- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
高い評価の役に立ったレビュー
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/01/13 04:40
「想像力」の彼岸に向けられる「想像力」
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、桐野が新潟の幼児監禁事件にインスパイアされて書いた小説である。
この小説を一読して思ったのは、なにかを想像している自分というのは、いかなる存在なのかということを桐野自身が顧みながら描いた小説ではないかということである。
桐野が新潟の事件からインスピレーションを受けて描くのは、誰もが想像する加害者に対する被害者の強烈な憎しみではない。
桐野が彼らの間に見たものは、憎しみと真逆の関係性である。
桐野の小説では、監禁した犯人と監禁された少女との奇妙な精神的結びつき、正確にいえば、イマジネールな領域における性的な結びつきが描かれている。
この小説において、監禁された少女は小説家となり、自らの体験を小説にする。正しくは、自らの体験を小説にすることで小説家となった。
この小説の妙は、主人公が小説家であり、小説家として過去の事実を語るということころにある。
主人公は過去の事件の真実をありのままに描いているというように読者は読み進めるのだが、最後に、実はそれがフィクションかもしれないということが明らかとなる。
桐野はフィクションのなかでもう一つフィクションを重ねるのである。
そうすることで桐野は、現実はフィクションの一つにすぎないとか、現実はフィクションによって構築されるものだといった陳腐な社会学的テーゼを繰り返しているのではない。
桐野は、フィクションを多層化させ、想像を加速させることで、そうした社会学的思考や「現実は小説より奇なり」という平凡なリアリズムを徹底的に破壊するのである。
想像に想像を幾重にも積み重ね、その境界においてわれわれが発見するのは、人間の深層の捉えどころのなさなのである。
この小説の凄味は、想像のリミットにおいて浮かび上がる、人間の不気味さの「リアリティ」である。
想像力を削ぎ落とした徹底した「リアリティ」と、想像を追求したうえでの「リアリティ」、どちらがより現実性を感じることができるか。
この小説は、こうした問いを立てているようにも思える。
しかしこの問いは、後者においてすでにイマジネーションが介在している点において、比較ということにおいて無意味だ。
問題はそうではない。
「欲しいのは真実じゃないんですよ」…「真実に迫ろうとする想像です。想像の材料、そういうものが欲しいんだよ…」
問題なのは、「想像」そのものなのである。
結局、この小説全体において示されているのは、「想像に魂を奪われた」ことの意味であり、なにかをきっかけとして駆動される想像への偏愛なのである。
われわれは想像力によって現実から守られ、救済される。そして想像力のなかで、われわれは現実から離脱することができ、想像の中でどこへでも行けるのである。われわれは想像の中で自由になれるのである。
しかし、想像する主体である自分は、他者によって想像される対象でもある。想像する主体は、他者の想像の中で、弄ばれ、凌辱される存在でもある。そして、 そのような他者の想像をみずから想像することもできる存在なのであり、そうした自らの想像によって苦しみを受ける錯綜した存在でもあるのだ。
つまり、われわれは想像の中で自由となり、想像の中で拘束されてしまうのである。
桐野は、このようなわれわれと想像の複雑かつ宿命的な関係を、フィクション(想像)によって描くという自己言及的作業において、指し示しているのである。
桐野は、想像と不可分な存在とはいかなる存在なのかということを問うと同時に、その問いの答えを追求することによって想像力の限界を強引に押し開いていくのである。
こうした知的力技によって紡ぎだされた卓抜なフィクションは、想像力の彼岸にある「なにか」へと向けられるわれわれの想像力に火をつける着火装置(スターター)なのである。
低い評価の役に立ったレビュー
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2021/03/09 21:48
物語??
投稿者:chieeee - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公が事の成り行きを全て理解していないからこそ、読者にも謎が多い終わり方。コレもグロテスクに続き、実話のフィクション化。確かに1年も監禁されていると、被害者とは分かってるし、可哀想とも思われるけど、それ以上に興味の目の方が苦しい気がする。そっとしておいてほしいのに、そうはさせてくれない。子供の目の前で怒る母親の気持ちはすごく分かる。でもこのシーンをニュースとかで見ると、目の当たりにする母親は奇異な人に見えると思う。人間の好奇心は恐ろしい。そして桐野さんの想像力も恐ろしい。
紙の本
「想像力」の彼岸に向けられる「想像力」
2009/01/13 04:40
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、桐野が新潟の幼児監禁事件にインスパイアされて書いた小説である。
この小説を一読して思ったのは、なにかを想像している自分というのは、いかなる存在なのかということを桐野自身が顧みながら描いた小説ではないかということである。
桐野が新潟の事件からインスピレーションを受けて描くのは、誰もが想像する加害者に対する被害者の強烈な憎しみではない。
桐野が彼らの間に見たものは、憎しみと真逆の関係性である。
桐野の小説では、監禁した犯人と監禁された少女との奇妙な精神的結びつき、正確にいえば、イマジネールな領域における性的な結びつきが描かれている。
この小説において、監禁された少女は小説家となり、自らの体験を小説にする。正しくは、自らの体験を小説にすることで小説家となった。
この小説の妙は、主人公が小説家であり、小説家として過去の事実を語るということころにある。
主人公は過去の事件の真実をありのままに描いているというように読者は読み進めるのだが、最後に、実はそれがフィクションかもしれないということが明らかとなる。
桐野はフィクションのなかでもう一つフィクションを重ねるのである。
そうすることで桐野は、現実はフィクションの一つにすぎないとか、現実はフィクションによって構築されるものだといった陳腐な社会学的テーゼを繰り返しているのではない。
桐野は、フィクションを多層化させ、想像を加速させることで、そうした社会学的思考や「現実は小説より奇なり」という平凡なリアリズムを徹底的に破壊するのである。
想像に想像を幾重にも積み重ね、その境界においてわれわれが発見するのは、人間の深層の捉えどころのなさなのである。
この小説の凄味は、想像のリミットにおいて浮かび上がる、人間の不気味さの「リアリティ」である。
想像力を削ぎ落とした徹底した「リアリティ」と、想像を追求したうえでの「リアリティ」、どちらがより現実性を感じることができるか。
この小説は、こうした問いを立てているようにも思える。
しかしこの問いは、後者においてすでにイマジネーションが介在している点において、比較ということにおいて無意味だ。
問題はそうではない。
「欲しいのは真実じゃないんですよ」…「真実に迫ろうとする想像です。想像の材料、そういうものが欲しいんだよ…」
問題なのは、「想像」そのものなのである。
結局、この小説全体において示されているのは、「想像に魂を奪われた」ことの意味であり、なにかをきっかけとして駆動される想像への偏愛なのである。
われわれは想像力によって現実から守られ、救済される。そして想像力のなかで、われわれは現実から離脱することができ、想像の中でどこへでも行けるのである。われわれは想像の中で自由になれるのである。
しかし、想像する主体である自分は、他者によって想像される対象でもある。想像する主体は、他者の想像の中で、弄ばれ、凌辱される存在でもある。そして、 そのような他者の想像をみずから想像することもできる存在なのであり、そうした自らの想像によって苦しみを受ける錯綜した存在でもあるのだ。
つまり、われわれは想像の中で自由となり、想像の中で拘束されてしまうのである。
桐野は、このようなわれわれと想像の複雑かつ宿命的な関係を、フィクション(想像)によって描くという自己言及的作業において、指し示しているのである。
桐野は、想像と不可分な存在とはいかなる存在なのかということを問うと同時に、その問いの答えを追求することによって想像力の限界を強引に押し開いていくのである。
こうした知的力技によって紡ぎだされた卓抜なフィクションは、想像力の彼岸にある「なにか」へと向けられるわれわれの想像力に火をつける着火装置(スターター)なのである。
紙の本
意味不明、最悪
2023/10/14 20:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あや - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を買った自分を許せないレベル。
最後の最後まで謎残したまま、
何も解決しないまま終わる。
どんなジャンルの本なんだ?
無駄金でした。
星マイナス5くらいにしたい。
紙の本
物語??
2021/03/09 21:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:chieeee - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公が事の成り行きを全て理解していないからこそ、読者にも謎が多い終わり方。コレもグロテスクに続き、実話のフィクション化。確かに1年も監禁されていると、被害者とは分かってるし、可哀想とも思われるけど、それ以上に興味の目の方が苦しい気がする。そっとしておいてほしいのに、そうはさせてくれない。子供の目の前で怒る母親の気持ちはすごく分かる。でもこのシーンをニュースとかで見ると、目の当たりにする母親は奇異な人に見えると思う。人間の好奇心は恐ろしい。そして桐野さんの想像力も恐ろしい。