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先日、佐高 信の『西郷隆盛伝説』を読んだ。
全国に南州神社は、四つある。
一つは、地元の鹿児島
二つは、流刑の地・沖永良部島
三つは、西南戦争の都城
四つは、山形県の酒田市にある。
三つ目までは、そこにある理由は、理解出来る。
明治維新時薩長の勢力と東北地方の『奥羽越列藩同盟』の対立の激しさ(特に、会津藩と庄内藩)の中で、東北の酒田に南州神社がある意味を説いている。
この宥和と対立が、明治時代にも長く尾を引いた。
新政権樹立の為の両派の攻防・情報戦の中で《相楽総三の壮絶な謎の死》に強く興味を引かれた。
革命時に起こる事件の冷酷さと非情さ
『海に出て 木枯らし 帰るところなし』(山口誓子)
この句は、木枯らしに託して、ある種の「敗残・滅びの途の他なし」
と自らの運命を甘受する決意を表している。
明治維新時の、河井継之助や相楽総三の心境は、まさにこの決意の表れであろう。
また、西南戦争の西郷隆盛の心境もそうであっただろう。
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西南戦争で戦死した若者のなかに庄内、酒田出身者がいる。ということから話は始まる。
西郷の人となりを作者なりに資料、先行作品から切り貼りして構成した本。
しかし、ここが肝と言いながら井上清氏の「西郷は侵略論者」と言う説にに触れないのはいかがなものか。
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敗者から見た明治維新。英雄たち主体の成功した革命として明治維新を見るべきでないのがよく分かった。
血で血を洗う戦争の恨みがいかに地に染みつき残るか。自分には分からない感覚である。だがそれも歴史の闇に葬られる。
赤報隊や庄内藩のことから西郷とは単純な豪傑ではないと分かる。矛盾もあるが、大人物であるというのは真実に思えた。