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いかにして「スシ」がグローバル化をとげたかを書いている。日本文化に対する敬意も感じられいい気分で読める?取材がなかなか徹底していて面白い。
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鮨からスシへ。スシビジネスと世界との関係を知る本。 2008/12/20 今やどこの国でもスシはポピュラーな食べ物です。
スシをビジネスの観点で紹介したのがこの本で、著者はアメリカ人で小さい頃に寿司に興味を持ち、世界中の寿司ビジネスを旅行記のようなレポート形式で紹介しています。
まずマグロの取引では世界一の築地市場のセリのレポートに始まり、そのマグロは一体どこから来たのかを欧米に取材し、昔は全く価値が無いとされたマグロがいかにして価値を持つようになったか、海外への寿司職人の進出の経緯や、現在のアメリカの寿司店の様子、今後の養殖ビジネスまで、寿司ネタとしてのマグロの物流の流れに沿って、寿司ビジネスを紹介しています。
とても面白い本なので、寿司を食べに行く前に読んでおくと「話のネタ」になるのは間違いないでしょう。
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日本のローカルフードだった寿司がいかに、世界のスシになったのか、その歴史と、寿司ネタとして欠かすことのできないマグロの世界規模での流通経路や、マグロ乱獲問題などさまざまな視点で、スシについて書かれており、日本人にも意外と知られていない、寿司のルーツなども書かれておりよく調べてあるなあと言うのが、まず思ったことです。
また、本は築地市場でマグロのセリに参加している人たちにもスポットライトを当てているのですが、話の本筋を乱すことなく、築地で働く人たちにも深く触れているなどマクロとミクロの両方の視点で、スシに関する事が書かれており、ていねいに書かれた良著です。
とても読みやすく、普段、何気なく口にしているスシについて考えさせてくれること間違いなしです。
おすすめです。
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寿司、特にマグロにおける流通、買い付け、漁や養殖の現場に筆者が飛び込み見聞きした事柄が詳細に書かれている。各々の現場(個人)から、マグロ・寿司のグローバルな広がり、繋がりを明らかにしようとしている。
寿司は食文化,商取引両方のグローバル化に成功した数少ない事例であり、日本的でない寿司の蔓延や、日本に逆輸入されている場合も多い。
『グローバル化』の新たな一面を知れた。
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スシ・エコノミーと言うよりはマグロ・エコノミーといった方が良いかも。ニューイングランドのグロースターと言えば映画「パーフェクト・ストーム」の舞台になった港町だが1964年当時はマグロ1ポンドの価格はわずか6セントだった。当時はマグロを穫るより処分する方が難しくスポーツフィッシングでつり上げられたマグロは捨てられておりせいぜい缶詰会社が買うくらいだった。1972年には11セントだったが日本航空が空輸を始めるとあっという間に値段が上がった。電子機器を積み込んで日本から飛び立った飛行機は帰りに積む荷物を探しており、供給が追いついていないマグロは最適の貨物だったのだ。輸送費用はKGあたり800円そして初荷のマグロは1200円をつけた。(仕入れ値は11¢/lb=75円/KGくらい)
73年には43セント、78年には1ドルを超えプラザ合意後からバブル景気と円高を経て90年代後半には1ポンドあたり140ドル近くになった。バブル崩壊後も安定していたマグロの価格が最高値の1/3に落ち込んだのは98年から99年ころ、アジア通貨危機のあおりを受けと本書では書いてあるが銀行破綻や大蔵省の過剰接待問題などのあおりで接待が減ったのが原因の気がしなくもない。そして同時期に大西洋のクロマグロは漁獲高の割り当てを下回るほどにしか取れなくなっていた。(2013年の初セリでは1匹1億5500万、KG70万円という異常な価格がついている。初セリは損覚悟の1種の宣伝だそうだがさすがにどうかしている)
江戸前のスタイルであった現在のすしが日本中に広まったきっかけは関東大震災らしい。元々ふなずしなどの様に魚を保存するための発酵食品だったのが、16世紀に米も一緒に食べるようになり、押し寿司が生まれた。江戸前寿司が出来上がったのは19世紀はじめと比較的歴史は新しい。19世紀半ばにはスシの屋台が流行し魚は酢で軽く締め、マグロは漬けにされた。そして手間を省いて生の魚を握る屋台では匂い消しにわさびを敷き、風味を補うために醤油が用いられた。関東大震災で仕事場をなくしたすし職人は地方に避難しにぎり寿司を広めた。戦後冷蔵庫が普及するとどこでも生の魚が食べられるようになり、ジャパニーズ・サラリーマンが海外出張するに連れて現地の日本食も数を増やしスシは世界に広まっていく。
日本人がトロをありがたがるようになったのも戦後の話らしい。進駐軍の占領下で肉食が増え脂の味を覚えた頃からさしの入った霜降り牛やトロの美味しさが発見されていったらしい。今ではアメリカのステーキの方が赤身中心になりスシがヘルシーな料理として人気を集めているのだから面白い。1970年代にはバークレーのレストラン「シェ・パニーズ」のアリス・ウォーターズが提唱したヌーベル・キュイジーヌが流行しスシ・レストランはロサンゼルスで激増しやがて全米に伝わっていった。日本を飛び出した若きスシ職人松久信幸はペルー、アンカレッジからロスに渡りそれまでの経験をふまえたニュースタイル・スシを作り上げた。生の魚が食べられない客のためにはたまたま熱してあったオリーブオイルをかけ表面を軽く焼きポン酢をたらす、丸のまま買ったマグロを無駄にしないために切れ端を集めタルタルステーキとセビチェ(ペルー料理)を作り、こそげとった肉はアボカドとアスパラを合わせて手巻きにするなど。江戸前寿司が早く出すための工夫として出来上がったものなら、海外に行けばそこで食べてもらうために変化するのは当然だろう。伝統の江戸前寿司もたかが200年ほど、カリフォルニアロールが生まれて既に40年が経つ。89年に「マツヒサ」に訪れたロバート・デ・ニーロがニューヨークに店を開かないかと誘い「ノブ」が誕生するまで4年待たされた。ノブ・マツヒサはアメリカ人が見分けることのできるアジア人ナンバーワンになったという。
グローバルな話だけでなく昔なじみの「回る」元禄寿司や近大マグロ、経堂の魚屋「魚真」など身近な話もいろいろある。そしてスシが向かう最後のフロンティアは中国、元々生のものを食べる習慣のない中国だったがこの本の発刊から5年も経った今では刺身を食べる中国人は珍しくもなく、日本が中国にマグロを買い負けているというのがニュースになっている。「文化的な視点に立つと、すしは物質的洗練度を示す指標にもなる。明らかに豊かになり、もはや量で感動することはない。いいものを少しだけ味わう洗練された段階に到達したという宣言である。」確かにどこでも上手いスシが食えるようにするためには完成されたロジスティック、衛生管理を始めとする社会的な熟成度に関連づけられる指標が高くないと難しい。中国の日本料理屋ならどこでもサーモンとマグロの刺身は置いてあるが美味しいと思えるものは多くない。あえて食べようとは思わないし日本に帰った際に食べたくなるのはアジ、サバ、サンマと言った青魚の方だ。それでもヒラメやイカとか運が良ければ大連産の美味しい刺身を出す店は蘇州にも出てきている。文化的洗練まで後どれくらいだろうか。
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「寿司」(というより鮪を中心とする海産物)を定点としたレストラン業、水産業(養殖を含む上、運搬関連も含む)といった「商売」で切り取っていく書である。
日本の寿司業界を論じるくだりは日本人としては割と既知な部分が多いが(もっとも、海外では新規要素は大だろう)、米国へのレストラン寿司業の浸透(レア焼きなど「生」に至るまでのハードルを下げる。調味料を変えて日本風味を軽減するなど)が興味深い。
また、結局、鮪の大口買取先が日本市場のため、日本の経済力が大きく左右している。実際には鮪の価格高騰はバブル期が中心である。
そのため、もともと米豪では買い叩かれていた鮪が高価格帯へと変貌したということは驚きとともに納得。
さらには、かかる事情が、本書にあるような世界各地での鮪養殖業を花開かせ、あるいは空輸を含む運搬業・冷凍技術の発展を加速させた。
一方、価格高騰の皮肉な結果とも、暗部とも言えるが、関税逃れなどのブラックマーケットの形成もまた然りか。
2008年刊行。著者はフリージャーナリスト。
一番面白いのは、戦前戦後からのリトル東京の栄枯盛衰、そしてリトル東京やロサンゼルス等で日本人が寿司レストランを成功させていく様である。
ここでは失敗者の例は上がらないが、おそらくは存在したであろう数多の失敗者の屍を乗り越えて栄光を掴む様は、日本人らしさを生かしたアメリカン・ドリームのよう。