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紙の本
侠客の過去を引きずる医者
2011/04/07 16:03
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じ作者の『啓順』シリーズと同じように、『傷寒論』『金匱要略』、賀川玄悦、などの書名人名、漢方医学の説明が多い。啓順は架空の奥医師大八木長庵の弟子だったが、こちらの主人公北村宗哲(宗次郎)は、実在の奥医師多紀楽真院と友人となっている。宗哲はもと侠客の町医者ということで、啓順(啓次郎)と瓜二つである。啓順は聖天松五郎に追いかけられていたが、宗哲は青龍松五郎に追いかけられていた。紆余曲折の末、最後には江戸で町医者になり、結婚もした、などの点は同じである。しかし、生い立ちや結婚相手との馴れ初め、それに、逃げ回る原因となった殺人事件の真相などは、異なっている。
今現在の宗哲は逃げ回っていないので、ややこしい患者や、その筋とは関わりを絶とうとしているのに面倒を持ち込んでくる侠客や、多紀楽真院からの頼まれ事や、その他、よろずもめごとや相談事に好むと好まざるとにかかわらず首を突っ込んでいく姿は、『物書き同心居眠り紋蔵』シリーズに似ている。早い話が、啓順と紋蔵を足して二で割ったような物語で、紋蔵シリーズを彷彿とさせる詐欺事件も登場する。詐欺事件は『啓順純情旅』にも登場して、啓順は三河から江戸まで問い合わせの手紙を出したりして苦労していた。
宗哲は本道(内科)の医者だが、外科の患者も来ることがあり、たいてい、危険な容態なので、拒むこともできない。侠客の患者は、まず、やばい事件で傷を負っている。岡っ引きがそういうのを見越して巡回に来るので、住まい、名まえ、稼業、傷の原因の記録をとっておかねばならない。宗哲は岡っ引きの和吉と親しく、和吉は嫌な人物ではない。
商家の内儀には、現代ならば心身症とでも呼べるような、頭痛などの患者がいる。あと、割と元気なお年寄りが揉み療治をして貰いに来て愚痴をこぼして機嫌良く帰って行ったり、待合室がお年寄りのおしゃべりの場になっているのは、それはそれで心身の健康に役立っているんだから、ま、いっか、と宗哲が考えていることに、私も賛成する。
とにかく宗哲の医院がはやるので、御蔭で向かいの家までが待合室代わりの茶店を開いている、というから、すばらしい。もっとも、宗哲も初めの二年間ほどは閑古鳥が鳴いて苦労していた、とある。宗哲の妻きぬの兄の空曇も、初めは閑古鳥が鳴いていたが次第に評判の医者となって繁盛し、それが蘭方の医者に患者を奪われてまた閑古鳥が鳴くようになって苦労し、それをまた盛り返そうとし……という話は、啓順が義兄を助けるために、昔とった杵柄を使う場面や、「縫い物ぎらい」という病気(?)が出てきて、おもしろかった。
時代は、水野越前守が天保の改革が挫折して失脚して阿部正弘が老中首座となり、遠山左衛門尉が大目付から南町奉行に返り咲いており、ペリーは未だ来ていない、従って、1840年代後半から1850年代前半にかけて、弘化から嘉永にかけての頃である。町では蘭方医も活躍し始めていた。この時代、外科は既に蘭方のほうが優れていたが、内科はさして違いがなかった。多紀楽真院は蘭方嫌いだが、宗哲は蘭方の良い点も認めている。
病気を治すには、診察して薬を出すだけでは効果が無く、患者の身の回りの出来事や心の中まで気を配らなければならない。『欠落女みつの錯乱』や『お向かいさんの鬼瓦』は、そんな話である。
『小塚原の蝉時雨』は、最後が悲しかった。とても魅力的な男性が登場し、幸せな余生を送らせてあげたいと、思ったのに……。
『跡をゆるりと訪ね三省』は、高位の武家や権力の横暴に非常に腹が立つが、「三省」という人物は、ひょうひょうとしてしたたかで、「附子」という、猛毒にも良薬にもなる薬草にまつわる、恐ろしくも滑稽な、あるいは滑稽だが恐ろしい、失敗(成功?)譚も、おもしろかった。
『ひょっとこの亀』に登場する、すさまじい女、お蝶は、悪女かもしれないが、なかなか、壮快である。こういう女性が、悪女ではなく、颯爽と活躍する物語があったらいいのになあ。
酔狂な大名の悪ふざけに仕返しする藪医者の話や、「鰯の頭も信心から」とばかりに鰹の頭を使って一儲けをたくらんで失敗する武家の話は、ピカレスクロマンと言えるかもしれない。悪党たちの奮闘ぶりと、彼らにとっては酷だが世の中のためにはそれが順当だと思える結末に、納得する。ただ、藪医者の話では、宗哲も、過去の罪によって裁かれるのではないかと、幾晩も悪夢にうなされ、薄氷を踏む思いをする。それこそ、侠客だった男の宿命なのかもしれない。
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