は、ひとえに、彼らの飽くなき強欲の権力奪回闘争の結果に他ならないのである。
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出版社(作品社)のページ
https://sakuhinsha.com/politics/21066.html
「編集室から BOOK『新自由主義 その歴史的展開と現在』デヴィッド・ハーヴェイ著 渡辺治監訳」(「MARR」2007年8月号)
https://www.marr.jp/marr/marr200708/entry/1004