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紙の本
修学旅行、臨海学校。
2009/01/20 02:48
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、子どもたちは、機会を見つけては、いろんなところに、自分の好きな雑誌やマンガをどかんと持ち込んで、自己主張を計ったものだ。ある修学旅行の時など、誰かが、十数冊の『ムー』(学研)を新幹線車中で、回し読みの輪に乗せる事に成功し、一車両まるごと、非常に不気味きわまりないムードに包み込まれて、数時間が過ぎていったこともあった。 『風と木の詩』(竹宮恵子先生)を知ったのもそんなノリの中だった。雨が降って、暇を持てあましていた臨海学校、だったか。当方が『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ先生)あたりを回し読みしていると、のぞき見ながら、「こっちの方が面白いよぉ。Hだけど」とか、話しかけてきた、同級生女子。彼女のその手にあったのが。『風と木の詩』だった。「こっちもスゲーぞ」と言い返してそれきりだったのだが。してみると彼女たちの『密やかな教育』はもう始まっていたのか。
巻末の竹宮恵子先生、竹宮恵子先生のプロデューサーであり、同伴者とも呼ぶべき増山法恵氏、『JUNE』初代編集長佐川俊彦氏への『JUNE』的な」ものの草創期に関わる、重要な三つのロング・インタビューだけでも、十二分に楽しめる本書であるが。
第一章における、(昭和)24年組(竹宮恵子先生、萩尾望都先生、そして大島弓子先生を筆頭とする、現在の少女マンガのベースとなる表現内容、吹き出し、コマ割りなどの意味を大きく変容させた、表現技法を生み出した「世代」の少女マンガ家たち)と文学との相互影響の発見。いや、むしろ、ヘルマン・ヘッセを代表格とする、欧州文学が彼女たちの表現内容のみならず、技法をも強く先導したという、具体例を踏まえた、詳細かつ明晰な分析には文字通り、蒙を啓かれた。「文学が少女マンガに乗りこえられた」という、いまや、一個の常識になってしまった見方が、それこそ、文学を主軸にした勝手な「受け」:「攻め」の見立てに基づく物語にすぎない訳である。
第2章においては、雑誌『血と薔薇』への関与で、『JUNE』的なものの魁とみなされるがちであった、澁澤龍彦氏、三島由紀夫氏との、例えば「政治」、あるいは「身体」を境界線にした微妙な、しかし決定的な温度差の存在。しかし稲垣足穂氏を補助線に結ばれていた、『血と薔薇』、『JUNE』両者の危うい共犯関係を描き出していく。そして『地獄に墜ちた勇者ども』など「耽美系作品」をメインに語られてしまうが、その実、硬派、ネオ・リアリズモの雄でもあった、ルキノ・ヴィスコンティ監督とその作品の日本に於ける受容のひずみの見直し、などを踏まえつつ、描かれる、「少年」への「男たち」と「女たち」の眼差しの絡み合いは、スリリングである。
そして、第三章における、一人称「ぼく」を駆使する小説家・批評家、栗本薫氏のデビュー当時の同時代における、「表現技法」、「戦略」への周到な分析を経て、第四章、栗本氏がキーパーソンを務めた、『JUNE』の誕生と現在へと続く、長く緩やかな流れの描写。
とはいえ。引用箇所を改めて読んで。『JUNE』を開く勇気がなかった、あの頃。やはり、開かなかったのは正解だったのかもしれない。
そう。本書の注意深く、かつ、思いの詰まった、分析を楽しんだあとでも、やはり、わからないものはわからない。しかし、本書はまた。その「わからない」、当方のような読者をも受容してくれる、寛容さに満ちているのだ。
あの時、覗き見た、「密やかな教育」現場。そっちも魅力的だったが。
そのころ、当方は。『ドーベルマン刑事』(70年代中期~末、週刊少年ジャンプ連載、武論尊先生・平松伸二先生)の元で猛特訓の最中だったのだから。
紙の本
編集者から詳細な「目次」
2008/11/20 14:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:洛北出版 - この投稿者のレビュー一覧を見る
【目 次】
◆ 第1章
革命が頓挫したあとの「少女マンガ革命」
マンガという新たな〈教養〉
「少女マンガ」という驚き
モノローグが露(あらわ)にする内面――竹宮惠子「サンルームにて(雪と星と天使と)」(1970年)
内的ヴィジョンの横溢(おういつ)
「少年愛」のために選ばれた表現スタイル
少女マンガ、ヘルマン・ヘッセと出会う
少年たちの世界――『車輪の下』、『デミアン』、『知と愛』
マンガと〈文学〉の軋轢(あつれき)――内面描写を巡って
目標としての「文学」
ヘッセの内面描写――具象的で可変的なイメージ
ヘッセから離れて――「エロティシズム」と「美」
それを「少年愛」と名づけたこと――「少年を愛すること」なのか、それとも「少年が愛すること」なのか
稲垣足穂『少年愛の美学』――少女マンガにおける「少年愛」の起源
からっぽにされた「少年を愛する主体」
「少年が愛する様」を愛すること
◆ 第2章
ヨーロッパ、男性身体、戦後
憧れの土地
三島由紀夫という背中あわせの隣人
ふたつのヨーロッパ経験
肉体の発見――三島由紀夫のヨーロッパ体験(1952年)
男性身体の露出――少女マンガ革命以前
男の体で政治を語る――『血と薔薇』(1968‐69年)
官能のヨーロッパ――異議申し立ての足場として
男の肉体の失墜――1970年、『地獄に堕ちた勇者ども』と三島の死
少女マンガとヨーロッパ
ディテールの追求
空間の厚みを知ること――1972年のヨーロッパ旅行
リアリティと夢想のアマルガム
政治から美へ
◆ 第3章
〈文学〉の場所で ―― 栗本薫/中島梓の自己形成
「栗本薫」というペンネーム
「ぼく」という一人称――評論と実作の架橋(かきょう)
作者と主人公の一致とズレ――『ぼくらの時代』(1978年)
求められる「私」への抵抗
「エンターテインメント」を味方にして
「私小説」的ミステリ小説――「ぼくらのシリーズ」
理想の「私」をつくるための習作――「今西良シリーズ」
作家としての私
◆ 第4章
「耽美」という新しい〈教養〉の効能 ―― 雑誌『JUNE』という場
1978年、『Comic JUN』創刊
「耽美」というコンセプト
70年代サブカルチャーの総花としての「耽美」
少女たちへの教育装置としての「耽美」――「ジュスティーヌ・セリエ」作品
80年代、次世代創作者の育成(その1)――「ケーコタンのお絵描き教室」
80年代、次世代創作者の育成(その2)――「中島梓の小説道場」
『JUNE』発「耽美」小説と映画批評――石原郁子の仕事
おわらないおわりに
1 竹宮惠子 インタヴュー
耽美は溺れるものではなく、するもの
名づけられないもの
ヨーロッパを舞台に選んだ理由
『風と木の詩』のディテールとヨーロッパ経験
援護射撃としての『JUNE』
中島梓との共同作業――「ジュスティーヌ・セリエ」作品
「耽美」は溺れるものではなく、するもの
ゲームではなく――BLとの違い
後進の指導
2 増山法恵 インタヴュー
少女マンガにおける「少年愛」の仕掛け人
「七〇年安保闘争」と「少女マンガ革命」
「感想はマンガで」
編集部との闘い――既成の少女マンガへの挑戦
少年を描くこと
質をあげるために――1972年のヨーロッパ旅行
1976年、『風と木の詩』
黒子に徹する――「変奏曲シリーズ」における共同作業
『JUNE』について
「少女革命」が成し遂げたもの
3 佐川俊彦 インタヴュー
文学と娯楽の間を行ったり、来たり
「二四年組」が発端
「耽美」というキーワード
「心の不良」である『JUNE』の読者
新しいジャンル、新しい表現の立ち上げ
バトンタッチできるものとできないもの
作品・文献索引
人名索引
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