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法隆寺、薬師寺などの修理をした宮大工、西岡常一のお話。
「建物は中の構造が一番大事だ。外側の形式から入ると、中の構造に矛盾が出る場合がある」とか「外側が奇麗かどうかなどは本質ではない。そんなものはいつでも直せる」、「しっかりした構造で作ってあれば、あとは修理をしやすいようにしておけば、建物はいつまでも維持される」(172)
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(息子談)・・・ほんとにおやじの口伝がすばらしいと思うなら、まずあなたからその通りに行動してくださいよ。
―飛鳥に帰れ。
痺れます…。
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職人の姿勢、師弟関係の在り方について考えていく糸口になった本。
五輪の書でも、大工や棟梁の心構えは兵法軍学に通ずる、という考えが述べられている。組織の在り方、維持可能な組織の条件を考える際のヒントとなるかもしれない。
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宮大工と言えば、西岡常一というくらい、今でもTVにでてきます(1995年に86歳でお亡くなりになられていますが、先日も、唐招提寺の千手観音修復の番組で釘・金物を造る白鷹幸伯氏が偲んでいました)。
本書の座談会で、
石川 また棟梁は、「古代建築の復元というが完全な復元はできない。江戸時代には江戸時代の、昭和には昭和の技術がある」と。
山本 「古ければ何でもいいわけではない。ただ古いだけなら、そこら辺の土や石が一番古い」とも言っていました。では、何が文化財として残っているか。それは技術のあるものだけだと言うんです。だから技術を持った職人を残さなければならない、ということになるんです。 ところが、今回は何とかできた、というのが国の姿勢だと怒っていました。「麦の種を食べてしまったら、もう来年はならんよ」と。つまり職人を育てなければ、いずれモノが造れなくなるということです。
というやり取りがあったのですが、なるほどなと思いました。
私がちょうど、高校の修学旅行で薬師寺を訪れた時、西塔が新しくなっていたのですが、その仕事をしたのが西岡常一だそうです。 当時の私は、色あせて渋い東塔と比較して、目が痛くなるような青と丹の色をした三重塔は「趣味じゃないなぁ」なんて思ったものですが、その考えは間違っていたのかもしれません。
1200年前に造ったその姿を再現すべく昭和の技術を集める、それを通じて技術が伝承していく。そのことが大切なのかもしれないなとこの本を読んで思いました。
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前回インドネシア出張の際に機内で読むために購入し、今回韓国出張時に再読。当時からは担当が替わり、別な視点、感想を持ってで読むことができた。筆者の世界観、時間スケールの大きさ、仕事に対するプロ意識、人材育成論・・・、前回とは違った部分、違った感銘を受けた。再読の面白さを認識させられた書ともなった
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『堂塔の木組は木の癖組。』『木の癖組は工人たちの心組。』
古代の建築は、ひとつひとつの材の癖を許容して、全体としてバランスをとっていく。現在の木造建築でよく議論される「リダンタンシー」を、飛鳥時代の建築から読み取り実践している。大量生産が可能になり、規格文化が進んだ室町以降の建築は、外面的には整っているが同時に痛みがはやいという指摘は、現代建築がもつ危うさとも重なるように思う。
やはり、頭だけでなく、手を使うことで学んだ人の言葉は重みが違う。「口伝」の重み、というタイトルがすばらしい。
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法隆寺、薬師寺などの補修を行った宮大工・人間国宝として有名だった棟梁と呼ばれた方なので、テレビなどでも紹介されることが多かったですが、改めてこの人の人生に触れて、職人というよりも宗教家ともいうべき深みを感じました。祖父・常吉が自分の後継者として直接口伝によって伝え、常吉の養子だった父・猶光とは兄弟弟子のような存在だったとのこと。そして常吉と猶光が常一が高校進学にあたり、農学校か工業学校に進学させるかで意見が対立し、結局常吉が宮大工はまず土のことを学んで、そこから育った木が分かるのだとしてどうしても農学校へ進ませたという。それが常一が「木と対話する」宮大工になっていったということに凄みを感じました。
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内側から出るものが、外に出る。
常に外に気を使って、内側を鍛えなさい。
教育は、教えて育むことだよ。
背中で語る男の生き様の行間を読め!
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途中で飽きた。というか、専門用語が多すぎで、読むのに疲れてやめた。「木を見るのではなく、山を見る」「製材ばかり使うと、職人の腕(物を見る目も)がおちる」「性質の違う物だからこそ、その組み合わせで強靭な建築になる」この辺りの言葉は心惹かれた。