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雑誌の書評で見つけて本屋で立ち読み読破。
大学にあるような感じの本。声には昔から
興味あるので面白かった。
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人の薦めで面白い本に出会った。
『声の魅力』 アン・カープ著/横山あゆみ訳
人間だけが持っている最強の道具である「声」について、心理学・解剖学・言語学・人類学・児童発達学・ジェンダー学・文化研究の領域にまでも及んで書いている本。
・・・かといって難しい本ではなくて・・・
著者本人は特に言語学などの専門家でもなく、アナウンサーでもない。ジャーナリストであり、社会学者でもある著者が、その人生経験から、声について解いている。声・・それが、重要なものらしいという認識をみなが持っているにもかかわらず、目にも見えず、形もなく、時間の中にしか存在しない(現在は音声周波などを読み取る機械はあるものの・・)声というものがどんなに深いものであるか教えてくれている。
たとえば・・・
メキシコ南部のテネハパという土地に行き、ツェルタル語を話す人に会うと・・・、彼らは人の離し方についての話題で長い時間話すらしい。優劣をつけたり、意見を言ったり、真似したり・・・。なぜなら、言葉について語る「言葉」が豊富だという。
「甘く心地よく歌うような声で話す」とか、
「悲しみに暮れているかのように非常にゆっくり話す」とか、
「裏声とまではいかないが、ほとんど歌っているような高い声で話す」などの表現を・・・
たった一語で言い表すという。
・・・驚き!ナレーション収録現場では「この商品、興味ないけど、よかったらどうぞ的なトーンで(=かっこよく、ふふんっ!って感じの意味だった)」とか、「もっとイタリア人っぽく(=そのときは、色っぽく/エロっぽくという意味だった)」とか、ディレクションされることがあるけれど、ツェルタル語があったら、もっとダイレクトに理解できるかも(笑)でもまあ、それを探るのが仕事でもあるし、受け取ることが、ナレーションに次回も続けて呼ばれるかどうかの重要な要素だから、ツェルタル語があっても困るわけだけど・・・(笑)
先日も、「外国人っぽく」と言われたナレーションがあったけれど・・・。そのナレーション原稿自体は日本語でもなく、英語でもない造語と、あるヨーロッパ語だった。ヨーロッパ語に関しては、ネイティブに近い発音だと日本人にわからないので、多少日本語カタカナっぽくということで・・・(笑)
かくして、「外国人ぽくしつつ、日本人にもわかるように」という努力をしてみました。
ちょっと話がそれたけど・・・。
ほかに、ツェルタル語にはこんな表現も一語でまかなえるのだという。
「話し手が外で用を足すために途中で途切れた話」や、
「話し手が眠ってしまったために声がしだいに消えていった話」、
「『今行くよ』と言っておきながら、その気がないときのふざけた声」だとか。
こういう声のトーンをあらわす語が、400を超えるという。なんとも面白い国。裏返すと・・・それだけの違いがそれぞれにはあるのに・・・私たちが暮らす日本では、その区別がないということ。
ついこの前まで、とある音楽専門学校にて、18歳から20歳までの生徒に「美しい日本語」という��業をしていた私。鼻濁音・無声化とか、イントネーション、題材によって使い分けるトーンなどを、自らも本などで勉強しながら教えていた。教えているうちに、自分の耳で過ちがわかる人とわからない人がいることに気がついた。発話したときの音は自分にはそのままの音では聞こえない。昔テープで自分の声を録音して、「いやだ~!私こんな声じゃないもんっ!」と言った覚えのある人は多いだろうけど、そう、実際音になって口から出てくる声は自分の聞いているものと違う。ただ、それが自分の発している声なわけで・・・。
さすがに私はもう慣れたけど、これは、自分で声を録音して何度も何度も聴かないと、音になったときの微妙なニュアンスはわからない。わからないということは・・・つまり、それに変化をつけられないということ。ナレーションをやる場合のディレクションに的確に答えるためには、自分の声がわかってないと対応できない。私自身も、しゃべり方の特徴の他に、低音と高音のどこら辺が強いのかとか詳しいことはわからない。ミキサーさんや仕事相手に指摘されることを書き留めて、貯めている。機械に出るけど、聴いててもほとんどわからない程度のもの。でも、それが人の耳には影響する。ちなみに私の場合は、前日にカラオケをしたり、寝る時間が足りなかったり、風邪が直った後とかは・・・低音が弱くなる。それぞれの人ごとに違う変化があるんだと思う。
生徒たちの中で明らかに1年後に変化が出ている人は必ず、録音をしまくって聴いている人だった。こうやって口をあけたらこんな風に変わる、とか、こんな気持ちでこの音を発したらこんな風に出るんだとか、いくらでも違う印象になることがわかるし、それだけ沢山の表現があるんだとわかるようになってくる。ちゃんと練習すれば、ラ行が苦手だろうが、舌足らずだろうが、無声化ができなかろうが・・・変わる。1年後に変化しない人は、録音をしない人。自分の声を聴かない人。
でも、まだ若いし・・・私が同じ年齢だったころ、「○○になりたいっ!」って思ってその道に進んではいなかったもの。なーんもわかんなかったし。だから、このことを理解して実践をしている彼らを見ると、すごいなあと思うのです。
さて・・・本に戻るけど、女性の声帯は一日に100万回以上振動し、男性のそれは50万回程度だそうだ。女性の声帯の方が比較的長くて薄く、張りが強い。高音であればあるほど振動回数は多くなるので、声の高いよく喋る女性はどれほど強い声帯を持っているのだろうと感心する。この本によると、非常に低いバスの声で一秒に32回の振動(32ヘルツ)。高いソプラノだと一秒に1000回の振動(1000ヘルツ)。普通に話しているだけで、一秒に98回~262回の振動をしているという・・・私たちの声帯。
ある人から聞いた話なんだけど・・・
とあるナレーターのマネージャーさんが、ナレーション中にこう言った。「顔が笑ってないと、笑い声にならないよ」・・・と。
そのとおり、本でも教えてくれている。目の周りの筋肉の次に、体で神経が集中しているのが咽頭だという。そのほかに、声門を空気が抜けるときの力の入れ方、顎・舌・唇と咽頭腔の調節で大きさと形を変える声道の変化、口蓋の開き具合、口の形、息の量・・・そして気持ちを合わせてやっと音が出る。微笑むときは、口が横に広がるだけでなく、声道が短くなるという。だから、本当に笑わないと、その声が出ない。
私がナレーションをはじめるきっかけになったのは・・・コピーライターの先輩が話してくれたある話。ケロッグのコマーシャルのナレーション収録で、ナレーターの方は、誰もみていないのに、ブースの中で象になったり、猿になったりしていたというのだ。身振り手振りも大げさに。だからこそ、その動物になれる。それに影響されて、今では私も動きながらナレーションをしている。特に両手はいつでも動いてる。そのときに気持ちは「これ、食べて」とか「新しいでしょ?」とかが多いかな。その気持ちに伴って手が出てる。
そういえば、ジョン・カビラさんも、「ゴォオオオオオオオオオールウウウゥッ!!!」って言うとき、ローラーつきの椅子で、マイクから・・・すううっーっと離れながら叫んでた。ブースの中で。マイクの音の影響も考えてのことだろうけれど、やはり、臨場感が生まれると思った。
尊敬する、囁くような声が魅力的なViviさんは、マイクの前に首をひょこっと出して、まるで耳元で囁くような格好。それに伴ってフランス語の声がなんともいえなく素敵。
ああ・・・まだ本の最初の30ページ分しか書いてない・・・(笑)
声に人格があることや、外国語を習得するポイントとか、声で与える印象とか・・・なぜハリウッド映画がエキサイティングで、逆にフランス映画が退屈にみえてしまうのか(面白い面白くないは、個人で意見は違うだろうが・・・笑)、最近のアナウンサーが意識して声を低くしている理由とか、赤ちゃん言葉を使う大切な意義とか・・・まだまだ書きたいことが・・。
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体の4分の3を使っている。
過去の声の記憶とのすり合わせ。
感情を表す。
声はミュニケーションの情報として大きい。人は視覚的な情報ばかりみがち。
言葉の内容ではなく、声から感情を感じる。
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[ 内容 ]
あらゆる人間関係に知らず知らずのうちに大きな影響を与えている私たちの「声」。
相手に好印象を与えるのも、話に説得力をもたせるのも、すべては声しだいだ。
本書は、この人間だけが使いこなしている最強の道具である「声」について多彩な視点から読みとく本だ。
文化や時代が異なると声の使い方はどう変化するのか?
赤ん坊の声から有名政治家の演説まで、知ってびっくりの具体例とともに驚きに満ちた「声の世界」へといざなう。
[ 目次 ]
第1章 声の生態(声が教えてくれること;声が生まれる仕組み;コミュニケーションを彩る「声の人格」;進化するヒトの声;母の声は強し;「母親語」は絆を育むメロディ;赤ん坊の声、恐るべし)
第2部 声を支配するもの(声と自分の複雑な関係;声に表われる感情;声の男女差;男性化する女性の声、女性化する男性の声;文化による声の違い)
第3部 声の温故知新(声の社会から文字の社会へ;人前での話し方はどう変わったか;テクノロジーは声を変える;声が盗まれ、失われるとき)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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声は、人物に対する考えまで変えてしまうとは驚きだ。 また国、文化が違えば受け取られ方の変わってしまう。
声は、アイデンティティ、私自身を表す一つであるとを自覚しもう一度自分とは何かを考えさせる本。
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人間が誰でも本来的に駆使している道具である「声」について、様々な切り口で解説し、意味付けしている。心理学・解剖学・言語学・文化人類学・児童発達学・ジェンダー論まで、切り口は幅広い。一時はメールによって「声」によるコミュニケーションが少なくなったが、スマートスピーカーの登場やコロナの時代になりビデオ通話等の機会が増えて、「声」の出番がむしろ多くなっている気がする。日常駆使している「声」について、コミュニケーション意外の観点でも見直して気をつけると良いかも。あと、個性を表すパーソナリティの語源は「ペルソナ」であり、これは per sona で、音を出すという意味もあるそう。つまり個性とは発言なのだと再認識。