サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

hontoレビュー

ほしい本の一覧を見る

ガラスの宮殿 みんなのレビュー

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー12件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (6件)
  • 星 4 (3件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (1件)
  • 星 1 (0件)
12 件中 1 件~ 12 件を表示

紙の本

壮大な民衆の歴史

2008/02/04 09:34

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:カワイルカ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ビルマ、インド、マラヤを舞台にした三家族の三世代にわたる物語である。それは家族の歴史であると同時に民衆の歴史でもある。この作品はビルマ(ミャンマー)とインドについて多くのことを教えてくれる。しかし、少しも堅苦しさはなく物語を楽しむことができるのがうれしい。イギリスで50万部を売り上げるベストセラーになったというだけあって、作品としての面白さは群を抜いている。

 物語はインド人の孤児ラージクマールとビルマ王妃の侍女ドリーとの出会からはじまる。イギリス軍がビルマの首都マンダレーに侵攻して大混乱に陥っていたときの出来事である。その後、ドリーはイギリスによって軟禁された国王と共にインドのラトナギリで暮らすことになる。20数年後、材木の商いで成功し大金持ちになったラージクマールは、ドリーを探しだし彼女に結婚を申し込む。ドリーははじめ躊躇していたが、インド人の収税官夫人ウマの仲立ちによって結婚を決意する。ふたりの友情は終生続くことになる。ドリーとウマの細やかな感情描写はとても男性の作家とは思えない。
 このふたつの家族とラージクマールの父親代わりの中国系のサヤー・ジョンの家族を中心に物語は展開する。このあと彼らはやがて大きな歴史の流れに翻弄されるが、ラージクマールが「自分の愛するものは自分で選ぶより仕方がない」というように、決して受け身にはならない。彼らが愛し合い、ときに対立しながら運命に立ち向かう姿は感動的である。

 この作品のもうひとつの読みどころは、ビルマ人とインド人の微妙は関係を描いているところである。資源に恵まれた豊かな国ビルマには多くのインド人が移住しており、彼らの多くはビルマの経済界を支配している。その一人であるラージクマールが言うには、インド人がいなければビルマの経済は成り立たない。だが、ビルマ人とインド人の対立は深まりやがてビルマ人の暴動に発展する。そしてそれを鎮圧するのは同じ被支配民族であるインド人で組織されたインド軍なのである。
 この矛盾は第二次世界大戦でもっと複雑な様相を呈する。イギリスはインド軍で日本軍と戦うことになるのだが、インド兵の中には脱走してインド国民軍に入るものが出てくる。彼らは日本軍と共にインド軍と戦うことになる。ウマの甥でインド軍初のインド人士官となったアルジャンもその一人だ。インド人士官は白人と同じ扱いだが、何かと差別されことが多い。はじめは忠実な士官だったアルジャンだが、友達に感化され悩んだ末にインド国民軍に入る。ゴーシュの父親もインド軍の士官で、インド国民軍と戦ったという。どちらが正しいかということは簡単には言えない。

 これだけ複雑な内容をわかりやすく表現し、しかも面白い作品に仕上がっているのは驚きである。ビルマ人とインド人の視点から第二次世界大戦が描かれている点も非常に興味深い。アミタヴ・ゴーシュの他の作品も読みたくなった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

Through the Looking Glass Palace: And What You Found There

2010/08/24 20:58

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る

日韓併合100年の談話にせよ、長崎原爆投下の日の米国大使の対応にせよ、被征服者と征服者の視点が異なるが故の違和感というのは、どこの世界にも、また、どこの時代にもある。

本書もまた、被征服者と征服者の衝突から物語が始まる。長きにわたりインドを支配してきたビルマが、イギリスとの闘いで敗れる。本篇の最初のヒロイン、ビルマ人のドリーは、王室につき従ってインドで軟禁生活を送る。一方のヒーロー、ラージクマールはインド人で、たった一人でビルマにやって来る。そして英領インドに併合されたビルマで、材木商として財を為してゆく。そんな彼を助けるのが、中国人孤児のサヤ―・ジョン。離れ離れだったドリーとラージクマールを引きあわせるのは、インド人収税官の妻クマ。
彼等をはじめとして、物語の主要人物たちは、もともとの国籍とは別の国で生きる運命を負う。もちろんそこには二つの大戦を経た激動の二十世紀と、ビルマという国の歴史が関わっている。

しかし彼等はただ、国や時代といった、大きな力に、ただ流されて生きてはいない。
「善意や具体的な例を示すことで、その信頼と愛情を自ら勝ち取った人々だけ」を信頼し愛情を注ぎ、「そして、ひとたび他人を信頼すると、自分の忠誠心をあますところなく捧げ、そこには、裏切られたときの備えにと人々がたいてい抱く暗黙の用心というものがまったくなかった」
これはラージクマールの生き方について述べた文章だが、他の人物達も概ねこの生き方を貫き、人生を全うする。
離れ離れだったドリーとラージクマールを引きあわせたインド人収税官の妻クマは、夫の死後はエリート官僚の未亡人という予定された道とは全く別の世界に身を投じる。愛し合って結婚したラージクマールは、息子を思い通りにしようとして悲劇を迎える。ドリーは愛し合って結婚したラージクマールとは別の支えを見出してゆく。国に全く影響を受けないわけではないが、その中で自分というものをしっかり持って生きるという点で、国家と個人を対立的なものと捉えた小説とは一線を画している。

脇役達もそれぞれ強烈な光を放つ。「権力はかくして衰えるものなのだ。ひとつの支配の幻想が弱まり、次の支配の幻想が取って代わろうとしているのがありありと見える瞬間に。世界がその拠りどころとしている夢から解き放たれ、結局は生き残ることと自分の身を守ることだけがすべてなのだとあらわになる瞬間に。(p54)」軟禁された王妃の口を通じて語られる権力の虚しさ。
「いついかなるときでもその安全と名誉と幸福を第一に考えなくてはいけない国とやらのことだ-それって何なんだ?その国はどこにある?本当のところ、お前にも俺にも国なんてないじゃないか-だとしたら、いついかなるときでもその安全と名誉と幸福を第一に考えなくてはいけない、そんな場所はどこにある?それに、俺たちが誓いを立てたのが、国に対してではなく英国王兼インド皇帝に対してだったのは-つまり帝国を守るためだったのは-いったいどうしてなんだ?(p388)」ウマの甥アルジャンの同僚、ハーディからは、植民地下の国でアイデンティティを見つける難しさを見いだせる。
さまざまな立場の者がモノを言い、それによって20世紀のアジアを俯瞰的に見ることができる。
それでいて少しも重さを感じさせない。読者の年齢によってもさまざまに捉え方が異なると思う。ぜひ何度もこの作品を味わっていただきたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

大英帝国侵攻によるビルマ王朝の滅亡から、たび重なる自宅軟禁を今も余儀なくされるアウンサンスーチー独自の政治姿勢を描く現代ミャンマーに至るまで――20世紀の100年にまたがるビルマとインドの家族たちの変動を封じ込めた雄大な物語。

2008/08/11 15:36

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 物語は劇的なロマンスを装ってはじまる。
 インドを支配した大英帝国との領土争いで、二度にわたって破れていたビルマ王国は1885年、チーク材をめぐる第三次英緬戦争でついに滅亡。その政変のさなか、国王一家に仕える侍女ドリー10歳は、孤児ラージクマール11歳と出会う。ラージクマールはインド人で、川を上下する船の乗組員の職を失い、宮殿のあるマンダレーの地にたまたま住み着いていたのだった。
 幼い出会いは、少年にとっては痛烈な印象を残し、少女がいたその場所とともに、生き永らえていくための憧憬や支えとなる。しかし少女にとっては、宮廷生活からつづく配流の旅、辿り着いたインドの小さな町での幽閉生活という激変のなかで、気にも留まらない行きずりに過ぎないのであった。
「ふたりのあまりにも異なる生活環境、距離をへだてた成長と歳月の積み重ねが結びつくことがあろうか」という調子で、物語は進む。とりわけ森のなかに分け入っての仕事を選んだラージクマールの半生は荒々しく、波乱に満ちており、いかにも立志伝中の人にふさわしいもので手に汗握る内容だ。
 運命に翻弄される男女がどうなるかと期待して読んでいると、私たちは奥深い密林のキャンプで野性の猛威、そして、野性同様、人の知や力を超えたところにある「霊的なもの」を体験させられることになる。全体の5分の1にも満たない箇所で、我を忘れる異常なまでの緊迫が展開するのだ。
 だが、極度の緊張感が支配するその場面に至るまでに、作者はラージクマールの養父の口を借り、帝国に代表される西欧世界が、アジアの伝統社会に何を持ち込んだのかを語らせる。ビルマの「象使い」たちの力に依存してチーク材を商う彼らが、大きな災難に見舞われたあとのことだ。
――象使いとしての技能に彼らが抱いている誤った誇りのことを考えてみるといい。父親や一族がみんな象を使っていたというだけで、自分たちほど象のことを知っている者はいないと連中は思ってる。それなのに、ヨーロッパ人が来るまでは、材木の運搬に象を使うなんて誰ひとりとして思いつきもしなかったじゃないか。象が使われていたのはパゴタと宮殿のなかだけ、つまり、もっぱら戦争と儀式向けだったわけさ。おとなしい象を金儲けに利用できると見抜いたのはヨーロッパ人なんだよ。(P91)

 個性豊かな人物たちの宿命的出会い、生き様を生々しくたどるフィクションというだけでなく、この小説には、初期の異文化接触がどのような意義を持つ出来事だったのかという文明論的な深い考察がある。物語は、ビルマ王朝の滅亡から、たび重なる自宅軟禁を今も余儀なくされるアウンサンスーチー独自の政治姿勢を描く現代ミャンマーに至るまで、20世紀の100年にまたがる。その底に、作者の文明観がごうごうと音を立てて流れている。
 帝国が侵したのは領土や政治体制、伝統文化だけではなく、現地の人びとの伝統的価値観を、世代交代に乗じてうまく切り崩していったのである。それを描くことが、男女の愛、友情、家族の絆を描くことと同様、重視されている。時に、こうした人間関係を尊重する以上に、金儲けとそのための合理主義が優先されるのが西欧の推し進めてきた近代化であった。伝統的価値と西欧的価値の間で揺れる人びとを、「大英帝国VSビルマ」「大英帝国VSインド」という構図だけでなく、被支配者層の内部にも階層やカテゴリーを設けて書いている。この点は、植民地統治時代や統治以後の社会を描く文学のなかで、大きな特徴と言えることだろう。
 被支配者層は支配者層に抑圧されるだけでなく、支配者層に迎合、同化していくことで権力や利益を得ることもできる。ビジネスによって暮らしを成り立たせるラージクマールや養父たちのような者もいれば、インド人士官や官僚のように大英帝国に仕えることで引き立てられていく者もいる。

 先に引用した象使いについての見解の部分と共に、合理主義の移植とその成果を表現したという意味で重要な場面がもう一つある。
 ラージクマールとドリーの再会のきっかけを作るのが、英領インドのエリート官僚の妻ウマなのだが、彼らの第二世代が登場して愛、友情、家族の絆が物語られていく。ウマの甥アルジャンは高等教育を受け、士官となる。インド独立へ向けての民族運動、日本軍の後ろ盾によるビルマ国建国という激動が舞台となる後半では、アルジャンが第二の主役のように書かれていく。
 インドの伝統的生活を離れ、軍隊での英国的・特権的生活に馴染んだ彼が、いざ前線におもむいて戦争の現実を知ったとき、近代的な軍隊、帝国支配をどう受け止めたかという思索が、読みどころの大きなポイントとなる。当番兵として下働きするインド人兵士を配することで、帝国支配が立場の異なるインド人にどう及んだのかを考えさせる点が興味深い。
 そしてまた、こうした個人レベルだけではなく、「ビルマVSインド」を書くことにより、帝国支配の恩恵と犠牲の二重構造が露わにされていることも特筆に値する。インドのカースト制度は、人権のない不可触民の存在を考えれば、「近代化」という外圧で改められてしかるべき伝統であった。しかし、ビルマでは貧富の差はあったにせよ、人びとは平等主義的な暮らしをしていたのである。外圧はインドほどに必要ではなかった。
――インドに対する古い忠誠心、昔からの忠誠心は、ずっと以前に壊されてしまっていた。それらを消し去ることでイギリス人は大英帝国を打ち立てたのだ。しかしその大英帝国もいまや死んだ――彼にはそのことがわかっていた。それが死んだことを彼自身のなかに、つまり帝国の支配がもっとも強固だったところに感じていたからだ――だとすれば、いま誰を信頼すればいいのだろう? 忠誠、仲間意識、信頼――こうしたものは、人間の心臓の筋肉と同じくらい必要不可欠でありながら同じくらい脆くもあり、簡単に壊せはしても作り直すことはできないのだ(P517)。

 アルジャンの思索から数行あとに、作り直しは数世紀を要する仕事だとある。『ガラスの宮殿』は、大英帝国統治時代のビルマとインドを対照的伝統社会として描きつつ、利権や効率を求める近代合理主義と、それを至上にしては幸福を実現できない人間の普遍的な価値の相克をも描き切ろうとする。
 近代合理主義に盲従しなくとも、その土地にはそこ見合った合理性があり得る。また、他の存在を征服しようと意気込まなくとも、自然や他の社会を生かし、自分もまた生かされる「融和」に近づくことは不可能ではない。
 1956年生まれのアミタヴ・ゴーシュは、これからまだまだ意欲的な小説を何冊か残せるほどに若い。人類がこの100年を知と情の力でどうにか生き抜いていくことができれば、おそらく「世界的文豪」として語られて良い作家となるに違いない。それほどのものを焼き付けられるこの小説――物語はいかにも現代小説らしい仕掛けをほどこして小粋に結ばれる。


このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2007/10/31 10:22

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/09/29 23:11

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/04 00:01

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2010/09/05 15:33

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2010/07/19 18:21

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2011/07/01 16:08

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2008/07/14 10:24

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2012/07/24 21:23

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2013/03/21 14:07

投稿元:ブクログ

レビューを見る

12 件中 1 件~ 12 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。