紙の本
備えあれば
2010/05/30 12:50
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小松左京が『日本沈没』を刊行したのは1973年のこと。その最近の映画化は2006年で、地震に対する恐怖心は日本人の心の中に抱かれ続けているようだ。しかし、エンターテイメントにして楽しむくらい、どこか他人事として受け止められていることも事実であろう。ただ、地震を自分事として捉え、物心両面での備えを持たなければならないことは誰しも理解しているに違いない。実感が持てないだけではないだろうか。ということは、地震と自分が生活する地域との関係の深さが理解できれば、傍観者として手をこまねいているだけではなく、少なくとも心構えぐらいはできるに違いない。本書は、日本に暮らす以上決して他人事では済ませられない地震問題を身近なものに感じさせ、さらに対処の心構えをさせてくれると実感した。
歴史書に登場する地震の記事は、『日本書紀』まで遡るという。それは599年、推古天皇7年4月の記事。そこには「地動、舎屋悉破、則令四方、俾祭地震神」という記載があり、発生した地震やその被害、地震を神祭りで鎮めようとしたことがわかる。地震のメカニズムが判明していない当時の発想では、神頼みは当然の対応と言えよう。以降、様々な書物に地震のことが記されてきた。本書は時代ごとに地震の記事を紹介しているが、このことは今後多くの地域で地震が発生する可能性が高いことを推測させる。
さらに発掘調査成果も総合して地震の歴史を紐解いている点が、本書の重要な特徴である。発掘調査では、古墳や建物、井戸などに地震の爪痕が残されて見つかる場合があるという。地震の痕跡は人間の建造物のみならず、地面そのものにも残ることがあるらしい。それは液状化現象で墳砂した痕跡や断層のズレ、地割れなど。これらは歴史書が黙して語らない地震の証拠で、縄文時代や弥生時代の地震発生の様子も明らかにしてくれる。長野県阿久尻遺跡では6,000年前頃の地割れの痕跡が見つかり、活断層の活動に伴うものと判断されているという。また、大阪府八尾市久宝寺遺跡、田井中遺跡、志岐遺跡、東大阪市池島遺跡では、弥生時代前期終り頃の液状化現象の跡が発見され、大阪平野が地震に見舞われたと判断できるとのこと。以上のような縄文時代や弥生時代の地震の記事が、歴史書に登場することは今後もあり得ないだろう。
地震痕跡の発掘調査はさらなる成果も我々に示してくれる。それは、歴史書に記された地震と遺跡で見つかった地震痕跡が同じ地震かどうかを究明し、さらに記載の状況と地震痕跡から判断できる地震規模、被害状況との比較ができるようになったことだ。この成果は、各地でかつて発生した地震規模の推測をある程度可能にし、今後に起こるであろう地震への対策の指標となる。地震予知の研究推進が重要なことは言うまでもない。ただ、地震史の研究は、日本に暮らす一人一人が物心ともに備えを持つことを促す重要な分野と実感した。自分が暮らす地域をかつて巨大地震が襲った事実は、備えを促す大きな力になるに違いない。地震史の研究は、地震予知の研究とともに推進するべき分野であろう。
歴史や考古学は、なかなか現代社会との接点が見出しにくい学問ではないだろうか。遺跡や博物館を観光地で見学する経験はあっても、それが現代社会においてどう役立つのかは考えたことすらなかった。地震史の研究は、それぞれの地域に暮らす人たちに未来の地震に対する心構えをさせるという貢献を果たすとともに、歴史学や考古学が現代社会に役立つ学問であることを実感させてくれる稀有な分野である。歴史学は、過去から学びとったことを現代生活に生かして初めて活力を持つ学問と考える。ただ、そのことの実践はなかなか達成されていないような気がする。しかし、地震史の研究は、現代生活と直結する分野である。歴史学という学問の存在意義を実感するという意味でも、本書を一読する価値はあるに違いない。お薦めしたい良書である。
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2008/3
タイトルどおり、ストレートに日本で発生した地震の歴史が書かれている。ただ、本格的に地震を科学的に捉えており、当時の史料をもとにして、どのような形の地震だったのか、原因などを深く探っている点でとても評価できる。専門的な記載もおおく万人受けはしないかもしれないが、面白かった一冊。
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[ 内容 ]
日本の歴史は、地震の歴史だと言っても過言ではない。
人の記憶に残らず、文書に記述がないからといって、地震が存在しなかったと速断するのは大きな間違いである。
地層を掘ってゆけば、地震の際に発生する噴砂や地滑りなどが、いつ、どのようにして起きたのかを、土や砂が雄弁に物語っていることに出会う。
本書は、「地震考古学」を確立した著者による、日本歴史を地震の連鎖として描く異色の読み物である。
[ 目次 ]
第1章 縄文時代~古墳時代
第2章 飛鳥~平安時代中期
第3章 平安時代後期~室町時代
第4章 安土桃山時代
第5章 江戸時代
第6章 江戸時代末期
第7章 近・現代
終章 二一世紀の地震
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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以前から積読いて今回の東日本大震災を切っ掛けに読み始めた一冊。
日本で起きた地震が縄文時代のものから記述されています。
専門的な記述などに少し読みにくさを感じますが、日本史のどんな事件が起きた時にどんな地震があったかが分かる興味深い内容です。
改めて日本が「地震大国」であることを実感しました。
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古代からの大地震の記録が淡々と記述される。
関東圏の地震については、関東大震災、安政の江戸地震くらいしか知識がなかったが、この本を読んで、富士山が噴火した宝永大地震、大津波が発生した元禄大地震、当時で二万人以上の死者が出たとされる鎌倉地震など巨大地震が何度も襲ったことを知る。
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★考古学には関心薄★東日本大震災を契機に買ってみたが、ちょっと期待外れ。文献だけでなく地層から地震の歴史を読み取る「地震考古学」の本で、まっとうに時代ごとに代表例を淡々と列挙する。だが、そもそも自分は考古学という分野にあまり関心を持てないようで、頭に全く入ってこなかった。ただ、糞から動物の生態を調べる手法があるように、考古学にも様々な切り口があることは理解できた。
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昔から大地震って10〜20年ごとに日本各地で起こってるのだな、と。
一般の人だけじゃなくて、政治に関わった人にも関わりあるはずなのに、学校の日本史ではあんまりやらない。
古くても江戸時代の火山噴火とか、文化史で鯰絵のこととかぐらい。
学校で学ぶ歴史ってほぼ政治史なんだな、と改めて。
そして現代を生きる我々に必要なのは、その場しのぎの対策だけではなく、長い日本の歴史から、専門家だけでなく、一般の人も学んで、地震や津波に備えることが大切なのではないかな、と。
そんな風に感じてあとがき読んだら、それに近いことが記してあり、大きくうなずいてしまった。
歴史って、今を生きるのに、未来を生きていくのに、役に立つということを改めて感じたし、そのことをたくさんの人に伝えられたらな、なんて思った。
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過去の地震の痕跡を遺跡から見つける。液状化現象の証拠である噴砂・砂脈や、断層のずれなどである。それらを文献記録と照合しながら地震の歴史を跡付けていく。そんな風に数々の地震を時代順に淡々とつづっていくだけの本。東海地震・南海地震あり、複数の断層が連動した内陸型地震あり。とにかく日本は100年と置かずに大きな地震に襲われていることが良く分かりました。
琵琶湖西岸断層帯は西側が上昇して東側が下降する活動を続けている。そのために琵琶湖は、周囲の陸地から砂や泥が運び込まれても、沈降を続けているために大きな湖であり続けている。
古代の人たちが、地割れの上に土器や石を置いて地震を鎮撫しようとした跡も見つかっている。
高知県中村市アゾノ遺跡の例。11世紀から15世紀末まで幾世代にもわたって生活が続いていた。それが1498年の明応東海地震(+南海地震)を境に生活の後が途絶える。当時の人にとっても、まさに想定外の出来事であったろう。
寺社などの古い建築も、現存するものは幾たびもの震災をくぐり抜けてきているわけだ。
飛騨の帰雲城を飲み込んだ1586年の天正地震(これは複数の断層帯が連動してM8クラスになった内陸型地震)や、雲仙の噴火で城下町を地すべりで海に押し流して津波まで起こした1792年の島原大変肥後迷惑など、まさにカタストロフィ。
余震とは逆に、前兆のような小さな地震が本震の前に起こるケースも結構ある。そう言えば、3.11の2,3日前にも地震があった。要注意。
江戸時代から地震天罰論が書き残されている。理不尽な天災に何とかして理由付けをしようとする普遍的な人間心理なのだろう。
一方、災害ユートピア的な現象も見られる。旧来の社会構造が一時的にでも壊れて、世直し的な期待感が高まる。大工仕事などで復興景気も。もちろん物価つり上げを取り締まる向きも。1855年安政江戸地震の例より。