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よく中途半端で終わるとの指摘がありますが、確かにそうです。あれっ?これで終わり?ってなります。でもこれはこれで最後はめでたしめでたしで終わってすっきりしてるからいいんじゃないでしょうか。やっぱり、秀吉の最後まで書くのは難しいのではないかと。どんどんおかしくなってく主人公というのはどうなのか、というところだと思います。その後の秀吉が読みたければ関ケ原を読めば良いと思いますし。うん。面白いと思います。
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日本一出世したであろう好男児、戦国時代苦労と心胆を重ねながら天下を統一した太閤豊臣秀吉のお話。
その下巻。
上巻では自らの道を拓く為に苦労辛酸する秀吉も、下巻ではかの有名な三日天下の主明智光秀を山崎の戦いで破り、その後トントン拍子に出世を続け、ついには関白に親補されて、最後はやぶれかぶれの狂言で徳川家康を風下につけて遂には太閤となる。
「おもうに、世の中狂言よ」
「おれの天下も、すべて狂言で決まったわさ」
その生涯はすべて狂言であったと秀吉は言う。
露と置き露と消えぬるわが身かな
なにはのことは夢のまた夢
千両役者です
本当にありがとうございました
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豊臣秀吉の一生を綴った小説。下巻は因幡攻略から亡くなるまで。本能寺の変、光秀討伐、家康との和解という激動の人生を表向きは飄々と渡っていく秀吉がいい感じです。実は余り秀吉が好きではなかったのですが、この小説でわりと好きになりました。ちょっとだけ「へうげもの」の主人公古田左介が出てます。
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天下を統一を成し遂げた豊臣秀吉。晩年の朝鮮出兵や淀君との関係など、暗い印象を受ける時代を描くことなく、頂点に昇り詰めたところで大団円を迎える結末は、ある意味心地よく感じました。この物語には、この結末が一番相応しいです。
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信長が死んだと報が入った後の秀吉はもう受け付けれませんでした。
こんなにも読んでいて鬱になる話も珍しい・・・・
内容的には素晴らしく面白いのなのだろうけれど、策略謀略に塗れた豊臣政権は本当に肌に合わないようですね!
終いには謙信公をを田舎侍扱いしてなんとも泣きたくなる小説でした。
いや、豊臣政権に興味ある方はとても面白いのかも?しれません。
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「自分を一つ上の立場から見ることで自分を道具として見れる」
ってことがなんとなくわかった!
あと、
自分というものはいろんな部屋を持っているんです。
心で感じる部屋と、頭で感じる部屋を同時に開けることができれば、
人としてよくも悪くも違う人になれるんじゃないんかなと思う。
もちろん難しい。
就活で年上の人に見せる部屋っていう
俺の今までの人生の中でほぼ無かった部屋(今までは年上の人に接する時に今ある部屋で対処してきたけど)
を作っとる最中やけんいろいろ悩んだりするんですが、
正直これ作らなな。
一歩成長できると思う。
あと、本の感想としては
「辛い時こそ笑わな!」
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本能寺があったり中国大返しあったり山崎あったり賤ヶ岳あったり小牧・長久手があったりと秀吉大活躍の時代がまさに下巻の内容でした。
信長が死んだ時は本当に悲しかったんだろうなと思いつつも、そこでやっぱ天下をねらう気持ちがむくむく育たなきゃ戦国の快男子とは言えないよね!とは言い過ぎかしらん。小姓時代の三成・吉継・清正なんかも出てきます。吉継は章タイトルにもなってるんだZE! あ、利家も出てきます。なんか司馬遼利家好きなのか嫌いなのか微妙な感じで書かれるのが何とも言えんw こっちはふるさと補正入ってるから好きなのに。。。
この巻の最後の方になってようやく家康に開眼し始めたわし。秀吉を悩ませる家康とてもイイヨイイヨー! ニヤニヤしっぱなしでした。私やっぱり家康っぽいところあるからかなーとか自意識過剰に思ってみる。次に読むのは彼主役の「覇王の家」ですがいい感じに好感度高まりました。三河武士強いし漢臭くてカコイイ! 秀吉は家康対策に対してムキになっててその辺り自分的は秀吉ざまあだったんですが(ひでえ)秀吉らしい派手さというか大気さというのは、やっぱり家康にはなかなか無いものなので、その点は羨ましかったです。秀吉ってアメリカナイズドされてると思うね(まだアメリカの存在知られてないYO!)
家康がああ、秀吉、こいつには負けた、狂言に付き合おうじゃないかと笑うシーンからラストにかけてはとても面白かったです。頭の中に映像がとても自然に浮かびましたし、司馬遼らしいさりげなく、しかし印象深く描写するというのはやっぱり上手いし面白いなあ。
最後寧々とのほのぼのシーンで終わって、その後の彼の仕事は描かれず(つまり朝鮮出兵とかはない)辞世の句が載せてあるのが逆に切なかった。このあとに関ヶ原読んだら一層切なさが溢れてくるんだろうなあって思った。
秀吉も自分の天下が一代で終わるだろうって思ってる描写も出てくるしなあ。そこの文章すごくよかった。「時勢の雰囲気」を土台にした「かれ一個の魔術的才能でつくりあげた一大楼閣」で「実体は指一本でがらがらと崩れ去ってしまうようなものである」ことを分かってるからこそ、何でもやるのだ、って。ホント不思議な世だったのかもね、戦国における豊臣政権ってのは。
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秀吉成り上がり物語下巻
中国地方有力武将毛利氏との合戦のため秀吉は攻戦の準備を始める。
その中に調略あり。どっちつかずの中立を保っている武将に対し、仲間に引き入れる。
実際の戦いでは、今まで誰もが考えつかなかった秘策を用いる。
毛利氏との戦いが終結間際に本能寺の変が起こる。
信長という神にも近い存在を失った秀吉は悲観に暮れるとともに、次なる行動を起こす。
明智光秀の征伐から信長の筆頭家老柴田勝家との戦い、さらには内部の調整などめまぐるしく時代が動く。
そして、天下統一の最後の砦徳川家康との対決。
時代の流れだけでなく、秀吉の人間的な描写がえがかれているのがおもしろい。
戦が強いだけでなく、事前準備、調整能力がいかに重要な時代であったがわかる気がした。
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いやあ面白かった!下巻は秀吉が天下を取るまでを描いたもの。
1番良い時代で終わってます。
同僚だった人たちを家臣とし敬わせるまでの秀吉の努力が素晴らしい。
読み終わるのがもったいなかった。
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秀吉公に焦点を当てているため仕方がないのかもしれないが、本能寺の変、寧々との日常などの描写があまりなくちょっと残念。
しかし、オモシロイ。是非一読を。
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小説なので出来すぎた話だとは思いますが、読んでいると秀吉の人柄、才能に引き込まれてしまいます。
さすが人たらしの名人(笑)
閉めも秀吉の晩年ではなく絶頂期の少し前でスッキリした読後感です。
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出世の為に,成功するために狂言を働く。秀吉の人生は狂言の連続という。本心とは別に様々な役を演じ続ける。人たらしも所詮は出世の為の演技なのだ。会社の役職も会社内という限られた舞台での役であれば秀吉のような演技者が社長にまで上り詰めるのだろう。そこまでわかっても,やはり秀吉という役者の魅力に惹きこまれてしまう。。
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本能寺の変から至高の権力の座に上り詰めるまで。
今までの上司・同僚をいかに自分に従わせ、自分を敬わせるか。
涙ぐましいまでの秀吉の奮戦。
身分も武力も権門もない人間が知恵だけでどこまで行けるのか。
家康の不気味さがどんどん増してくるのが好対照でした。
秀吉にとって絶頂である時期で物語が終わっているので
読後感は爽やか。
幕の引き方はさすが、司馬遼。
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「覇王の家」を読了後に手にとったので、
いささか、重複する箇所があったけれども、
視点は異なるので、違った味わいができる。
印象的なのは柴田勝家の描写。
豊臣秀吉とは出自がまったく異なるのだけれども、
逆にその出自が仇となった点が強調されている。
なんとも最期は憐れ。
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上巻も含めて「新史 太閤記」は、ここ数年で読んだ小説で最も楽しめた。豊臣秀吉は小学生低学年のころから慣れ親しんでおり、ほとんど流れは了知しているものの、今般、小説とはいえじっくりと人物像に迫ることが出来て非常に有意義だった。最近読んだ書の中でこれほどワクワクさせられた書はなかっただろう。やはり司馬先生は凄い。本書においては秀吉が主人公であるから、それ以外の事件はさらりと触れているだけであり、メリハリの利いた作品だった。例えば、本能寺の変については予告もなく唐突に「この日の早暁、信長は地上から消えた」と差し込むのみ。また、秀吉のさしたる活躍がなかったためか、三方ヶ原の戦いや長篠の戦いなどはまったく出てこない。そして晩年の富と権力に落ちぶれた姿は描かず、最も脂がのっていた時期(小牧・長久手の戦い後、徳川家康と和睦し、大坂に挨拶にこさせるくだり)でペンを置いている。こうした構成は、単なる伝記とは異なる司馬先生の巧みさなのだろう。
以下に琴線に触れた描写を引用したい。
・秀吉は「信長の征服が終われば、自分も追放されるか、殺されるかもしれない」という底冷えるような不安を、この万事陽気な思想人はそれをさえ逆手にとって積極的な思想に仕立てていた。「百万石は自分の私財ではなく、織田殿を儲けさせ奉る資本(モトダネ)である。」ということだった。
→労働力を資本家に搾取されている実態にある今日のサラリーマンも、こう考えれば雇用不安に怯えることなく良い仕事が出来るのだろう。
・「感心な男だ」堀久太郎はひそかに秀吉の人柄の手厚さに感じ入っていた。これが柴田勝家なら元々傲岸な男だけに、信長が死んでしまえばその側近官僚などには鼻もひっかけぬ態度をとるかもしれない。
→信長の死後でも、その側近(今で言う秘書か)に対しても手厚く遇する秀吉。状況が変わると掌を返したように態度を豹変させるようなことはしない。見習いたいものだ。勿論、秀吉には、自分が相手に対して手厚く遇すればどう感動してくれるかということを計算済なのだが。
・秀吉は絶え間なく軍令を下し、使者を放つなど、すでに戦場にあるように多忙だった。行軍している彼の鞍の上が既に作戦所だった。この点、彼の作戦思想は、彼以前の軍事的天才たちとまるで違っていた。彼以前の軍事的天才たち、上杉謙信・武田信玄でさえ、敵を肉眼で見てから合戦を開始した。しかし秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどが終わっていた。あとは勝つだけであった。
→武力よりも知恵と調略を駆使する秀吉らしい描写である。
・黒田官兵衛は秀吉の演技力に驚嘆した。正義はつねに二つあるとすれば、声の大きい側が有利であろう。
→声が大きい者が勝つ。これは古来から現代にかけて偽らざる事実である。逆に言えば、自信の無い者こそ声が大きく虚勢を張っているという事実も見逃してはいけない。
・信長は南蛮に好奇心を持ち、宣教師に対面してはあくなく質問し、その実用的関心から自分の文明思想を変えようとした。変えた者が時代の新しい勝利者
になるということを、信長は敏感に察していた。
→信長���こうした面は見習いたいものだ。