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紙の本
日本に古代はなかった
2008/10/15 07:27
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る
●西欧と中国の共通点
ヨーロッパの歴史は、ギリシャ・ローマの古代、ゲルマン民族大移動後の中世、ルネッサンスの近世、という大きな枠組で語られることが多い。中国では、秦・漢帝国の古代、隋・唐帝国の中世、宋帝国の近世、という時代区分が一般的である。
ヨーロッパにおける古代と中世の画期が、西ローマ帝国の崩壊した476年。中国のそれは、後漢が滅びる3世紀初頭である。いずれも都市国家の形成を経て大帝国が出現した古代から、異民族の侵入による混乱・停滞の中世へと向かうのである。古代から中世への移行は、ヨーロッパ、中国とも、年代のずれは多少あるが、似たような経過をたどる。一説には、異民族の移動は、紀元後から数百年に及んだ寒冷化の影響で、北方の民族が南下したために起きたという。
翻ってわが日本であるが、ローマや漢のような古代帝国は存在しなかった。また、日本史ではおおむね平安時代までが古代に含まれるが、それだと中世の始まりが12世紀になってしまう。ヨーロッパ、中国とのずれがあまりに大きすぎる。
つまり、日本に古代という時代区分を設けるからおかしなことになるわけで、ヨーロッパ、中国のような古代は日本にはなかったことにしたらどうか、というのが著者の主張である。
日本史は中世から始まるのである。国家と呼べる体制を築いた飛鳥、奈良は、隋・唐の体制を模倣して作られたわけであるから、中国の中世との同時代性を認めても良いだろう。また、ドイツやデンマークでもいきなり中世から歴史が始まるので、日本も同様で構わないのでは、ということである。
●関東史観、関西史観
また、本書の後半では、関東史観、関西史観について論じられている。日本の政治史において、鎌倉幕府の存在を重視するかしないか、それが関東史観と関西史観の違いであるという。
関東の人間は、武士による新しい社会の到来として鎌倉幕府を位置付ける。日本の政治の中心が京都から関東に移り、質実剛健な武士の生き方が、華美で軟弱な京都の貴族文化を凌駕したと説く。貴族中心の古代は終わり、鎌倉幕府成立から武士の社会、封建制の中世が始まる。これが「関東史観」である。
一方、古墳時代から日本の中心地であった畿内の人間は「関西史観」の立場をとり、京都中心の政治史を固持する。鎌倉時代に京都が凋落したわけではない。現に、執権北条氏が滅びた後、再び政権は京都に戻り、室町に幕府が開かれたではないか、と。鎌倉時代というのは、荘園からの上がりを取る権力層に、それまでの貴族、寺院に加えて武家が割り込んできただけだ、というのだ。
私が思うに、武士といっても、源氏(清和源氏)にしろ、平氏(桓武平氏)にしろ、天皇の子孫である。その意味では「天皇の政権」は続いているわけで、まったく新しい支配層が登場したわけではない。藤原氏に代わる源氏、足利氏、徳川氏が出てきただけのことではないか。もっとも、徳川が新田源氏の末裔というのは詐称かもしれないが……。
西洋史と東洋史を同じ枠組みで捉えようという壮大な構想は目から鱗が落ちるようで、知の地平が切り開かれたような爽快感がある。しかし、最後に関東史観、関西史観という狭量なオチにもっていったのは残念である。
また、いろいろな歴史家の考え方や歴史観を披瀝して実証的ではあるが、著者自身の古代、中世の定義がいまひとつ明確ではない。この点ももっと分かりやすく論じて欲しかった。
紙の本
知的遊戯としては面白い。
2016/05/15 23:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史区分は研究上の必要で便宜的に利用するものだと思う。歴史区分を再構築することで、歴史が変容するとしたらその方がおかしい。ゆえに本書の論点は最初から不毛である。京大と東大の学閥の話やヨーロッパ史の中世の認識など面白いところも多いが、あくまでも知的な遊びとして面白いということである。飲み屋で友人と話すネタとしてはよかった。
電子書籍
日本史における古代の定義の話
2014/10/05 21:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:純塩 - この投稿者のレビュー一覧を見る
井上章一と古代、という組み合わせから、衝動買いのe-bookである。読んでいって、最初はしまったと思った。古代そのものの話より、その定義についての話が延々つづくからである。元々、日本史には大変疎い人間が、どちらかというと歴史の先端の話をそれも、東京と関西で、それぞれの定義が異なり、最近は関西(京大)の説が優勢であるとか。でも、その中世の定義が、世界の他の動きとは異なっているというところから、少し面白くなってきた。要するに、明治の時代に中世の定義が新しく作られていったというのである。それは脱亜入欧を目指す当時の論壇の、東大の説、すなわち鎌倉幕府が出来て武家社会が出てきたところが、中国と違うごく日本的な時代区分であって、それは、とりもなおさず京都が旧態依然とした保守的な、どちらかというと中国の真似をしてきたやり方を、根本的に捨て去るべき時代であるととらえ、古代に定義づけられたが、実は、中国では古代は日本の数百年前に終了していてるのだが、全くアジアと国中国の歴史とは独立した動きが日本に有ったとしたい、当時の東大が、今教科書に載っているような定義を作ったのだということである。また、歴史学者の出身がそれを後押ししてきたというところも面白い。
電子書籍
古代はある
2014/12/03 11:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:atmark - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代はない、というのは語義矛盾では。
「古代」とは他国でいう帝国のようなものがあったかどうか
ではなく、その起源というべき文化、あるいはのちに一掃されるような
別の容態があったかどうかを確認する時代性を意味していると思います。
それをいかにも天皇史観で通史的に語ることだけが歴史である、という
認識はそもそも歴史学者がとってはならない視点であるはず。
東西史観はそのことに比べれば些細なことであって、それ以上に
この書は歴史本ではなく政治本と言うべきでしょう。
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