紙の本
面白い、もっとずっと読んでいたかった一冊
2023/04/23 01:06
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
『文藝春秋』2023年5月号の大木毅氏の「日記」というか、要は著者の身辺雑記。執筆、食事、映画、演劇、読書、社会批判をはじめとするネタ自体の豊富さに加え、抽斗の多さと端正な文章が著者の心映えと相俟って醸し出す一滴一滴の豊饒さの故に、読む悦楽を覚えつつ止められなくなった一書。尤も、「新銀座日記」の部分は、病気や体力、気力の衰え、食の細さに関する記述が多くなり、痛々しい。
「戦後の四十年が過ぎ、焼け野原に植えた樹木が育ち、みごとに繁茂してきたので、東京の一部は、見たところ実に美しく変わりつつある。そのかわり、土も水も死んでしまった。このツケは、近い将来に都民たちが必ず、はらわなくてはならないだろう」(142頁)。
「それにしても、むかしの芸人の修行の物凄さはどうだろう。人間ばなれがしている。むろんのことに、寿命もちぢまる。それほどに死物狂いになって我を忘れるから、すばらしい〔芸〕も生まれたのだろう」(179頁)。
「トップ・シーンさえ頭に浮かんでくれば書く。あとは登場人物とテーマを追うだけである」(249頁)。
「五十をすぎると、歳月のながれはあまりにも早い」(320頁)。
「毎日、出て歩くうちに、はじめのころの足の疲れも感じなくなり、体調が快適となるのが自分ではっきりとわかる。やはり、歩かなくてはダメだ」(326頁)。
「第一食だけは自分で考えたものをつくらせる。なぜなら、第一食は、その日の活動の原動力となるからだ」(423~4頁)。
「十月一日の敦賀における原子炉のテストではギリギリのところで、幸運にも大惨事をまぬがれたが、あやうくチェルノブイリと同様な爆発をまねくところだったという。・・・ 「広島と長崎に原爆を落されるまで、あの愚かな戦争をやめなかった状態と同じですね。もう、間ちがいなく、大事故を起すところまで行きつくでしょうね」 原子力の学習会で、こんな会話が、かわされているという。実にやりきれない」(436頁)。
「上の人びとは、きっと、ほかにやる事がないのだろう。またエラくなると何もできなくなってしまうのだ」(482頁)。
「日本の戦後で、もっとも質が下落したのは政治家だ。それは企業の発展と傲慢とに足なみをそろえて下落してしまった」(486頁)。
「ある企業の会長は二年前に引退をしたが、その人によると、「人間、六十をすぎて数年たつと、一切の欲がなくなってしまう。このときが引退のときだと思う」 そうだ。いまの私が、ちょうど、そのときなのだろう」(562頁)。
池波正太郎、1990年(平成2)年5月3日午前3時没(享年67歳)。大きな仕事を考えていたと思しきところ(365頁および374頁参照)、3月12日の急性白血病による入院後の間なしの逝去であった(574頁参照)。
紙の本
池波正太郎の銀座
2020/02/28 19:57
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画をとても多く観ていたんですね。買い物や食事も楽しみながらも、徐々に体調が悪くなっていくところが悲しくなりました。
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淡々とした語り口。池波正太郎の生き様が伝わってくるような。。
試写見て、食べたいものを食べ、そんな晩年を過ごしたいと思わせてくれます。
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週に何度となく出かけた街・銀座。少年のころから通いなれたあの店、この店、そこで出会った味と映画と人びとは、著者の旺盛な創作力の源であった。「銀座日記」は、街での出来事を芯にした、ごく簡潔な記述のなかに、作家の日常とそこから導かれる死生観を巧みに浮き彫りにして大好評であった。急逝の2カ月前まで、8年にわたった連載の全てを1冊に収めた文庫オリジナル版。
【感想】
http://blog.livedoor.jp/nahomaru/archives/50313443.html
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最後の池波節。映画、演劇、食、街並み、ふれあい、人生といったいつもの軽妙ながら含蓄深い日記。ところが後半からは次第に体調不良が目立ち不安感を持ちつつ読み進めることになる。
あとがきに解説をよく読むと、亡くなったのは5月3日だが、その1月ごろまではこの日記が書かれていたことになる計算だ。2月、3月と転がるように体調が悪化してついに。途中にも知人友人との死別について触れていた。確かにそうやって人はいつか必ず死へと旅立つ。男の在り方、そして最後の覚悟。人生の教科書だ。
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世の中で「チボー家の人々」についで何度も読んだ本。
美学をもって、自分のなすべきことを、地道に行う。そして好きなご飯を食べて、好きな映画をみて、家族を食べさせる。それが男。
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これはおもしろい。僕も晩年はこんな生活ができたらなぁなんて思ってしまう。著者は食べることが大好きで(“食道楽”という言葉を使いたいのだが、巻末の解説部分に「食道楽なんて腑抜けなものではない」なんて書かれているために使うことができない)、銀座界隈の食べ物屋さんが実名でたびたび登場しているので、今度は自分でその店をめぐってみたいと思う。良書。
にしても、こんな生活をしてみたいものだ。
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一本筋の通った文章はさすがだ、というのが読み始めた最初の感想。自分の好きなことを堪能して、独りそれで充足してしまう辺りがとても男性的な方だなあ、がその後の印象。ご飯を作る奥さんが大変そうだ。
とても力のある文章で読みごたえがありました。他の小説も読んでみたいです。
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銀座タウン誌「銀座百点」連載をまとめたもの。死ぬ直前まで書かれた。前半は、健康に気をつけなきゃと言いながら、どうしてもおいしいものを食べたくてしかたない池波さんが、かわいすぎる。後半は、だんだん彼の生きるエネルギーがなくなっていくのが良く分かる。読者には寂しい感じがするけど、人生は、いつか終わるんだ。
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80年代「銀座百景」に書かれた日記エッセイ集。 健啖家で美味しいものが大好き、時間ができると銀座に通い、映画を観、 馴染みの店や時には新しい料理屋を見つけ入ってみて「旨い」「まずまず」 「まずい」。 それから少しの買い物をして帰ったら執筆。という日常がつれづれと書かれているだけなのですが、昭和銀座風物誌の ような趣があります。古本屋で見つけてから、何度も何度も読み返してしまう好きな本。銀座という場所や食べる事・呑む事が単に「好き」というより、自分の生活の中でとても大切にされていた事が伝わってくる。
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失礼だがご老体にしてこの食欲は凄いなと。夕食の後に夜食とか天ぷらそばと酒を嗜んだあとにせいろを一枚とか、この食欲があって作品にも活力が出ているのだなと関心する。進み行く文字列の中に月日は明示されてはいないがその時折の事象が記されており、自分の10代の頃と重ね合わせ色々と思い起こさせた。それにしても作者は揚げ物が好きだったんだなぁとつくづく感じる。豚カツ、天ぷら、メンチカツとこの三つの文字はかなりのページで探し出せるのではないだろうか。あと僕のよく行く所も一ヶ所あり時期によって頼むメニューも一緒だったのが訳も無く嬉しかったりして。何はともあれ面白かった。
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川口松太郎さんから「・・・・・銀座日記をよむと、少し食べすぎ、のみすぎ、見すぎ(映画)という気がする。とにかく大切に・・・・・」と言われたという。
銀座日記を読んでいると、本当に池波さんは映画を見ることと美味しいものを食するのが好きなんだなぁと感心する。
そんな池波さんも平成2年5月3日午前3時逝去なされる。享年67歳。
まだまだ、書いてもらいたかった。
池波さんは「死」について作品の中でいろいろ書いている。
「人間は生まれた瞬間から、死に向かって歩み始める。死ぬために、生きはじめる。そして、生きるために食べなくてはならない。何んという矛盾だろう。」
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土地勘があれば当然おもしろさは倍増する。
羽衣でのランチ後のくだりは笑った。
食べログ的な使い方もできそう。
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「銀座」を舞台にしたエッセイ。読んでいると「粋」というものを感じる。ただのエッセイではなく昭和末期から平成になるまでの世相を写した現代史でもある。
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筆者の死去(1990年)までの最後の10年間余りの随筆集。
昭和30年代あたりの連載をまとめた他の随筆集に比べ、どんどん世相に批判的になっている。
還暦を超えていく年齢や鬼平などで既に地位を確立していたことを考えるとある意味必然の流れか。
むしろ痛ましいのは、日記に書いた内容を通じてわかる健康が失われていく過程。徐々に弱っていくのがわかり、読んでいて辛い。
しかしそんな悲壮感漂う時間の流れをもさくさくと読ませるのは、一流文筆家としての筆者の面目躍如だろうか。