紙の本
冒険譚でありながら人間の存在の根底を問い、生と性と聖を真摯に探求する哲学の書
2009/05/13 08:49
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投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
デフォーの1719年「ロビンソン・クルーソー」は後続の1726年の「ガリヴァ旅行記」に大きな影響を与えた18世紀の冒険物語ですが、この有名な海洋漂流譚を今度は1967年になってフランスの作家ミシェル・トゥルニエが換骨奪胎してまったく新しい物語、冒険譚でありながら人間の存在の根底を問い、生と性と聖を真摯に探求する哲学の書として書き直しました。それが本書です。
同じ空想海洋小説には違いないのですが、読比べると原作の「ロビンソン・クルーソー」とはずいぶん違います。「ロビンソン・クルーソー」ではあくまで主人公はロビンソン・クルーソーですが、この本では途中から脇役のフライデーがその野性的な魅力を十二分に発揮して、むしろ主人公を食ってしまう。
とりわけ無人島エスペランザに棲息する凶暴な野生の山羊の王様と死に物狂いで戦って勝利をおさめ、その皮を剥いで大凧にして何庸の南洋の青空に飛ばしたり、妙なる音楽を奏でる楽器に変身させてしまうあたりでは物語の比重が主客転倒して、このインディオと黒人の混血の土俗的な存在感は、灼熱の太陽の直下で異様な光彩を放ちます。
それから原作ではロビンソンもフライデーも無事に本国へ帰国するのですが、この小説ではせっかく28年と2カ月と19日ぶりに救助船に発見されたというのに、ロビンソンはこの船でいじめられていた少年ともども無人島にとんぼ返りをしてしまうのです。
いっぽうフライデーはというと、主人のロビンソンを裏切って帰国する船に戻ってしまう。英国に戻ってもフランス革命目前の母国では無人島で自由に生きるエスペランザ(希望)などあり得ないと考えたロビンソンは、無人島に戻って少年の名をフアイデーならぬサーズディ(木曜日)と名付けたところで物語は終わります。
「ロビンソンはほとんど苦しいばかりの歓喜に満ちて太陽の恍惚と向かい合っていた。彼を押し包む光が前日と前夜の致命的な汚れを彼から洗い落としていた。焔の剣が彼の身内に入って、彼の全存在をつらぬいていた。」
ミシェル・トゥルニエの筆は、冒頭の難破からエスペランザ島への漂着、無人島の自然描写や野蛮人の侵入、開拓者ロビンソンの生活や人生観の移り変わりなどどこをとっても細部が比類なく充実しており、きわめて繊細で知的なもので、まるで突然私たちがロビンソンと同じようにエスペランザの大自然の真っただ中に投げ出されたような、おそろしく孤独で、それでいて自由な気持ちをありありと体感させてくれます。
♪ミスター・ロビンソンあなたもフライデーなしには生きられなかった 茫洋
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黄金探索者
2021/04/28 17:58
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投稿者:123456 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アレクシは、現在を生きることができない。どの瞬間においても心の底には常に過去があり、その過去を最大限に美しくすることこそが、彼の生きる原動力になっている。彼は、過去を眺めながら現在を生きる。そういうふうにしか生きられない。
過去に起きた数々のできごと、失われてしまった様々のことが、彼を過去に縛り付ける。幼き日のマナナヴァの記憶、ハリケーンで倒された家の記憶、家族やウーマとの記憶。
それらを素晴らしく完璧な記憶に変えるために、彼は現在を生きている。宝探しや航海ですら、実はそのための方便でしかない。
もし本当に黄金が見つかったとしても、家さえ取り返してしまえば、彼は残った黄金を換金することすら、ためらったのではないだろうか。探し当てたその黄金は、過去を完璧に補ってしまえる最高の道具になったはずだ。宝探しや航海自体にこだわる理由など、アレクシには少しもなかったのだ。
一方で、どんなふうに生きるにせよ、時間は確かに過ぎていく。一つとして変わらぬものなどない。戦争から帰ってきて始めて、アレクシもそのことに気づく。船上や峡谷で眺め続けた風景がどれだけ同じものであり続けたとしても、時が止まることなどない。
皮肉なのは、自分自身もまた変化しているということに、本人が気づいていないことだ。気がつけば、アレクシもまた、海にタバコを捨て小便をたれる、立派な船乗りになっているというのに。
アレクシには、すでに放浪の理由もない。
どこに行くのだろうか。未来に向かうことは、できるだろうか。
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そういえば知らない
2019/02/20 09:35
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロビンソン・クルーソー・・・名前だけは知っているけど内容は・・・
いや、子供の頃に一度は読んでいるはずだけど、覚えていない。
そんなロビンソン縛り(?)の2作。どちらも冒険譚の色が強いです。
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[ 内容 ]
『フライデーあるいは太平洋の冥界』―南海の孤島で遭難したロビンソンは、島を開拓し、食料の備蓄に努めるが、野生人フライデーの登場によってその秩序は一瞬のうちに崩壊する。
文明と野蛮を双子のように描いた哲学小説。
『黄金探索者』―失われた楽園を取り戻すため、父の遺した海賊の地図と暗号文を手がかりに、ぼくは終わりなき財宝探索の旅に出る。
2008年ノーベル文学賞受賞作家による、魅惑に満ちた自伝的小説。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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これはもう、池澤夏樹さんのブックレヴューが最高なんですよ。もう夏樹さん、ロビンソンクルーソー大好きなんだなって感じが文面から伝わってきます。ご本人も島ネタで『南の島のティオ』書いてますし。
ロビンソンという設定を前提に、人間とはいかなる存在か?という問題に対して、時代ごとにウェーバー、『不思議な島のフローネ』、『十五少年漂流記』、『蠅の王』...
この池澤夏樹監修世界文学全集のシリーズは、全体的に異世界への旅と言うか、もう旅がしたいぜっ!未だ見知らぬあなたに会いたいぜっ!と言う気概に満ち満ちた素晴らしいシリーズだと思います。
第一集の第一巻が『On The Road』だったのがまず最高すぎます。
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<フライデーあるいは太平洋の冥界>
フライデーというのは「ロビンソン・クルーソー」に登場する黒人の名前。この作品はまさに「ロビンソン・クルーソー」のリメイクであって、原作と同様にロビンソンが遭難するところから始まる。
原作におけるロビンソンは、産業人としての特質を存分に発揮し、計画し、実行し、結果を評価し、そして行動を修正する。つまりPDCAを回すことにより、無人島という環境を改良し文明を導入していく。いわば、近代的な理性を代表する人物である。一方のフライデーは、野蛮で教養のない人種であり、理性(と神の教え)により教化されるべき対象である。
本作においても、ロビンソンはやはり近代的理性の人である。原作同様に、技術によって島を産業化していくが、それにとどまらない。彼は島に法と規範、倫理を導入し、構成員一人の社会を島に作り出す。さらには紙と筆とで思弁的な思索を展開する。ロビンソンは、原作の産業人としての特質に加え、政治家として思想家としての特質を獲得する。まさに賞賛すべき近代的理性を体現する。
ところが、そうした近代的理性はより構築された秩序はフライデーという存在の登場により瓦解する。フライデーは原作のように容易に教化される従順な存在ではない。ロビンソンがここまで作り上げた秩序に服すことはなく、逆に秩序を次々に破壊してゆく。フライデーはどこまでも近代的理性からは自由な存在として描かれる。
ここに至って、描かれたのは原作のように近代的理性の高らかな勝利とは真逆の、近代的理性への懐疑であることが明らかになる。そして、その事実が開示されることにより、近代的理性がある限定された状況下において限定された効力しか持たないひとつの相対的な世界観に過ぎないことが示される。ここに、トゥルニエが改めて「ロビンソン・クルーソー」を書き直した意味がある。この近代的理性への懐疑が明らかになったことこそ、デフォーが「ロビンソン・クルーソー」を描いた18世紀と、20世紀あるいは21世紀の現代との決定的な違いと言える。
そんな近代的理性に疑問符がつきつけられた現代なわけだが、21世紀に入った今でもそうした認識が広く認識されているとは言い難い。近代的理性はいまだ絶対的な価値観として君臨するし、多くの人々は近代的理性に何の疑問を持つことはない。平和主義もヒューマニズムも人権主義も、その根底は近代的理性への信頼によって成り立っている。あるいは自然を礼賛する姿勢ですら理性への信頼の裏返しとも言える。
しかし、そうした現代的な視点が立脚するその基底自体の脆さを、本作は浮き彫りにする。トゥルニエが本作を書いたのは40年以上前ではあるが、それが語るところはは色褪せないどころかますます重要性を増している。
<黄金探索者>
ル・クレジオの黄金探索者を1年ぶりに再読。やはりいい。これほど切ない冒険小説はない。
失われた少年時代の幸せな時間を取り戻すため、海賊の財宝という夢がいかに荒唐無稽で望みのない挑戦だとしても、愛する2人の女性と別離しても、それでも進まずにはいられない男の姿。それは全く生産的ではないし、他に��くらでも道はあった。しかし、それは男にとってただ一つの希望であり、希望を希望として繋ぎ止めるため、彼はそうせざるを得ない。その暗い情熱と激しい焦燥とが痛々しいほどに描き出されるが、それがモーリシャスの雄大な自然の描写とからみあい、なにものにもかえ難く美しい。
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本書は、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を下敷きにして書かれている。デフォーが「ロビンソン」を書いたのは18世紀、そしてトゥルニエが「フライデー」を書いたのは20世紀だ。かつては無邪気に信じられていた「進歩と文明」の価値転倒を狙った思想小説。
http://critique.hatenablog.com/entry/2015/05/10/194511
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危機的状況に見舞われているというのに、マスコミは知らぬ顔を決め込んで、退屈な日常の風景を飽きもせず垂れ流している。大衆は大衆で、よせばいいのに狭い日本の中を右往左往、旅に出ては感染者を増やしている。他でもない、鳥や魚が人を恐れることなく近寄ってくる珊瑚礁の楽園をネズミだらけにしたのは人間だ。
大帆船を造り、遠洋を航海するようになった人間は、水や食料を求めて航路に点在する珊瑚礁の島々に上陸した。その機会をとらえ、船倉に巣食っていたネズミが上陸し、天敵の猫のいない島で大量に繁殖したのだ。たとえ本人にその気はなかったにしても、人の移動は、それまで無垢であった場所に、災禍を持ち込まずにはおかない。
そんな話をこの本で知った。『フライデーあるいは太平洋の冥界 トゥルニエ/黄金探索者 ル・クレジオ』だ。何かと息苦しい世の中だ。自分のまわりにいる人々から逃れ、南の果ての島にでも行ってみたい。そんなことを考えている人にはうってつけの一冊。トゥルニエの『フライデー』(長いので以下略)は題名からも分かるように、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』をリライトしたもので、表題になっているのがクルーソーでなく、フライデーになっているところがミソ。
もともと、アレキサンダー・セルカークという航海長が航海の途中、船長と諍いを起こし、チリ沖合いに浮かぶ、サン・フェルナンデス諸島の孤島に置き去りにされる。救出後、新聞がそれを記事にした。デフォーが、それをヒントに本当は長いタイトルを持つ『ロビンソン・クルーソー』という小説を書く。続編も書かれた。家族での漂流を描いた『スイスの家族ロビンソン』という児童文学もある。誰もが二次創作をしたくなる題材なのだ。
初めロビンソンは、無人島で生きることに混乱し、退行現象を起こして泥の中に浸ってみたりもする。しかし、思い直し日課を作る。早朝の礼拝に始まり、農耕、牧畜という日々の糧を得るための労働、そして日曜日は休息、というプロテスタント的な規律を島の生活に持ち込む。難破船から火薬やマスケット銃を運び、洞窟の奥にしまい、外敵に備えて守りも固める。いわば、西欧的な社会を孤島に持ち込んだのだ。
インディオの仲間に殺されようとしたところを救ったフライデーを、ロビンソンは当然のように奴隷として扱う。初めは従順だったフライデーだが、言葉も覚え、共に長く暮らすうち、しだいに本性が現れる。フライデーのトリックスター的な側面が明らかになることによって、ロビンソンの行動の持つ意味が悉くひっくり返され、価値の転倒が起きる。主人の大事な衣装をサボテンに着せたり、内緒でパイプ煙草を吸っているところを見つかるのを恐れ、洞窟の奥に捨て、火薬を爆発させて溜め込んだ食料も吹っ飛ばしてしまったりするフライデーの活躍が痛快だ。
結果的にそれが転機となり、ロビンソンは自分を縛りつけていた文明社会の軛から自由になる。一種の哲学小説であり、時間や世界、自己同一性、ひいては人間そのものについての思索を深めるのに役立つ本でもあるが、読んでいて愉しい。全部読み終わってから��頭部分を読み返すと、これから起きることのすべてが、あらかじめ船長のタロット占いに出ていたことが分かる。心憎い仕掛けだ。
ル・クレジオの『黄金探索者』はマダガスカル島の東に浮かぶモーリシャス島とロドリゲス島を主な舞台とする、海賊が隠した宝をめぐる探索の物語。モーリシャスのプーカンに邸宅を構えるアレクシの一家は仲の好い家族だった。主人公のアレクシと姉のロールはマムの手で教育され、二人はマムの話を聞いて育つ。しかし、父が事業に失敗し、家はサイクロンで壊され、地所は借金のかたとして伯父の手に渡る。
父の死後、寄宿学校をやめ、伯父の会社で事務仕事をするようになったアレクシだが、父が話してくれたロドリゲス島にあるという海賊の財宝のことが頭からはなれてくれない。アレクシは、ロールに別れを告げ、港に停泊中のブラドメール船長のスクーナー、ゼータ号に客として乗り込む。この帆船での初めての航海が前半の白眉。まだ少年の面影を宿す若者の海への憧憬が抒情的な筆致で船旅の持つ愉楽をたっぷりと味わわせてくれる。
船員として働かないかという船長の誘いを断り、アレクシは一人ロドリゲス島に上陸し、残された手がかりをもとに海賊の財宝を探す。アレクシはここで山の民と呼ばれる脱走奴隷の美しい娘ウーマと出会う。初々しい二人は次第に心を通わせ、愛し合うが、戦争の影が忍び寄ってきていた。志願兵としてアレクシは第一次世界大戦に参加し、各地を転戦。辛くも死を免れ、モーリシャス島に帰郷する。
伯父の会社に復職し、しばらくはロールとの再会を喜んだアレクシだが、港にゼータ号の姿を見つけると、またしても海に出る。ロドリゲス島に戻ったアレクシは、遂にすべての手がかりを明らかにするが、財宝はなかった。そこに見出したのは夜空に浮かぶ星と地上の石に刻まれた目印との照応だった。イギリス湾の岩の上に星座の位置を示す徴を掘る孤独な営為こそが海賊の望みだったことをアレクシは悟る。
誰もいない海岸で地図を頼りに岩の上に徴を探しては探査坑を掘る。唯一の喜びは脱走奴隷の娘との忍びあい。絵に描いたように甘美な南の島のロマンスだが、ほとんど恋人同士のような姉との心の通い合いが、脱走奴隷の女とどこかの島で隠れて暮らすという夢のような生活を選ぶことを邪魔する。宝はなかったが、もうそれに縛られることもなくなった。きっとまた船に乗り、海に戻るのだろう、と予感させるところで終わっている。
いつまでも雨の降り続く、まるで雨季にでも入ってしまったかのような今どきの日本。いっそのこと、その湿気にまみれ、南の海の暮らしを描いた小説に浸りきるのも悪くない。
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230105*読了
2023年、初読了作品となりました。
読み応えたっぷりな二段組み。
「フライデーあるいは太平洋の冥界」は、「ロビンソン・クルーソー未読の私からしたら、こちらでロビンソン・クルーソー」のストーリーを知ることになり、原作とどう違うのかも分からないままに、この小説を受け入れることとなりました。
無人島に独りきりなんて、自分なら1ヶ月も持たない。前半部分のクルーソーのサバイバルに、自分なら無理と何度思ったことか。
フライデーと出会ってからの彼の変化と、あくまでも野生であり続けるフライデー。二人のやりとり自体が友情とは言えないのだけど、クルーソーにとってはフライデーへの執着心を抱かざるを得ない。
最後はまさかの展開。
「ロビンソン・クルーソー」を先に読んだ人との捉え方の違いが知りたい。
「黄金探索者」も無人島ではなくとも、野生味のあふれる小説。
しかも、「ロビンソン・クルーソー」を流用する部分があったので、この2作は冒険小説としても、ロビンソン・クルーソー繋がりとしても共通点があって、同じ巻に収められたのだと気づく。
航海のシーンにしろ、黄金探索のための島での生活にしろ、やっぱり自分には無理と思いながら読んでしまった…。
黄金探索の部分は著者の祖父の実話を取り入れていると解説で知り、こんな風に生きた人がいたことにも驚きました。同じ人間とは思えない人が世の中にはたくさんいるもんだな。
主人公が突如思い立って船旅や黄金探索に出かけ、また突然、戦争に赴き、帰還してからも急に再会があり…と展開が突拍子もなく、それがまたおもしろかったです。
冒険小説自体をそこまで読んでこなかったので、この2作は刺激的でした。