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紙の本
まさにおそろしです
2008/09/03 19:52
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さあちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々の宮部みゆきの新作。結構分厚いなあなんて思いつつ今度の休みにゆっくり読もうなんて楽しみにしていた。でもちょっとさわりだけ読んでみようかなと思いページを開いたらついつい引き込まれてしまう。ここらへんでやめとかなきゃ明日は早いのよなどど囁く理性の声もどこへやら気が付けば日付はとうに変わっていたのだ。まさに時間を忘れさせる宮部みゆきのこの作品は本当におそろしである。
物語は訳あって親元を離れ江戸の叔父夫婦の営む袋物屋三島屋で暮らすおちかはひょんなことから百物語になぞらえた不思議な話を語るお客を迎えるようになることから始まる。訪れた客人達が長い間胸に秘めていた話を聞くうちにやがておちかの心の中にもある思いが生まれてくるようになる。実はおちかはある事件をきっかけに心を閉ざしてきたのだ・・・
本書で語られる話はどれも不思議で妖しい。そして人の持つ欲望の深さや身勝手さを容赦なくえぐりだしてくる。だれの心にも棲む暗い欲望。時に人はそんな気持ちに押しつぶされてしまう。しかしそんな自分に気が付いた時にやり直すことのできる強さも持っている。そんな人としてのあり方は何処にあるのか。おそろしを作り出すのも極楽をつくりだすのもみなひとの心。
そんなひとの心の切なさと醜さといじらしさと希望が丁寧に描き出されていると思う。
本当におそろしなのは心に亡者を住まわすこと。そして徹夜させられる作者の力量である。ああおそろし。
紙の本
その先にある悲願を叶えん
2008/10/30 13:03
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
多くの人は悲しみや苦しみを抱え、押しつぶされそうに成ると助けと救いを外に求めてしまう。誰か話を聞いてくれ、誰か私を救い出してくれ、ここから連れ出して、誰かこの苦しみを代わりに負ってくれ・・・
自分の中で全てを浄化できる人間は、今も昔もきっと少ない。
悲しみは心を閉ざさせ、苦しみは目を曇らせ、辛い思い出はその過去も今も自分自身すらも押し殺し、ソレに囚われて身動きできなくなる…そんな彼らを人は地縛霊、などと呼ぶのかもしれない。本書にも登場する人食い家は、そうした暗く悲しい、恨み辛みを抱え込んで動くことすらかなわなくなった吹き溜まりの具現化なのかもしれない。
余談だが、西洋のお化け屋敷は家そのものが人を襲う。無論そのきっかけや陰惨な過去話はあるのだろうが、無差別に侵入者を襲い、文字通り食ってしまう。あの堅固な石の造りで出来た家や城は外と内との境界が明らかに隔絶させており、「一度入ったら出られない」その現象はまさしく物理的なモノによって阻まれる。もしかしたらそれは迷宮が発達した西欧文化によるものなのかもしれない。
が、比べて日本のお化け屋敷(もちろん昔の木造建築、茅葺屋根の頃を指していうのだけれど)は出入りが妙に単純である。障子一枚、襖一枚隔てた先で怪異は起こり、物理的というより心理的な恐怖に呼びかける。そこで語られるのは「幽霊」の個々人の極めて個人的な恨み辛みであり恨まれる側が存在する(した)設定であり、彼らは八つ当たり、というよりはむしろ聞いてくれ解ってくれ慰めてくれといわんばかりのすがりようである。
そう、日本の幽霊は、すがってくるのだ。家そのものではなく底に溜まった彼らの心が。巻き込むのではなく、話を聞いてくれそうな人を、同情してくれる優しい人を引っ掛けては連れて行く。一人は寂しい、こっちに来てよ・・・話を聞いて、わかって頂戴・・・と。
本書における聞き手・おちかの周りに集まるのは皆、抱え込まれて浄化することが出来ずに燻っている悲しみだ。
いってみれば、彼らは話してスッキリした、という至極単純な解決方法を求めているだけかもしれない。
「言えば楽になる」と私たちはよく口にする。もちろんそんな単純な単純なことばかりではないけれど、心のうちを聞いてもらうということ、その存在を知ってもらうということは、口で言うほど単純な作業ではない。それを忘れてはならないのだ。
おちかは命がけで人の話を聞く。己の過去から逃げて、閉じ込めておいた燻る過去を、彼らと共に話し、聞き、共有することで浄化されるのだと懸命に訴えている。彼女もまた戦っているのだ。
話を聞く、それは人一人の持つ物語、つまりは人生の一部分を小さな窓口から抽出するという難儀なこと。
話す、それは己の全てを正確に語り、理解してもらうためにいくつかの痛みも伴うということ。
話す側も聞く側も違う人間なのだから、両者はきっと困難を伴うに違いない。聞き手も語り手も違う人間なのだから、完全な語りと理解は永遠に不可能なのだろう、でもだからこそ私たちは静かに耳を傾け、真摯に語らなくてはいけない。その先に浄化という悲願があるのだから。
紙の本
本当におそろしいものは
2008/10/13 18:25
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
叔父が営む三島屋で働いている17歳のおちかは、或る客のうちあけ話を聞いたことがきっかけで、不思議な話の聞き手になる。最初叔母も周囲も怪しんだこの試みは、おちかの心に変化をもたらしてゆく…。
百物語と銘打っているのだから、各話とともに、おちかの過去が徐々に明かされるのだろう。つまり、お客の話とおちかの過去という二つの話を読者が楽しむ趣向になっているのかと思ったが、違っていた。
第一話『曼珠沙華』から、おちかがただの世間知らずのお嬢さんではないことが明かされ、第二話『凶宅』で思いがけない人に過去を言い当てられ、とうとう第三話『邪恋』では全てが彼女の口から語られる。
おちかの物語には、この本で一応の決着がついてしまうのだ。とすると、このシリーズがこれからも続いていく可能性はないのだろうか?続けていくのならば、おちか自身の成長をどう描くかが難しいかもしれない。
不思議な家の家守りが言うところの「ここに来たがる連中」とは、欲に目がくらみ家庭を壊す男であったり、別の欲のために他人を利用する男であったり、つまりは自分が可愛い、自分さえ良ければいい人間達。
「人間とはつまるところ、そういうものだ」と言う家守に対して、「そうではない」と対峙し続けるのが
おちかの役割となるのだろう。
他人を助けている行為が、同時に自分自身の傷や過去と向き合うことにもなってゆく過程は
同氏のSF『ドリームバスター』とも似ている気がした。やはりどこか、宮部さんの作品は
時代劇でもファンタジーの匂いがする。
紙の本
なんていうか、荒療治というよりは素人療法っていうきがするんです、三島屋のやりかたって。相手のことはなんにも考えていない。こんな大人にいいようにされて・・・それにしても、救いのある話を忘れたんでしょうか、宮部さん
2009/03/04 20:44
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
遠目で見ただけでも、「もしかして、あれって宮部の新作?」って思わせるカバーではないでしょうか。宮部の時代小説のカバーはかくあらねば、というイメージが既に読者のほうに出来ている、っていうのはかなりすごいことだと思うんですが、それにうまく応えた小泉英里砂のイラストもお見事です。問題があるとすれば他社の作品との差別化ができないことでしょうか。
装丁は、鈴木久美(角川書店装丁室)とあります。ふむふむ、角川書店装丁室とくれば高柳雅人の名前だけが書かれてきた気がしますが、何となくスタンドプレイみたいでウンザリ気味でした。今回、別の、女性であろう名前が見えたことは喜びです。ちなみに素材提供はゲッティ イメージズ/アフロ。いつもは Gettyimages と英文字表記なのに、なんで突然?なんて思います。
ちなみに私は出版社は違うものの、造本のイメージから勝手に傑作『ぼんくら』シリーズ、もしくはそれに似た辛いけれど、どこか楽しいお話だとばかり思っていたのですが、実際は、いかにも宮部らしい暗いお話でした。物語の舞台となる三島屋を宮部は、第一章の冒頭でこう書き始めます。
袋物屋の三島屋は、筋違橋先の神田三島町の一角にある。屋号はこの町名から頂いた。主人の伊兵衛が、笹に袋物を吊るしての振り売りから一代でつくりあげた店だから、他にそれらしい由来はなかった。
またこの三島町界隈は、もともと伊兵衛の商いの縄張でもあった。
当時の江戸には袋物の名店が二つあったそうです。三島屋は振り売りから身を起こしたこともあって、その二店とはどこか違う粋なものを扱うことで地歩を固めてきた。そして単なる安売りはしません。そう、かなりしっかり者の夫婦、伊兵衛とお民の二人が10年かけて「三島屋を知らぬならまことの数寄者にはあらず」と評してもらえるようにしたのです。
そして、宮部はこのお話の主人公について
さて、三島屋には、ちょうどこの曼珠沙華が花を咲かす少し前に、奉公にあがったばかりの娘が一人いた。
秋口のことだから、女中の出替わりではない。手が足りなくなって入れたというわけでもない。おちかというこの娘は、歳は十七。主人伊兵衛の長兄の娘、つまりは姪である。(中略)
おちかは、この長兄から三島屋が預かった娘であった。奉公というよりは行儀見習いである。ただしこれには、嫁入り前の娘を一度は江戸の水で磨きたいという親心以上の、一抹の事情が絡みついていた。
と描きます。おちかの容貌についてあまり詳細に描かれることはありませんが、いわゆる美少女ではなく、でもお嬢様らしい容姿だったようです。心も優しいのですが、といってそれはお嬢様の域をでるものではなかった、それが悲劇を生みます。その結果、三島屋に身を寄せることになます。
心に負った傷を癒す、そのために伊兵衛がとった荒業、それが三島屋の座敷「黒白の間」でおちかに、さまざまな人が語る百物語です。
ただし、百話完結のお話ではありません。四話プラス最終話の五話で終わります。目次にしたがって各話を簡単に紹介しておきましょう。
第一話 曼珠沙華:いく人かの職人を抱える建具商の藤吉、なぜか彼岸花を恐れる男が、三島屋のおちかに語る四十年前の出来事、それは喧嘩のあげく島流しにあった兄のこと・・・
第二話 凶宅 :六人の家族を養うため錠前直しを生業とする父・辰二郎が請負ったのはお屋敷の土蔵の錠前に鍵をつけること、語りだした女は、自分を「たか」といい・・・
第三話 邪恋 :おちかが江戸・神田三島町に叔父・伊兵衛が構える袋物屋「三島屋」に身を寄せることになった出来事、17歳の娘が決して語ろうとしなかったことは・・・
第四話 魔鏡 :どこか雰囲気がおちかに似ているという仕立て屋の娘だった「お福」が語り始めたのは、病弱ゆえに江戸を離れて育つことになった美しい姉が健康になって戻ってきたときのこと・・・
最終話 家鳴り :お福の話は終わったものの、その後が語られることなく終わった人々のことが気になってならないのが、お民。そんな時、おちかの兄、喜一が三島屋にやってくるという。三月ぶりの兄妹の再会は・・・
決して楽しいお話ではありません。それに、おちかのためにとったという伊兵衛の策が強引で、結果さえよければ、という姿勢は運クラのノリでしょう。戦前の軍隊のそれ、といっても過言ではありません。今、これをやったら虐待になるんじゃないか、私はそう思います。暗い話が、いっそう不快になる。おまけにユーモアがどこにもありません。人情もあまり感じない。
私は宮部の時代小説を現代小説より面白いと思っていますが、この作品については同程度だと思います。折角、時代を変えたのに、それが生きていない。期待が大きかった分、評価を厳しくしました。最後はデータ。
初出/「家の光」2006年1月号~2008年7月号
*単行本化にあたり、加筆、修正を行ないました。
紙の本
ほんの少しの差
2017/06/14 15:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
人の欲や弱さがおそろしくも悲しい結末を呼ぶ様を描いたシリーズの開幕。誰しも弱い部分はある。それが悲劇に繋がったのは ほんの少しの運や心映えの差なのかもしれない。
紙の本
恐ろしいよりも悲しくて落涙
2008/09/21 16:21
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
神田三島町の袋物三島屋に美しい姪が引き取られます。
主人伊兵衛の兄の娘に当たるおちかは、川崎の宿で生まれ育ち
働くのが当たり前の生活を送ってきましたので
三島屋でも女中としてこまごま立ち働きます。
ある日、商売が入った伊兵衛の代わりに
おちかは客人の藤兵衛の昔話を聞くことになります。
おちかに話を聞いてもらった藤兵衛は心おきなく
間もなくこの世を去ります。
そして心に秘めた傷を抱え、一生背負って行こうと決心している
おちかにも、大きな転機をもたらします。
伊兵衛はおちかのために不思議な話を語ってくれる人を募集し
屋敷の「黒白の間」で変わり百物語を始めます。
宮部みゆきの切々とした語り口に乗せられて
ふたつの怪談のあと、おちかの悲劇が語られ
そこにもうひとつ、怪談が加わります。
けれど「怖い」というよりも、どの話も「悲しい」。
それぞれの怪談は趣が違うのに
どこか底辺で繋がっているような気持ちになってきます。
運命のいたずらと人の弱さと尊大さが重なった時に
ふと化け物に魅入られてしまったような話です。
誰もが踏み外してしまうような運命に涙が止まらない。
こういうのがうまいんですよね。
いつもは善人ばかりを描きますが、本書の主人公おちかは普通の人。
これも新鮮味がありました。
紙の本
いつの間にか夢中で頁をめくっていました
2009/02/05 19:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸の神田三島町の一角に店を構える袋物屋の三島屋。訳あって、その店の主人である叔父夫婦のもとに預けられ、働くことになった十七歳のちかが、店の「黒白の間」で、そこを訪れる人たちの不思議で怪しい話を聞いてゆく。不思議で怪しい、切なさと怖さ、恨みと憎しみ、割り切れぬ思いなどが絡まり合ってゆく。曰く、変調百物語。その聞き手となった主人公のちかが、語り手となる人たちから百物語の話を聞いていくことで、語り手とそこに関わる人たちの呪いを浄化し、それとともに、自らが負った災厄の根っこを見つめ、逃げずに相対してゆくようになるのですね。
著者の『あかんべえ』と好一対の、健気な少女と幽霊あるいは幽鬼たちが心を触れ合わせ、それぞれに浄化、変容、再生していく物語。第一話「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」の話から、「お! これは、読ませるじゃないか」と、話の中に引っ張り込まれ、「凶宅」「邪恋」「魔鏡」と読み進めていくうちに、いつしか夢中で読みふけっていました。とりわけ、「魔鏡」「家鳴り(いえなり)」と続く終盤、物語の第四コーナーの一瀉千里、怒涛の勢いは圧巻。「魔鏡」に出てくる美しい登場人物は、殊に印象強烈。怖かったなあ。上村松園の『焔(ほのお)』という絵に描かれた女性がゆくりなくも思い出されまして、ぞおっとしました。
愛する心と憎む心、気遣う心と悪意の心、そうした人の思いというのは表裏一体、紙一重のところにあるのだなあと、本書をひもといていくうちに、しみじみ感じ入ってしまいましたねぇ。登場人物の伊兵衛の言う、<何が白で何が黒かということは、実はとても曖昧なのだよ>との言葉が、ことのほか印象深く、忘れられません。
蛇足ながら、「最終話 家鳴り」の中、ある人物が言う「姉さんが来た、姉さんが来た」という台詞のことで。ここはおそらく、著者の敬愛する岡本綺堂『半七捕物帳』の記念すべき第一話「お文(ふみ)の魂」を念頭に置いています。本書をはじめ、宮部さんの江戸時代ものの小説の雰囲気、なかでも怪しの雰囲気には、岡本綺堂の『半七捕物帳』『三浦老人昔話』『青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)』などの作品に非常に通じるものがあります。未読の方は、そちらもぜひ、お読みになることをおすすめします。
紙の本
真ん中にあるのは人の心。だから、どんな人にもまっすぐに届く
2012/01/30 14:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮部みゆきは、ファンタジーからミステリー、時代小説まで幅広い分
野を手がけているが、特に時代小説がいい。巧みな語り口が時代物には
ぴったりなのだ。この「おそろし」についていえば、心理描写、情景描
写が冴え渡っていて本当にすごい。まさに「円熟の境地」である。
この物語、副題は「三島屋変調百物語事始」。宮部みゆきによる「百
物語」の始まりだ。主人公はおちかという17歳の少女。ある事件をきっ
かけに心を閉ざしている彼女は、江戸の叔父夫婦のもとに身を寄せてい
る。働くことでなんとか自分をごまかし生きているおちか。そんな彼女
を見て叔父の伊兵衛は、様々な「不思議な話」を持ってやってくる客の
話を聞いてくれと頼む。叔父は話を聞かせることで、おちかの心を解き
ほぐそうとしているのか。訪れる客はおちか同様、心に深い闇を持つ者
ばかり。何かを忘れることができず惑い、苦しみ、途方に暮れている彼
らの哀しみの深さが心を打つ。そして、おちか自身も…。連作で5つの
物語が収められているが、大団円となる最後の話がなんともすごい。
時代小説をあまり読まないという人にも宮部みゆきはおすすめだ。こ
れは時代物であり、ミステリーであり、怪談であるけれど、結局は人情
話なのだ。真ん中にあるのは人の心である。だから、どんな人にもまっ
すぐに届く。ぜひ一読を。続編は「あんじゅう―三島屋変調百物語事続」。
紙の本
また泣かされてしまいました~
2008/09/22 19:10
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kako - この投稿者のレビュー一覧を見る
どちらかというと宮部さんの書く現代小説よりも時代小説の方が好きなのですが、やはり今回もとても感慨あふれるものに。
ハラハラ涙がこぼれてしまうのを人に見られるのが恥ずかしくて、途中からは一人でこっそり読みました。
百物語として語られる、恐ろしいと言うよりも不思議で少し悲しいお話。
冒頭から一気に引き込まれるというよりも、読み進めるにあたって徐々に心をひきつけるような展開です。
聞き手おちかの悲しい過去を、少しずつ百物語一つずつに散らばめて明かしていくうちに、語り部と聞き手はいつのまにか語り手と自分になっていくような錯覚が。
そして読んでいても「それはしょうがないよ」とつい思ってしまう自分を「あなたって冷たい人ね」と見透かされ、切なくて涙したその涙が独りよがりの涙だと問いかけられ、人間のどうしようもない気持ちを、「仕方ない」と片付けていた気持ちを掘り起こして問いかけられてしまいます。
死んでしまった人よりも、生きている人間の方が「おそろしぃ」そういわれているようです。
しかしそうして人の心を追い詰めながらも、それでも人は前をみて歩き続けることができるとも、同時に教えてくれます。
人間とはなんて罪深くて愛しいものなのでしょう。。。
宮部さんの作品はどれも、なんとなく最後読み終わったときに心惹かれるものが多いのですが、こちらも最後まで読み終わって「ほろ切ない」気持ちになってしまうものでした。
紙の本
泣ける怪談
2012/06/11 09:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽかぽか - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやー、面白かった。一気に読んでしまった!
5つの怪談が互いに入れ子になりながら織り込まれていて、そのどれもが濃密で面白い。一度も中だるみすることなく、次々と現れる登場人物が主人公のおちかを狂言回しに絡み合って、物語全体を濃厚に味つけしていく。怪談と言っても薄っぺらい現代ホラーでは当然ないし、小泉八雲のような怪談とも、昭和初期の怪奇幻想ものとも違う。どちらかと言えば三遊亭円朝や、夏の夜に落語家が語る怪談に近いように思う。その違いはどこからくるかというと、あとがきにも書かれていたけれど、人情味があるということなのではないだろうか。
もちろん背筋が凍るような恐~い場面も出てくるのだけれど、この本の面白さは、「怪談」というジャンルの面白さというよりも、登場人物一人ひとりが何かを語る度に、まるで自分がその台詞を語っているような気持ちになって、恐がったり、笑ったり、焦れたり、心配したり、泣いたりできる感覚的なところにあるんじゃないかと思う。それはファンタジーだろうが、時代物だろうが関係なくて、昔から面白い映画や演劇や小説に共通するものなのだろうなぁ。いや~、ほんと面白かった~。